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メキシコシティの歴史地区とソチミルコ

2021年11月16日

文化遺産
遺産名:
メキシコシティの歴史地区とソチミルコ
Historic Centre of Mexico City and Xochimilco
国名:メキシコ
登録年:1987年
登録基準:(ii)(iii)(iv)(v)
概要:

メキシコシティ歴史地区はメキシコシティの中心地区である。単にセントロ(Centro)とも呼ばれる。ソカロ広場を中心とする地区で、西端はアラメダ・セントラルに至る。ソカロはラテンアメリカ最大の広場であり、最大10万人近くを収容することができる。

メキシコシティ歴史地区はクアウテモク区の中にあり、面積は9平方キロメートル強である。9000の建築物があるが、うち1550が歴史的重要性のある建物に指定されている。これらの建物の大部分は16世紀から20世紀にかけて建設された。

メキシコシティ歴史地区はアステカ帝国の首都であるテノチティトランを16世紀に征服・破壊したスペイン人が、その廃墟に今のメキシコシティを建設しはじめた場所である。アステカおよびヌエバ・エスパーニャ植民地の権力の中心として、歴史地区にはメキシコシティの歴史的建物の大部分が含まれ、また多数の博物館がある。このためにUNESCOの世界遺産に指定された。

(Wikipediaより)

歴史

メキシコシティ歴史地区は1325年に設立されたアステカ帝国の都テノチティトランに大体相当する。スペイン植民地化以前のテノチティトランは計画都市として発展し、東西南北の方向に沿って道路や運河が建設され、整然とした四角なブロックが形作られていた。テノチティトランのある島はテペヤックとイスタパラパを結ぶ南北の大通りと、トラコパンと湖の堤防を結ぶ東西の大通りによって4つのカルプリと呼ばれる地区に分割された。各カルプリの名前はクエポパン、アツァクァルコ、モヨトラ、ソキパンであった。各カルプリはテクパンという議会を持ち、さらに細かく区分されていた。南北と東西の大通りの交点はアステカ世界の中心で、ここにテンプロ・マヨール、トラトアニ(皇帝)たちの宮殿、貴族たちの宮殿があった。

スペイン人の征服者コルテスは街並みの美しさに驚嘆したが、1521年に攻め入って徹底的に破壊し、廃墟の上にメキシコ・シティを建設した。メキシコシティの建設を監督した主要な人物であるアロンソ・ガルシア・ブラボの努力のおかげで、都市の設計は基本的に変化を被らなかった。古い大通りは保存され、テナユカ通りはバイェホ通り、トラコパン通りはメヒコ=タクバ通り、テペヤック通りはミステリオス通りと改称された。また4つの地区名にはキリスト教の聖人の名が前に加えられ、サンフアン・モヨトラ、サンタマリア・トラケチワカン、サンセバスティアン・アツァクァルコ、サンペドロ・テオパンと呼ばれるようになった。歴史的地区の大部分は破壊されたテノチティトランの瓦礫を使って建設された。「ソカロ」と呼ばれる中央広場を中心に碁盤目状に道路が整備され、新大陸における植民都市のモデルとなった。

ソカロ, Flickr

主な構成資産

ソカロ(Zócalo)

ソカロ(Zócalo)またはソカロ広場は、メキシコシティ中心部の歴史地区にある中央広場の通称である。正式名称は憲法広場(Plaza de la Constitución)であるが、ほとんどの場合「ソカロ」と呼ばれる。ソカロはアステカ時代から集会場として使われ、メシカの祭儀の場、副王たちの宣誓就任、王の布告、軍事パレード、独立祭典、現代の受難週や聖体の祝日といったキリスト教の祭典に使われてきた。海外首脳の歓迎にも用いられ、国家の祝祭と抗議運動の両方に使われる。ソカロとその周辺は700年近くにわたってメキシコシティの都市計画で中心的な位置を占めつづけてきた。アステカの伝説で世界の中心にあるとされるテンプロ・マヨールのすぐ南西に位置する。

上空から見たソカロ, Flickr

メトロポリタン大聖堂(Catedral Metropolitana de la Ciudad de México)

メキシコの首都メキシコシティにあるカトリック教会の大聖堂。スペインの建築家Claudio de ArciniegaとJuan Miguel de Agüeroがデザインした。ルネサンス、バロック、新古典主義様式が採用されている。1573年に建設が始められた。1614年に支倉使節団が訪問している。建設開始から300年を経て、1818年に完成した。ハプスブルク家出身の皇帝マクシミリアン1世が1864年にここで戴冠式を行っている。プルタルコ・エリアス・カリェス大統領がカトリック教会を迫害し始めたとき、教皇ピウス11世はメトロポリタン大聖堂を閉鎖する事を決め、再開されたのは1930年だった。1962年には火災にも見舞われた。

大聖堂, Flickr

テンプロ・マヨール遺跡(Templo Mayor)

テンプロ・マヨール(Templo Mayor)とは、アステカの中心都市テノチティトラン(今のメキシコシティ)の中心にあった巨大な神殿。テノチティトランはスペイン人によって16世紀に破壊され、その上にメキシコシティの町が建てられたが、1978年以降に大規模な発掘が行われ、その構造や建築過程が明らかになった。大量の遺物が発見され、アステカ文明に関する知識が大幅に進歩した。今ではテンプロ・マヨールはアステカの偉大さを象徴する建造物になっている。

テンプロ・マヨール, Flickr

国立宮殿(Palacio Nacional)

国立宮殿は、メキシコの連邦行政機関の建物である。メキシコシティの中央広場であるソカロ(憲法広場)に面して建っている。アステカ帝国時代以来この地にはメキシコ統治階級の宮殿があり、現在の国立宮殿の建築材料の大部分は16世紀の皇帝モクテスマ2世の宮殿に使われていたものである。現在、国立宮殿は政府庁舎および国立の宮殿として使われている。テソントレ(赤い火山岩)のファサードを持ち、ソカロの東側全体を占める。横幅は200メートル以上ある。

国立宮殿, Flickr

世界遺産クイズ

メキシコシティの歴史地区とソチミルコについて、正しいものはどれか

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