イタリア 世界遺産100選

アッシジ、フランチェスコ聖堂と関連修道施設群

2021年7月12日

文化遺産
遺産名:
アッシジ、フランチェスコ聖堂と関連修道施設群
Assisi, the Basilica of San Francesco and Other Franciscan Sites
登録年:2000年
登録基準:(i)(ii)(iii)(iv)(vi)
概要:
アッシジは、イタリア中部のスバジオ山(モンテスバジオ、標高約1,300m)の斜面に広がる人口2万人強の小さな町であるが、フランシスコ会の創立者アッシジのフランチェスコが生まれたことで有名で、カトリック教会の巡礼地として人気がある。また、町の建物は、ここで掘り出される薄いピンク色をした石材からつくられ、町を彩っている。11世紀から12世紀にかけて商人たちが、アッシジの渓谷を開拓し、貴族たちなどの手により教会などの建築を行った。このころの建造物にはウンブリアの様式を取り入れたものがある。また人口の増加にともない城砦は、1260と1316年に拡張がなされた。サン・フランチェスコ聖堂サンタ・キァーラ修道院もこのころ作られた。

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Photo by Riccardo Ravelli, Marco Marano, Chris Yunker, rob utrecht, PAOLO VENARUCCI, Ol'pigskin aka Rocat Roberto, Garvil Photo, Maurizio, Bartolomeo Bollino, Henk van Oosten,  Hans Splinter ,  Carlo Raso ,Bruno Brunelli,  Thom'Art ,  Gianuca Toro   from Flickr

主な構成資産

サン・フランチェスコ大聖堂

サン・フランチェスコ大聖堂(Basilica di San Francesco)は、アッシジに生まれ、死後に聖人に列せられたアッシジのフランチェスコの功績をたたえるために建設されたといわれている。1228年に教皇グレゴリウス9世によって建築が始まり、1253年に一応の完成をみたと言われている。また建築に際してはフランチェスコの弟子であったエリアの働きかけが大きかったといわれている。その後、何度も改修が行われて現在の姿になった。聖堂は、町の北西の斜面の上に建ち、斜面を有効に利用するため建物は上下二段に分かれている。上堂部分はゴシック様式、下堂の部分はロマネスク様式と異なっている。聖堂にはチマブーエ、ジョット、マルティーニなどの画家の手になるフレスコが多数描かれ、上堂内部はルネサンス初期の画家ジョットによる聖人フランチェスコの生涯、28の場面を描いたフレスコ画が、また下堂には『玉座の聖母と4人の天使と聖フランチェスコ』がそれぞれ一番の見所である。

サン・フランチェスコ大聖堂 , Flickr

大聖堂の内部, Flickr

ジョット画『聖痕を受けるフランチェスコ[1]聖フランチェスコがアルヴェルノ山での祈祷中に、熾天使のように見える空飛ぶキリストから聖痕を受けているところを描いている。キリストの傷から、聖フランチェスコの身体に当たる光線が放たれている。

小鳥に説教する聖フランチェスコ (Flickr)


サンタ・キアラ修道院

サンタ・キアラ修道院(Basilica di Santa Chiara)は、聖フランチェスコの精神に従った女性キアラ(クララ)のグループが建てた女子修道院で、1257年に完成した。キアラは、アッシジの貴族の娘であったが、フランチェスコの教えに賛同してこの世の財産を全てを放棄し、1212年に清貧の精神を生きる女性たちのグループをつくった。これが女子修道会クララ会の始まりである。大聖堂は彼女の死後、13世紀中に建築された。修道院地下にはキアラの遺骸を収めた部屋がある。ピンクと白の縞模様を特徴としている。

サンタ・キアラ修道院全景, Flickr

サンタ・キアラ修道院正面, fk

サナ・キアラの肖像, Flickr

サン・ダミアーノ教会(修道院)(Convento di San Damiano)

富裕な商人の一人息子として生まれ、放蕩生活を送っていたフランチェスコが1206年にここサン・ダミアーノ教会の十字架から「早く行って私の壊れかけた家(教会)を建て直しなさい」という神の声を聞き[2]One day out in the countryside to meditate. Finding himself near San Damiano, which threatened ruin, old as it was, driven by the impulse of the Holy Spirit, he entered to pray. Kneeling in prayer before the image of the Crucifix, he was invaded with a great spiritual consolation and, as he affixed his tearful eyes on the cross of the Lord, with the ears of his body he heard a voice descend to him from the cross and say three times Francis, go and repair my church which, as you see, is all in ruins!. On hearing that voice, Francis remained astonished and trembling, being in the church alone and, perceiving in his heart the power of divine language, felt kidnapped of his senses. Finally returning to his senses, he girded himself to obey, concentrated everything on the mission to repair the church of walls, although the divine word was referring principally to the Church which Christ purchased by his blood, as the Holy Spirit had made him understand and how he later revealed to his fellow brothers.、一人で石を積みながらサン・ダミアーノ教会を修復したといわれている。フランチェスコは、父の財産をすべて投げうって、私財を貧者に分け与え、人生を通して唱えた清貧の精神はこの教会から生まれたのである。フランチェスコに語りかけた十字架は、現在、サンタ・キアラ修道院にかけられているという。

