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メキシコ 検定1級

プエブラの歴史地区

2021年11月16日

文化遺産
遺産名:
プエブラの歴史地区
Historic Centre of Puebla
国名:メキシコ
登録年:1987年
登録基準:(ii)(iv)
概要:
プエブラは、1531年にクエトラシュコアパン盆地のサンフランシスコ川東岸に、修道士トリビオ・パラデスによって、既存の先住民都市を基盤とせず、スペイン人の都市として設立された。翌年スペイン王妃イサベル・デ・ポルトゥガルによって都市が承認され、シウダー・デ・ロス・アンヘレス(天使の都市)の名が与えられた。

公式の設立年月日は1531年4月16日であるが、絶え間ない川の氾濫により、この最初の定住は失敗に終わった。サンフランシスコ川、アトヤック川、アルセセカ川などの川が、プエブラ谷を流れている。この谷は、先住民の都市国家と接していて、植民都市のチョルーラ、トラスカラ、フエゴチンゴ、テペカへと変わり、それらの植民都市には多くの先住民が住んでいた。市の創設後、この谷はメキシコシティやベラクルスと、カリブ海岸の港との間の主要ルートとなり、スペインへの接続ポイントとなった。 プエブラは、ヌエバ・エスパーニャの主要な港と首都の中間地点にあり、多くの先住民族を抱え、スペイン人の入植者を数多く抱えていたため、ヌエバ・エスパーニャの歴史の中で重要な都市と地域であった。プエブラは、商業用農産物を首都に供給し、地域の繊維生産の中心となった。プエブラはメキシコの北部、特にサカテカス周辺の銀鉱地帯と結びついていた。 人口の大部分はサンフランシスコ川の西岸から高地に移住した。元の定住地にはいくつかの家族が残って、アルト・デ・サンフランシスコ(Alto de San Francisco)と改名された。スペイン王室は、エンコミエンダ制が濫用され、多くのスペイン人が土地を失っていたため、エンコミエンダ制を採用しない都市として、プエブラの設立を支援した。

ロザリオの聖母礼拝堂(Capilla de Nuestra Señora del Rosario)は、かつては「世界の8番目の不思議」として知られていたメキシコバロックの傑作である。 町のレイアウトは、今日のソカロ(Zócalo)と呼ばれるメイン広場を中心に、古典的なスペインの設計である。このメイン広場はもともと長方形であったが、醜いと考えられていたため、後に正方形となった。

ロザリオの聖母礼拝堂, Flickr

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(Flickrより)

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