文化遺産
遺産名:
チチェン・イツァの古代都市
Pre-Hispanic City of Chichen-Itza
国名:メキシコ
登録年:1988年
登録基準:(i)(ii)(iii)
概要:
ユカタン半島のユカタン州州都メリダの東、約120キロメートルにある後古典期マヤの遺跡で総面積は約1.5平方マイル。半島のつけ根の密林にある。現在、高速道路により分断されているが、北部はトルテカ期、南部にはプウク期の建物が残っており、南北での町の構成がはっきりと違いを見せている。チチェン・イッツァとはマヤ語で「聖なる泉のほとりの水の魔法使い」を意味する。
古典期を代表するティカルなどのマヤ中央部の諸都市は9世紀に崩壊して、ほとんど無人に近い状態になり、後古典期には北部と南部高地に人口が集中した。チチェン・イッツァは北部マヤの中心地であるが、その遺物は中央メキシコ(トルテカ)の強い影響を受けて、マヤとメキシコの混合した国際的な特徴を示す。プウク式の建物に残る碑文は多くカクパカル・カウィール(在位869-881ごろ)に関連する。
13世紀以降になるとチチェン・イッツァは衰退し、中心地は西のマヤパンに移るが、マヤパンもシウ家の攻撃によって1441年ごろに放棄された。チチェン・イッツァがいつ滅んだかは不明だが、セノーテ(井戸)はスペイン人による植民地化の後も長く巡礼地として機能した。
エル・カスティーリョは、マヤの最高神ククルカン(羽毛のあるヘビの姿の神。ケツァルコアトルのマヤ語名)を祀るピラミッド。基底55.3メートル四方、高さ24メートル(頂上の神殿部分は6メートル)。通称の「カスティーヨ」はスペイン語で城塞の意。「ククルカンのピラミッド」、「ククルカンの神殿」とも呼ばれる。
大きな9段の階層からなり、4面に各91段の急な階段が配されていて、最上段には真四角な神殿がある。ピラミッドの階段は、4面の91段を合計すると364段で、最上段の神殿の1段を足すと、ちょうど365段である。また1面の階層9段は階段で分断されているので合計18段となり、これらはマヤ暦の1年(18か月5日)を表す。このことから「暦のピラミッド」とも呼ばれる。北面の階段の最下段にククルカンの頭部の彫刻があり、春分の日・秋分の日に太陽が沈む時、ピラミッドは真西から照らされ階段の西側にククルカンの胴体(蛇が身をくねらせた姿)が現れ、ククルカンの降臨と呼ばれている。
カスティーヨ内部には初期のトルテカ=マヤ方式のピラミッドが内蔵されており、この神殿にはジャガーをかたどった玉座や生贄の心臓を太陽へ捧げたチャクモール像が置かれている。
(Wikipediaより)