文化的景観
遺産名:
ロワール渓谷:シュー・シュル・ロワールからシャロンヌまで
The Loire Valley between Sully-sur-Loire and Chalonnes
国名:フランス
登録年:2000年
登録基準:(i)(ii)(iv)
概要:
ロワール渓谷は、フランスのロワール川流域(約200km)に広がる渓谷。アンボワーズ、アンジェ、ブロワ、モンソロー、オルレアン、トゥールといった歴史上の重要都市が点在し、また何よりも数々の名城(シャトー)が現存していることから「フランスの庭園」の異名を取る。また、かつての宮廷が多く置かれ、典雅なフランス語が発達したことから「フランス語の揺籃地」とも呼ばれる。
2000年にメーヌ川からシュリー=シュル=ロワールまでの渓谷の主要部分がユネスコの世界遺産に登録された(登録名は「シュリー=シュル=ロワールとシャロンヌ間のロワール渓谷」)。なお、これに伴い、1981年に「シャンボールの城と領地」(Chateau and Estate of Chambord) として単独登録されていたシャンボール城は、この物件に包含されることとなった。
300をこえるロワールの古城のうち初期のものは、元来中世に城砦として建造され始めたものであった。例えば、1429年にフランス王シャルル7世とジャンヌ・ダルクが最初に対面したシノン城も、もとはイングランド王ヘンリー2世が軍事的理由によって築いた城塞であった。
ルネサンス期のフランソワ1世の頃から政治の中心はパリに移されたものの、ロワール渓谷はなおも王族とかかわりが深かった。例えば、ルイ12世のときに大改修が行われたブロワ城は、続く歴代の王フランソワ1世、アンリ2世らにも使われ、ギーズ公アンリが殺害された1588年の三部会の舞台ともなった。また、ロワール渓谷最大の城であるシャンボール城、美しさで知られるシュノンソー城やアゼ=ル=リドー城などが築かれたのもこの時代である。
ルイ14世の頃からはヴェルサイユ宮殿の存在によって、ロワール渓谷の政治的な重要性は失われたが、その後も改修などは継続されたため、主要な城は廃れることはなかった。ただし、フランス革命期には多くの城が破壊され、盗難にも見舞われた。
貴族達に愛されたロワール渓谷は、芸術家をも魅了し、19世紀には、フランスの文豪バルザックが『谷間の百合』など多くの作品でこの地を舞台に設定した。イギリスの画家ターナーも繊細な色彩で渓谷の美しさを表現している。
(Wikipediaより)
主な城(シャトー)
アンボワーズ城(Château d'Amboise)
アンボワーズ城はロワール川を見渡す高台に建てられ、重要な浅瀬を統制した。この場所にはガロ・ローマンの時代から砦が築かれていたという。この役割は中世には橋に取って代わられた。11世紀に城が築かれた際には、悪名高いアンジュー伯フルク3世が要塞を石で再建した。
いったん王家の手に渡ると、アンボワーズは歴代フランス王に愛されるようになった。シャルルは城の大改修を思い立ち、まず1492年にフレンチ・ゴシック後期の初めのフランボワイアン様式で、次いで1495年、2人のイタリア人建築家、ドメニコ・ダ・コルトナとフラ・ジョコンドを雇い入れた。彼らはフランス建築では最初のルネサンスの装飾モチーフを、アンボワーズに取り入れた。アンボワーズ城の庭には、フランスで初めてイタリア風レイアウトが採用された。これがフランス式庭園(幾何学的構成の庭園)の始まりである。シャルル8世の時代、イタリア人聖職者パセロ・ダ・メルゴグリアーノが庭の設計をしたことが記録されている。シャルルは上のテラスを広げて庭園を大きくし、格子とあずまやで囲んだ。ルイ12世はその周りにギャラリーを設けた。
フランソワ1世は母ルイーズ・ド・サヴォワの城アンボワーズで育っており、彼が即位して数年の間、アンボワーズ城は栄光の頂点にあった。1515年12月、王の客としてレオナルド・ダ・ヴィンチがアンボワーズ城に招かれ、近くのクロ・リュッセで生活していた。城とクロ・リュッセは地下道でつながっている。ダ・ヴィンチが埋葬されたサン・ユベール教会堂は城に隣接しており、1491年から1496年の間に建てられた。
アゼ=ル=リドー城(Azay-le-Rideau)
