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リヨンの歴史地区

2021年11月3日

文化遺産
遺産名:
リヨンの歴史地区
Historic Site of Lyon
国名:フランス
登録年:1998年
登録基準:(ii)(iv)
概要:
リヨン市は人口51万人、周辺地域を合わせると232万人になり、フランス第2の都市である。リヨン歴史地区は、フランス南東部、メトロポール・ド・リヨンの県庁所在地リヨン市内西部に位置する。ソーヌ川沿いにある、石畳の街並みの残る旧市街(Vieux Lyon)からクロワ・ルースにかけての地区で、1998年12月、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。

紀元前43年に、ローマの植民市ルグドゥヌムとしてルキウス・ムナティウス・プランクスによって建設され、2世紀には皇帝属州ガリア・ルグドゥネンシスの中心都市としてさかえた。カロリング朝のもとに司教座がおかれ、後の何世紀もの間、大司教に支配され続けた。1245年に第1リヨン公会議、1274年には第2リヨン公会議がひらかれた。14世紀初めフランス王国に併合され、このころから絹織物の交易の一大中心地として発展した。

1436年、フランス国王ルイ11世が、自由市を開く特恵をこの都市に与え、フランソワ1世がイタリアから絹を導入したことがきっかけで、絹織物工業が急速に発展。フランス革命が始まると、反革命派が反乱を起こし、それを鎮圧した共和国軍がリヨンの大虐殺を引き起こした。工業化がはじまった19世紀前半にヨーロッパ最大の絹織物・繊維工業都市となった。

1855年にスペインで発生した蚕の病気がヨーロッパ全土に広まり、リヨンの絹織物産業に大打撃を与え、失業者が増大した際、日本の蚕が病いに強いこと、日本でも上質の絹が生産されていることが伝えられ、リヨンから横浜へ生糸と蚕を買い付けに来る人が殺到した。そのため生糸価格は暴騰、粗悪品が出回り、日本の生糸の評判が落ちた。需要拡大のため明治政府はリヨン近郊出身のフランス人技術者ポール・ブリューナを招き、1872年に富岡製糸場が造られた。

小説『星の王子さま』の作者であるアントワーヌ・サン・テグジュペリはリヨン生まれで、ルイ14世像がたつベルクール広場の南西の隅には、星の王子さまとサン・テグジュペリの像も立っている。

(Wikipediaより)

主な構成資産

ベルクール広場

ベルクール広場 (La place Bellecour) はローヌ川とソーヌ川にはさまれた市の中心部にある。ヨーロッパでもっとも大きな広場のひとつで、東西 300m、南北 200m の長方形。1715年以来、周囲をマロニエ並木と道路で縁取られている。さまざまなイベントの会場にもなる。地下は駐車場になっている。

中央にはルイ14世像が立ち、南東隅にはリヨン市の旅行者向けインフォメーションセンターが、それと対象位置の南西隅には同型の建物(平屋作り)があり、絵やポスターの展覧会等の催し物が不定期に開催される。また、日曜日には広場の南西隅に小さな切手市が立ち、ペット市や子犬の里親捜しが共催されることもある。

広場の南西隅、道路を挟んで西側には星の王子さまと作者のサン=テグジュペリの像が立っており、そこから遠くないところに、サン=テグジュペリが生まれたアパルトマンがある。

ベルクール広場

星の王子さまの像

フルヴィエールの丘

市中のほとんどの場所から見ることが出来るフルヴィエールの丘。頂上にはノートルダム大聖堂(各地にあるノートルダム聖堂・寺院と区別するため、「ノートルダム・ド・フルヴィエール」と呼ばれる)が聳え立ち、近くにはフランス国内最大級の古代ローマ劇場遺跡がある。

フルヴィエールの丘

旧市街とフルヴィエールを結ぶケーブルカー

フルヴィエール大聖堂 (Basilique de Fourvière)

フルヴィエール大聖堂 (Basilique de Fourvière) はフルヴィエールの丘の上に建ち、市内のどこからでも見ることができるリヨンの象徴的建物。1872年から1896年にかけて建設されたバシリカ式教会堂である。

フルヴィエール大聖堂

大聖堂の内部

フルヴィエール・古代ローマ劇場 (Théâtres Romains de Fourvière)

