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中国 検定1級

龍門石窟

2021年11月21日

文化遺産
遺産名:
龍門石窟
Longmen Grottoes
国名:中国
登録年:2000年
登録基準:(i)(ii)(iii)
概要:
北魏の孝文帝が平城から洛陽に遷都した494年(太和18年)に始まる。仏教彫刻史上、雲岡石窟の後を受けた、龍門期(494年 - 520年)と呼ばれる時期の始まりである。龍門石窟の特徴は、その硬さ、すなわち雲岡石窟の粗い砂岩質と比較して、緻密な橄欖岩質であることである。そのため、北魏においては雲岡のような巨大な石窟を開削することが技術的にできなかった。『魏書』釈老志にも、500年(景明2年)に宣武帝が孝文帝のために造営した石窟は、規模が大きすぎて日の目を見ず、計画縮小を余儀なくされた顛末を記している。様式上の特徴は、面長でなで肩、首が長い造形であり、華奢な印象を与える点にある。また、中国固有の造形も目立つようになり、西方風の意匠は希薄となる。裳懸座が発達して、装飾も繊細で絵画的な表現がされるようになる。龍門石窟は、河南省洛陽の古都の南、李河の両岸に位置し、1kmにわたって切り立った石灰岩の崖に彫られた2300以上の洞窟と窪みから構成されている。これらには、約11万体の仏教石像、60以上の仏塔、石碑に刻まれた2,800の碑文が含まれている。洛陽は北魏の末期から唐の初期にかけての都で、5世紀末から8世紀半ばにかけて最も集中的に彫刻が施された時期である。5世紀末から6世紀初頭にかけて、西山崖で最も早く彫られた洞窟には、恭陽洞と三賓洞があり、いずれも大きな仏像を納めている。耀芳洞には140の碑文があり、様々な病気や疾病の治療法が記録されている。この洞窟の彫刻は150年以上にわたって制作され、芸術的なスタイルの変化を示している。7世紀から8世紀にかけて唐代の仏教洞窟で発見された彫刻様式、特に奉賢祠の巨大彫刻は、王室洞窟寺院の芸術を最も完全に代表する例であり、各地の芸術家が模倣してきた。先の「中原様式」と後の「大唐様式」の二つの彫刻芸術は、国内はもとより世界各地に大きな影響を与え、他のアジア諸国の彫刻芸術の発展にも重要な貢献をしてきた。

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(Wikipedia、世界遺産センターHPより)

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