1518年から1527年にかけて建設された、ごく初期のフランス・ルネサンス様式の城の一つである。アンドル川の中州に建てられ、城の基礎部分は直接水の中に建築されている。
フランソワ1世治世下で徴税官兼トゥール市長を務めていたジル・ベルトロは、元にあった城を基本にアゼ=ル=リドーの築城に取りかかったが、この土地の一部は彼の妻が相続した資産であった。しかし、実際に中央階段を含む築城の進行を指示したのは、妻フィリッパ・レバイであった。中央階段は「名誉の階段」(escalier d'honneur)と呼ばれ、アゼで最も斬新な建築の一つである。ベルトロは横領の共謀を疑われ、1528年、未完成のアゼ=ル=リドーを逃げ出さざるを得なかった。彼は二度と城を目にすることはできなかった。王は資産を没収し、自分の高級将校の一人に報酬として与える。
アゼ=ル=リドーの魅力を再発見したのはロマン主義の世代であった。バルザックは城を「アンドルにきらめくダイヤモンド」(Un diamant taillé à facettes, serti par l'Indre)と呼んだ。
ブロワ城(Château de Blois)
ブロワ城はフランスのロワール渓谷、ロワール=エ=シェール県にある城・宮殿。ブロア城とも表記する。歴代フランス王の幾人かが住居とし、またジャンヌ・ダルクが1429年、オルレアンからイギリス人に向けて軍を出発させる前に、ランスの大司教から祝福を受けた場所でもある。ブロワ城はブロワの街の中央にある。13世紀から17世紀にかけて造られた建物がいくつか、中庭を囲むように建っている。そのうち最も有名な建築が、フランソワ1世の翼にあるすばらしい螺旋階段である。
フランソワ1世が王になると、クロード王妃はブロワ城を改修させてアンボワーズ城から移ろうとする。フランソワ1世は城に新しい翼を建設し、図書室を造った。しかし王妃が1524年に死ぬと、王がブロワ城で過ごすことはほとんどなくなり、大量の蔵書はフォンテーヌブロー城に移されて「Bibliothèque Nationale(国立図書館)」が作られることとなった。
この翼では、建築や装飾にイタリアの影響が見られる。中央には美しい彫刻に囲まれた八角形の螺旋階段があり、城の中央の庭園が見渡せる。この螺旋階段は、ルネサンス様式の傑作と称される。この翼の後ろはファサードであり、ところどころにニッチ(壁がん)のあるのが特徴である。城の壁にはフランソワ1世のシンボルであるサラマンダーを模った装飾が施されている。
1626年、ルイ13世は結婚祝としてブロワ城を弟のオルレアン公ガストンに与えた。1635年に城の新しい翼の建設が始まったが、1660年にオルレアン公が死ぬと建設は頓挫した。 オルレアン公の翼を建設する仕事を任されたのは、当時の有名な建築家フランソワ・マンサールである。この翼は中庭の後壁を形作り、ルイ12世翼とちょうど向かい合っている。翼の中央部分は3階層からなり、ドーリア式、イオニア式、コリント式のオーダーが重なり合っているのを見ることができる。
シャンボール城(Château de Chambord)
シャンボール城 (Château de Chambord) は、フランス北中部に位置するロワール=エ=シェール県のシャンボールにある城。ロワール渓谷に点在する城のうち、最大の広さを持つ。フランス王フランソワ1世のために建てられた。世界遺産「シュリー=シュル=ロワールとシャロンヌ間のロワール渓谷」に含まれる。シャンボール城は1981年から2000年まで単独で世界遺産に登録されていた。
シャンボール城は、古典的なイタリアの構造に伝統的なフランス中世の様式を取り入れた、フレンチ・ルネサンス様式(北方ルネサンス様式)が特異な城である。ロワール渓谷最大の威容を誇るが、元はフランソワ1世の狩猟小屋を始まりとした城であり、彼の主な居城はブロワ城とアンボワーズ城であった。
シャンボール城の設計はドメニコ・ダ・コルトナによるものだったが、1519年から1547年にかけての建設の間にかなりの変更が加えられた。レオナルド・ダ・ヴィンチはフランソワ王の客人であり、アンボワーズ城近くのクロ・リュッセに住居を与えられた。ダ・ヴィンチはシャンボール城の設計に関与していたと考えられている。城の完成が近づくとフランソワ王は、自分の富と権力の巨大な象徴として、宿敵カール5世をシャンボールに招待して見せびらかした。
