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グアテマラ 検定1級

キリグア遺跡公園

2021年11月16日

文化遺産
遺産名:
キリグア遺跡公園
Archaeological Park and Ruins of Quirigua
国名:グアテマラ
登録基準:1981年
登録基準:(i)(ii)(iv)
概要:
キリグア (Quiriguá) は、グアテマラ東端部、イサバル県のモタグア川中流域にある古典期に繁栄したマヤ遺跡のひとつである。 現在は、1981年に世界遺産に登録され、鉄道路線とモタグア川に挟まれたバナナ園の中央部に保存されている。

キリグアに人が住み始めたのは紀元200年ごろだと考えられているが、本格的に王朝が築かれたのは5世紀にはいってからである。まず、コパン王 キニチ・ヤシュ・クック・モー(最初の太陽・ケツアル鳥・コンゴウインコ)王の後見のもとにトク・「キャスパー」王が426年(長期暦で8.19.10.11.0.)に即位したのがはじまりである。このようにキリグアはコパンの衛星都市としてカリブ海とグアテマラ高地をつなぐ通商路で、銅、ヒスイ、カカオ豆、黒曜石の産地があるモタグア川流域を把握する拠点として築かれた。この時代に築かれた建物は3C-1と後のキリグアの中心部から4km離れた陸の上に築かれたグループAである。次に名前のわかっている王は、トゥトゥーム・ヨール・キニチであって、455年 (9.1.0.0.0.)のカトゥンの終了を祝って石碑を建てたことだけが記録としてわかっているだけである。キリグアで現在のところ確認されている最も古い石碑はグループAの石碑U(記念碑21号)である。石碑Uには、9.2.5.0.0.(480年)の日付が刻まれ、コパン王と思われるオチキン・カロームテの称号を持つ人物が後見してキリグアの「支配者3」が重要な儀式をおこなったことが刻まれている。その次に古い石碑が記念碑26号であって、493年の日付と3代目と4代目の王について記してあると思われる。この石碑は、グループ3C-7で発見された残りの部分が、1970年代にデルモンテ社がバナナ園を拡大しようとして掘削した溝の中から偶然発見され、つなぎ合わせると復元することができた。石碑Uと記念碑26号は、ティカルの石碑2号やワシャクトゥンの石碑20号の様式によく似た石碑の正面と側面を包むように笏をもった王の姿が刻まれるラップアラウンド様式である。

石碑Fは761年(9.16.10.0.0.)、石碑Dは766年(9.16.15.0.0.)、石碑Eは771年(9.17.0.0.0.)に建てられている。なかでも石碑Eは、高さ7.62mを誇り、マヤ地域ではもっとも背の高い石碑として知られている。キリグアには、シュクイという従属国があって、カック・ティリウはシュクイの王「日の出・ジャガー」の即位にあたって後見している。カック・ティリウが766年建てた石碑D獣形神Bと呼ばれる石彫を刻んだとき全身体の文字を刻ませた。獣形神Bは、山と宇宙のワニを組み合わせたイメージの精緻な石彫であり、それまでのキリグアの石碑に比べて技術的に優れている。そのような石碑を刻む技術を持った工人を連れて来られるほどの力を当時のキリグアが持っていたことを示している。カック・ティリウは、785年7月27日に亡くなり、かって「支配者2」と呼ばれた後継者の「空シュル」王によって埋葬された。その様子は、「空シュル」王が刻んだカメの形をした獣形神G(記念碑7号)の銘文に刻まれている。

獣形神A, Flickr

(Wikipediaより)

動画による紹介

Archaeological Park and Ruins of Quirigua (UNESCO/NHK)

世界遺産クイズ

キリグア遺跡公園の説明として、正しいものはどれか

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