フルヴィエール・古代ローマ劇場 (Théâtres Romains de Fourvière) はフルヴィエール大聖堂から南西へやや下った位置にある古代ローマ時代の劇場。紀元前43年に建設された。現在でも夏季に行われるイベント「フルヴィエールの夜」で、コンサートや演劇の上演に利用される。

古代ローマ劇場

リヨン旧市街 (Vieux Lyon)

旧市街の風景

ソーヌ川にかかる橋

Montée du Gourguillon dans le Vieux Lyon, Flickr

ギニョール博物館の人形劇

ギニョール博物館 (Le Petit Musée De Guignol)はリヨン旧市街の中心に位置している2階建ての博物館です。ギニョール(Guignol)とはリヨンで誕生した人形劇の主人公のこと。

絹の縁が結んだ2つの世界遺産:リヨンと富岡

リヨンは古くから絹織物産業の中心として発展、繁栄してきました。ルネサンス期以降、リヨンはヨーロッパにおける絹生産の中心地として、イタリアなどにも絹製品を大量に輸出してきました。フランソワ1世は、1515年に、外国人の絹織工に対する免税処置をとるなどして絹織物産業を推奨した。ルイ14世の時代には、ベルサイユ宮殿にある調度品、椅子やベッド、壁にかかるタペストリーなどの絹織物のほとんどはリヨンで作られたほどである。

1804年、ジャカール (Joseph Marie Jacquard) によって、パンチ・カードのプログラムを用いた新しい織機が開発されたことで、複雑な柄を立体的に表現することができるようになり、絹織物の生産性が上がった。同時に、機械の大型化に対応する必要性から、生産の中心地は、後に「働く丘」と呼ばれるようになるクロワ・ルース地区へ移動した。

しかし、19世紀半ば頃、フランスやイタリアにおいて微粒子病という蚕の病気が蔓延し、蚕種や生糸がほぼ全滅するという深刻な事態に陥った。欧州蚕はほぼ全滅、中国はアヘン戦争争のさなかにあり、リヨンの絹産業は日本からの良質な生糸輸入に頼ったのである。このように、急増する日本製生糸の需要に応えるため、明治政府は富岡に製糸場を建設することを決定、設置責任者は渋沢栄一、工場長は尾高惇忠、技術指導にリヨンからフランス人技師ポール・ブリュナを招くことになった。

ポール・ブリュナ(Paul Brunat)は、1840年、フランスのドローム県にあるブール・ド・ペアージュ(Bourg de Peage)で生まれた。ブリュナは、フランスにおける絹織物取引の中心地であるリヨンで生糸問屋に勤めるようになった。その後同地のエシュト・リリアンタール商会に移り、同社の横浜支店(蘭八商会)に派遣され、横浜港の居留地内の事務所に勤めた。ブリュナは明治3年7月(1870年8月)にイギリス公使館の書記らとともに候補地の視察に出た。その結果、交通の便が良い、動力源の石炭および水が豊富、建材の石材が入手しやすいことなどから、富岡が工場建設地に選定された。(Wikipediaより)

美食の街リヨン

リヨンといえば、美食の街として有名です。伝説の三つ星シェフ、ポール・ボキューズ(Paul Bocuse)が愛した街です。

ポール・ボキューズのレストラン

ミシュラン3つ星のレストラン「ポールボキューズ」は、リヨン郊外コローニュ・オ・モンドール Collonges-au-Mont-d’Or というソーヌ河沿いの小さな町にあります。

Restaurant Paul Bocuse , Flickr

リヨン市内のポールボキューズ系列のブラッスリー

旧市街のショコラティエ

旧市街のショコラティエ

有名なショコラティエ Bernachonのチョコ

おいしいリヨン風サラダ

リヨン風サラダ

ムール貝

世界遺産クイズ

リヨンの歴史地区について、正しいものはどれか

関連動画へのリンク

リヨンでするべき5つのこと (Arienne)

リヨンの可愛いホテル、シュヴァルの理想宮

ノートルダム大聖堂の紹介 (Rick Steves)

UNESCO公式HP(英語版)へのリンク

https://whc.unesco.org/en/list/872

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