建築上の見所の1つに、二重らせんの階段が挙げられる。2つの階段を使えば、相手に出会うことなく3階まで昇り降りができるのである。広々としたすばらしい階段はシャンボール城見学のハイライトとなっており、城の最上部から照らし出されている。階段を設計したのはレオナルド・ダ・ヴィンチだという説もあるが、これは確かではない。この種の構造を有する近代以前の建造物は世界的にも珍しい。
ショーモン城(Château de Chaumont)
ショーモン城(Château de Chaumont)はフランスにある城。ロワール=エ=シェール県のショーモン=シュル=ロワールで最初の城である。11世紀に始まり、ブロワ伯爵のユーデス2世によって建てられた。
1560年、城はカトリーヌ・ド・メディシスの資産となり、彼女はここに多数の占星術者を滞在させた。なお、占星術師ノストラダムスがこの城でカトリーヌに未来の情景を映し出す鏡を見せて、ヴァロワ朝の終焉が近いことを知らせたというエピソードは有名であるが、ノストラダムスがショーモン城に滞在したことは確認されていない。
彼女の夫アンリ2世が死去すると、カトリーヌは権力を駆使して、アンリの愛妾ディアーヌ・ド・ポワチエからシュノンソー城を奪い返そうとする。それに合法性を持たせるため、ディアーヌは最愛のシュノンソー城の代金としてショーモン城を無理やり売りつけられる。ディアーヌはこの取引の際、ごく短期間だけショーモンに滞在した。
シュノンソー城(Château de Chenonceau)
シュノンソー城は、最初フランソワ1世に献上された。フランソワ1世が1547年に死ぬと、アンリ2世は城を愛妾のディアーヌ・ド・ポワチエに贈った。ディアーヌは城と川沿いの眺めを非常に愛した。彼女はアーチ型の橋を建設し、城を向こう岸と結んだ。庭園に花や野菜、果樹なども植えさせた。川岸に沿っているため氾濫に備えるため石のテラスで補強され、4つの三角形が配置された洗練された庭が作られた。ディアーヌは城主ではあったが所有権は王にあったため、長年の法的策略の結果、1555年にようやく城は彼女の資産となった。しかしアンリ2世が1559年に死ぬと、その妻のカトリーヌ・ド・メディシスはディアーヌを城から追い出した。城はすでに王室の資産ではなかったので、カトリーヌもシュノンソー城を召し上げて終わりというわけにはいかず、ショーモン城と無理やり交換させたのであった。
ただし、実際にはショーモン城のほうが付属する領地からの収入が多かったし、シュノンソー城は王や来客接待用の城であり、王亡き後のディアーヌにはあまり接待の必要もなかったことから、「無理やり」ではなく双方合意の上だったという説もある。
カトリーヌ王太后はシュノンソー城に自分の庭を付け加え、お気に入りの滞在場所とした。フランス摂政として、カトリーヌは城と夜のパーティーにかなりの金額を使った。1560年にフランスで初めての花火が打ち上げられたのは、カトリーヌの息子フランソワ2世の戴冠祝賀行事でのことだった。グランド・ギャラリーは1577年、川全体を横切るように既存の橋に合わせて増設された。
カトリーヌが1589年に死ぬと、城はフランソワ2世の弟アンリ3世の妻のルイーズ・ド・ロレーヌ=ヴォーデモンが相続する。シュノンソー城でルイーズは夫の暗殺を知り、うつ状態に陥った。彼女は残された日々、喪服を着用し、しゃれこうべを刺繍した黒っぽいタペストリーに囲まれて、あてもなくふらふらと城の広い通路をさまよった。
1624年にはアンリ4世の愛妾ガブリエル・デストレがシュノンソーを居城とした。その後、ガブリエルの息子ヴァンドーム公セザール・ド・ブルボンとその妻でルイーズの姪かつ相続人のフランソワーズ・ド・ロレーヌの資産となり、ヴァロワ朝の遺産として代々引き継がれて100年以上が経過する。
1720年になるとブルボン公ルイ・アンリがシュノンソー城を買い取る。彼は少しずつ城の調度を売却した。すばらしい彫像の多くがヴェルサイユ宮殿に納められた。地所そのものはクロード・デュパンという大地主に売却された。クロードの妻ルイーズ・デュパン(資産家サミュエル・ベルナールの娘で、ジョルジュ・サンドの祖母)は、啓蒙運動指導者のヴォルテール、モンテスキュー、ブッフォン、ベルナール・フォントネル、ピエール・ド・マリヴォーやジャン=ジャック・ルソーを招待して城を生き返らせた。
