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パキスタン

タフティ・バヒーの仏教遺跡とサリ・バロールの歴史的都市

2021年11月21日

文化遺産
遺産名:
タフティ・バヒーの仏教遺跡とサリ・バロールの歴史的都市
Buddhist Ruins of Takht-i-Bahi and Neighbouring City Remains at Sahr-i-Bahlol
国名:パキスタン
登録年:1980年
登録基準:(iv)
概要:
タフテ・バヒーの仏教遺跡群とサハリ・バハロールの近隣都市遺跡群は、パキスタンの世界遺産の一つであり、1世紀から7世紀のガンダーラにおける僧院や都市建築の様子を伝える遺跡群である。カイバル・パクトゥンクワ州に残るそれらの遺跡群は、1980年にUNESCOの世界遺産リストに登録された。

この寺院はクシャーナ朝のカニシカ王により、2世紀半ばに建造された。ガンダーラには5世紀にエフタルが侵攻したが、その折にも小高い丘にある地の利などによって無傷で済んだ。タフテ・バヒーの寺院は、その後も密教の中心地として7世紀まで存続した。ガンダーラはマトゥラーと並び、仏像の起源とされる地域である。ギリシア美術とヒンドゥー美術を融合させたその様式(ガンダーラ美術)は、他地域の仏像作りにも強い影響を及ぼした。タフテ・バヒーからも、ガンダーラ様式の仏像が出土しており、各地の博物館収蔵のガンダーラ様式の仏像にはタフテ・バヒーから移送されたものも少なくない。

寺院には、訪れた仏教徒たちが奉納した小さなストゥーパが35基並ぶ「ストゥーパの中庭」(多塔院)、コリント式の柱に飾られた祠堂、3段の階段状の基壇を備えた主ストゥーパが立つ主塔院、さらには3メートルほどの仏像が5体並んでいた壁面、瞑想のための小部屋、食堂、講堂などがあったと推測されている。ただし、この遺跡が修復されたのは、20世紀初頭にイギリスの考古学者が再発見した後のことだった。遺跡の保存状態は良好と言われるが、小ストゥーパも主ストゥーパも残っているのは基壇のみ、3メートルの仏像も足しか残っておらず、壁面の彫刻やフレスコ画の類もほとんどが失われている。また、かつては寺院全面が白い漆喰で覆われていたとも推測されているが、その漆喰も断片的にしか残っていない。

(Wikipediaより)

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