1210年、16才のキアラは道でフランチェスコの説教を耳にする。キアラもまた裕福な家庭の娘だったが、親の決めた結婚を受け入れることができず家を飛び出し、尼僧としてサン・ダミアーノ修道院に住み始める。聖フランチェスコに最初に帰依した者の一人で、生涯を通して聖フランチェスコを精神的な 父と仰いだ。彼女は後に「清貧、貞節、従順」の誓いをたてフランチェスコ会の女子修道会キアラ会を創設する。彼女たちの生活は祈りと労働を日課としていて、実際に聖キアラが作った服も彼女の髪とともにサンタキアラ聖堂に展示されている。

サン・ダミアーノ修道院(Flickr)

聖フランチェスコと聖キアラの伝説

フランチェスコの青年時代は、富貴を問わず誰に対しても礼儀正しかったが、気前の良い散財家で、享楽的な生活を送っていた。フランチェスコは大病を得て、そこから快癒して外に出た時、以前のように自然の美しさを楽しめなくなった自分を発見した。友人たちとの放埓な生活にも空しさを覚えるようになり、ときおり洞窟などに籠って祈りや瞑想を行うようになった。アッシジ郊外のサン・ダミアノの聖堂で祈っていたとき、磔のキリスト像から「フランチェスコよ、行って私の教会を建て直しなさい」という声を聞く。これ以降、彼はサン・ダミアノ教会から始めて、方々の教会を修復していった。フランチェスコが宣教を始めたのは1208年もしくは1209年のことである。彼は街頭や広場に立ち、聖職者が用いるラテン語ではなく、日常語のイタリア語で聖書の教え、つまり悔い改めて神の道に生きよと説いた。フランチェスコは歌や音楽も利用して、巧みな説話で人々の心を捉えたとされている。そうした芸能的ともいえる活動から、フランチェスコは「神の道化師」と呼ばれている。

フランチェスコは徐々に人々からの崇敬を集めるようになっていった。中世に生きた多くの聖人と同様に彼にまつわる奇跡譚が語られるようになる。有名なものとして、鳥に向かって説教を行った話や、狼を説得して、噛み付くのはやめるという同意をとりつけたなどの話がある。この他にフランチェスコは、うさぎ、魚、水鳥、蝉、コウロギを相手に話をしたと伝えられている。

小鳥と話す聖フランチェスコ(ジョット画『小鳥への説教』)

キアラは、サッソ=ロッソ伯ファヴォリーノの娘として、アッシジで生まれた。1210年、キアラはアッシジの路上で、フランチェスコの説教を耳にした。彼はローマ教皇インノケンティウス3世に新たに認可された托鉢修道会について話していた。彼の言葉にキアラは心を動かされた。1212年3月20日、キアラの両親は娘を裕福な男に嫁がせることにしたため、キアラは家を飛び出し、聖フランチェスコの指導をあおぎ、修道生活に入った。キアラは、修道女のために建てたサン・ダミアーノ教会に住んだ。清貧、貞節、従順の誓いを受け入れた証として髪を短く切り、粗末なチュニックを着た。はじめはベネディクト会派の女子修道院サン・パオロ・デッレ・アバデッセ近くに滞在したが、そののちモンテ・スバシオにあるサンタンジェロ・イン・パンツァの信仰共同体に入った。妹のアグネス(のちに列聖される)は両親の元を離れ、キアラに従いサンタンジェロへついてきた。のち、キアラとアグネスはサン・ダミアーノへ移り、清貧の女性修道会を創立した。

アッシジのキアラ(Wikipedia)

(Wikipediaより)

世界遺産クイズ

世界遺産検定の模擬試験問題


世界遺産「アッシジ」の説明として、正しくないものはどれか。

関連動画へのリンク

Assisi, the Basilica of San Francesco and Other ... (UNESCO/NHK)

映画「ブラザーサン、シスター・ムーン」予告編


UNESCO公式HP(英語版)へのリンク

https://whc.unesco.org/en/list/990

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