1864年、パリ中のガス灯を設置して財産を築いたダニエル・ウィルソンというスコットランド人が、娘のために城を購入した。カトリーヌ王妃の伝統に従って手の込んだパーティーに彼女は財産を使い、その結果城は差し押さえられて1891年、キューバの大富豪ホセ=エミリオ・テリーに売却された。ホセは1896年に城を同族のフランシスコ・テリーに売り、1913年にチョコレート業者のムニエ一族が城を購入、現在も所有している。
ユッセ城(Château d'Ussé)
ユッセ城(Château d'Ussé)は、フランスのアンドル=エ=ロワール県、レニ・ユッセに位置する城である。11世紀のCount of Blois用の拠点であり、最初の城塞はアンドル川を見下ろすシノンの森の端にある高い台地に建てられた。その後、1485年から1535年にかけて現在の城が建造された。
シャルル・ペローはユッセ城で『眠れる森の美女』の作品を書いた。ユッセ城がお姫様が目覚めたお城のモデルである。
ヴィランドリー城 (Château de Villandry )
ヴィランドリー城 (Château de Villandry ) は、フランス・アンドル=エ=ロワール県のロワール渓谷内のコミューンであるヴィランドリーにある城である。
ルネサンス様式の美しい城で、典型的なロワールの古城の一つだが、渓谷周囲の城の中では新しい。現在の城主カルヴァロ氏は定住したまま、庭園は観光客に一般公開されている。
城のテラスから眺める景色は圧巻もの。菜園エリアでは有機栽培の野菜を育てており、城内のレストランやカフェで振舞われる。時期が合えばバラの苗を購入することもできる。
12世紀の古い城塞跡を基盤に、フランス王フランソワ1世財務大臣ジャン・ル・ブルトンによって16世紀1536年に建てられた。幾何学模様庭園は、20世紀初めに城主がスペインの科学者ヨアキム・カルヴァロに変わった後に構築されたもの。
城内のインテリアの多くは、18世紀の城主カステラーヌ家の下、豪華で美しいルイ15世様式(ロココ調)が目立ち、庭園の幾何学模様のデザインは14世紀の古い文献に残されている。
所有者の変遷により一時期は庭園も公園に作り変えられるなどして荒廃したが、20世紀初めに所有者となった現オーナーのカルヴァロ一族の丹精込めた世話により往時の姿をみごとに回復し、バラやツゲをはじめとした様々な美しい花や樹を楽しめる。
シノン城(Château de Chinon)
シノンの山は954年、ブロワ伯ティボー1世の拠点として築城された。12世紀のシノンはアンジュー伯に属し、プランタジネット家出身のイングランド王ヘンリー2世の居城となっていた。ヘンリー2世は、長さ1,300フィート以上、幅250フィート、高さ115フィート(14世紀の時計塔)という巨大な城の建築ほぼすべてに関わっている。シノンはアンジュー帝国の莫大な領土における南の中心地として、ポワティエとボルドーを支えていた。
1173年、ヘンリー2世はシノン城ほか大陸側においてアンジュー帝国の要ともいえる3つの城(シノン城、ルーダン・ミルボー)を、末子のジョンに与えようとして、当時共同君主であった次男の若ヘンリー王の公然たる抗議にあい、やがてジョン以外の3人の息子たち、若ヘンリー、リチャード1世、ジェフリーの反乱をまねくこととなる。1189年、ヘンリー2世は失意の中この城で亡くなり、彼と王妃アリエノール・ダキテーヌ、息子のリチャード1世は全員近くのフォントヴロー修道院に埋葬されている。
水はないものの深い堀があり、その堀でシノン城は3つの区画に分けられる。東の部分は「聖ゲオルギウスの砦」、中央部は「ミリューの城」、西の部分は「クードレイの砦」と呼ばれる。13世紀初期にカペー朝がアンジューを併合すると、フランス王フィリップ2世はルーアンやパリ同様、円筒形の本丸を「クードレイの砦」の入り口に増築する。本丸(もしくは天守閣)は「クードレイの塔」と呼ばれ、1307年に起こったテンプル騎士団の弾圧の際、騎士が抑留され拷問された。
