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姫路城

2021年3月18日

概要

文化遺産
資産名:
姫路城
Himeji-jo
国名:日本
登録年:1993年
登録基準:(i) (iv)
概要:
姫路城は、兵庫県姫路市にある城郭です。白い漆喰を使った木造建築で、昔から「白鷺城」と呼ばれる優美な建築物です。1333年に赤松則村によって建造されたといわれ、1600年の関ヶ原の戦いのあと、城主となった池田輝政は9年間にも及ぶ大改修を実施し、5層の大天守を中心とする天守群が作られ、現在もそのままの姿で保存されています。2009〜2015年には大天守の屋根瓦や漆喰壁の保存修理が行われましたが、「真正性を保つ」ことに努め、これが評価されています。

地図


スライドショー

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Himeji,Castle,Japan
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姫路城は、白漆喰の総塗籠の外壁が魅せる優美な姿から「白鷺城」とも呼ばれる。その一方で、極めて実用的で堅牢な城でもあり、らせん状に構築された複雑で巧妙な縄張り、姫山と呼ばれる自然の丘の地形をたくみに生かした曲輪(城中の建造物のための区画)や堀、数多く配された櫓や門などによって、高い防衛能力を兼ね備えている。

本遺産の登録基準

登録基準 (i) 人間の創造的才能を表す傑作

大天守をはじめとする建造物群のデザインには、木造構造の外側を土壁で覆い、その上に白漆喰を施した簡素な素材の外観に、複雑な構造の配置や屋根の重ね方を組み合わせる独自の工夫がみられる。

登録基準 (iv) 歴史上の重要な段階を物語る建築物

姫路城は、天守群を中心に櫓や門、土塀などの建造物の他、石垣、濠なども良好な状態で保存されており、防御にも創意を凝らした日本独自の城郭構成を表す代表的な建造物である。

 姫路城の歴史

築城(14世紀〕

1333年(元弘3年)、元弘の乱で護良親王の令旨を奉じて播磨国守護の赤松則村が挙兵し、上洛途中の姫山にあった称名寺を元に縄張りし、一族の小寺頼季に守備を命じた。南北朝の争乱で足利尊氏に呼応した則村が再度挙兵し、1346年(南朝:正平元年、北朝:貞和2年)、次男の赤松貞範が称名寺を麓に移し姫山に築城し姫山城とした。これが姫路城の由来である。1467年(応仁元年)、応仁の乱で山名氏に対立する細川勝元方に与した赤松政則が弱体化した山名氏から播磨国を取り戻し、当城に本丸・鶴見丸・亀居丸を築いた

改名(安土桃山時代)

1580年(天正8年)、三木城・英賀城などが落城し播磨が平定されると孝高は秀吉に「本拠地として姫路城に居城すること」を進言し姫路城を献上、自らは市川を挟んで姫路城の南西に位置する国府山城に移った。秀吉は、同年4月から翌年3月にかけて行った大改修により姫路城を姫山を中心とした近世城郭に改めるとともに、当時流行しつつあった石垣で城郭を囲い、太閤丸に天守(3層と伝えられる)を建築し姫路城に改名する。あわせて城の南部に大規模な城下町を形成させ、姫路を播磨国の中心地となるように整備した。

大改修(17世紀)

1600年(慶長5年)、池田輝政が関ヶ原の戦いの戦功により三河吉田15万石から播磨52万石(播磨一国支配)で入城した。輝政は徳川家康から豊臣恩顧の大名の多い西国を牽制する命を受けて1601年(慶長6年)から8年掛けた大改修で姫山周辺の宿村・中村・国府寺村などを包括する広大な城郭を築いた。中堀は八町毎に門を置き、外堀からは城下と飾磨津を運河で結ぶ計画であったが輝政の死去と地形の高低差の問題を解決できず未完に終わる。運河計画は後の本多忠政の時代に実現する。1617年に城主となった本多忠政は、長男の忠刻とその妻の千姫が住居とした西の丸を整備した。

(Wikipediaより)

昭和の大修理

姫路城は一時は売却や取り壊しの危機もあったが、1919年の「史蹟名勝天然記念物保存法」によって保存の道が示され、1931年に国宝に指定された。

1934年、豪雨で西の丸や櫓や石垣に大きな被害が生じたことを受けて、政府は姫路城の修理計画を立案。工事は太平洋戦争の激化にともない一時中断したが、戦後再開され、二の丸の建造物などが修復された。

姫路城・ぬの門, Flickr

1956年からは、「昭和の大修理」と呼ばれる大天守の解体修理を含む大規模な補修工事が行われ、天守群は往時に近い姿を取り戻した。

世界遺産の修復の際には「真正性」が求められ、ヴェネツィア憲章によって「伝統的な素材や工法を用いること」とされているが、伝統的な技術が不適切な場合には、近代的な構築技術を用いることが許される。姫路城は、築城当初より礎石が天守の重みを支えきれず傾いており、その姿は「東に傾く姫路の城は、花のお江戸が恋しいか」と謡われるほどであった。そのため、「昭和の大修理」の際には礎石が取り除かれ、鉄筋コンクリート製の基礎構造物に取り替えられた

2009年からは、5年半に及ぶ天守群の保全修理(平成の大修理)が行われ、漆喰の塗り替えや瓦の全面葺き直しなどが行われた。(『世界遺産大事典』より)

構造

姫路城は、白漆喰の総塗籠の外壁が魅せる優美な姿から「白鷺城」とも呼ばれる。その一方で極めて実用的で堅牢な城でもあり、らせん状に構築された複雑で巧妙な縄張り(城の基本設計)、姫山と呼ばれる自然の地形をたくみに生かした曲輪くるわや堀、数多く配されたやぐらや門などによって、高い防衛能力を兼ね備えている。

姫路城の城壁内, Flickr

また城内には、内部から弓矢や鉄砲を撃ちかけるための狭間さま、石や熱湯を浴びせかける石落としなどの仕掛けが随所に施されている。鉄砲狭間や弓狭間は、使用する武器に応じて使い分けるよう三角や四角などの幾何学的な形をしている。(『世界遺産300』より)

世界遺産クイズ

世界遺産検定クイズ

関連動画へのリンク

旅するように学ぶ世界遺産『姫路城』~世界の城めぐり④~

世界文化遺産・国宝 姫路城

UNESCO公式HP(英語版)へのリンク

https://whc.unesco.org/en/list/661

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