15世紀初期、シノン城はシャルル王太子(後のシャルル7世)の居城となった。ジャンヌ・ダルクが1429年3月8日にシノン城を訪れ、王太子を見分けて、自分が王であることを宣言し、軍を立ち上げてフランスをイングランドから解放するよう訴えた。
1562年に、シノン城はユグノーの所有となり、アンリ4世はこれを国家刑務所とした。このあと城は放置されるが、恐怖政治時代の1793年、ヴァンデの反乱により城は一時的に占拠される。しかしすぐに城は放置されて荒廃する。その後、ナポレオン3世が部分的に修築に取りかかった。現在、シノン城は主要な観光地としてシノンの町によって運営されている。
(Wikipediaより)
ジャンヌ・ダルク美術館
14世紀の時計塔門をくぐり城内に入ると、ジャンヌ・ダルクがシャルル7世に拝謁した大広間跡があり、当時の暖炉が残っている。また、19世紀以降に修復された王の住居には、17世紀の調度品やタペストリー、シャルル7世時代を再現した蝋人形などが展示され、往時の栄華が偲ばれる。シノン城の時計塔の中には、ジャンヌ・ダルク美術館がある。この塔の小鐘楼は、1942年にMonument Historique(歴史記念建造物)にリストアップされ、この地の頑丈な岩壁の性質のお陰で1399年から一度も移動、崩壊されることなく存在している。 美術館内では、ジャンヌ・ダルクの英雄伝説が主に四段階に分けて説明・展示されている。
ロワール川のハイキング・ルート
世界遺産クイズ
関連動画へのリンク
France’s Loire: Château Country (Rick Steves)
Top 10 best chateaux to visit in the loire Valley
Les trésors des châteaux de la Loire
Day tour from Paris - Visit the Loire Valley Castles
ロワールの城廻りサイクリング
ロワール川沿いのシャトーを巡るには、車よりも自転車の方が快適かもしれません。ロワール渓谷には、自転車ルートが整備されています。小さな子どもでも安全に乗ることができます。
An easy cycling route, even with children!
https://www.touraineloirevalley.co.uk/plan-your-holidays/touring-around/biking/cycling-loire-valley-loire-by-bike/loire by byke
Great ideas for travelling alone along La Loire à Vélo(自転車の一人旅もOK)
https://www.loirebybike.co.uk/great-ideas-for-travelling-alone-along-la-loire-a-velo/
Loire Valley by Cycling Tours (ツアー)
https://www.utracks.com/France/Loire-Valley
The Loire Cycle Route (Amazon Guidebook )
パリからロワール渓谷へのツアー
ロワール古城めぐり 日帰りツアー (日本語ガイド VELTRA)
時間のない人にはおすすめ。日帰りなので、有名なお城の見学で終わります。日本語ガイドなので安心。
https://www.veltra.com/jp/europe/france/paris/a/114251
2-Night Loire Valley Tour from Paris (LinkParis.com)
ちょっとお高いですが、2泊3日で9つのロワール城を現地ガイドの案内でゆったり巡ることができます。宿泊先は、Amboiseの★★★★高級ホテルです。Amboiseには、おいしいフレンチ・レストランがたくさんあり、快適に過ごすことができます。レオナルド・ダ・ヴィンチが暮らしていたクロ・リュッセもホテルのすぐそばです。
滞在ホテル:
Hôtel Le Choiseul Amboise
http://le-choiseul.loire-valley-hotels.com/fr
UNESCO公式HP(英語版)へのリンク
https://whc.unesco.org/en/list/933