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チュニジア 重要遺産

スースの旧市街

2021年11月24日

文化遺産
遺産名:
スースの旧市街
Medina of Sousse
国名:チュニジア
登録年:1988年
登録基準:(iii)(iv)(v)
概要:
スースはチュニジアの都市。チュニスの南約140kmに位置するチュニジア第三の都市で、人口は約43万人。スース県の県都である。町は美しく、「サヘルの真珠」といわれる。旧市街(アラビア語でメディナ)はユネスコ世界遺産に登録されている。

スースの旧市街, Flickr

紀元前9世紀頃にフェニキア人によって「ハドルメントゥム(Hadrumentum)」として開かれた。古代ローマと同盟を結びんでいたため、ポエニ戦争中も含めパックス・ロマーナの700年の間比較的平和で、大きな被害を免れた。ティトゥス・リウィウスは彼の著作「ローマ建国史」の中で、大スキピオがアフリカに上陸する地として選んだのはハドルメントゥムだったとしている。

ローマ時代の後、ヴァンダル族、その後東ローマ帝国がこの町を占拠し、町の名を「ユスティニアノポリス(Justinianopolis)」と改名した。7世紀にはアラブ人のイスラム教軍が現在のチュニジアを征服し、「スーサ(Sūsa)」と改名。その後すぐアグラブ朝の主要港となった。827年にアグラブ朝がシチリアに侵攻した際、スーサは主要基地となった。

その後ヨーロッパでは技術革新が進みイスラム教に対して優勢に出始め、12世紀にはノルマン人に征服された時期もあり、その後スペインに征服された。18世紀にはヴェネツィア共和国とフランスに征服され、町の名をフランス風に「スース(Sousse)」と改名した。その後もアラブ風の町並みは残り、現在ではアラブ人による典型的な海岸の城砦都市として観光客が多く訪れる。

メディナの主なモニュメントは、リバト、大モスク、ブー・フタタ・モスク、カスバ、城壁など、この堅牢で禁欲的で堂々とした建築を物語っている。砦であると同時に宗教的な建物でもあるリバトは、この種の建築物の代表的な例です。メディナには、曲がりくねった路地や狭い小道を隔てるように配置された住居が並存しており、現代の生活や建築技術の進化によって急速に失われつつあるレイアウトである。

城塞, Flickr

(Wikipediaより)

地図

登録基準

基準(iii)

スースのメディナは、リバト、カスバ、城壁、ブー・フタタ・モスク、大モスクなど、ヘジラ時代の最初の数世紀の文明を示す特別な証拠である。メディナは、子午線をバブ・エル・カブリからリバトと古代内港へ、東西の軸をバブ・エル・ジェディドからバブ・エル・ガルビへと、規則的なプランに沿って設計されている。これはイスラム都市の早熟で興味深い例である。

基準(4)

最も古く、最も保存状態の良いスースのリバトは、この種の建築物の傑出した例であり、塔とタレットに挟まれた長方形の囲いには、南側に1つの門があり、2階建ての中庭には35の房が開き、1階の南側にはモスクがあり、821年に追加された南東向きの塔は、ミナレットと監視塔の両方の役割を果たし、そこからリバトからの信号をモナスティールに送信することができた。

基準(v)

スースのメディナは、特定の伝統的な生活様式を反映したアラボ・ムスリムと地中海建築の傑出した例である。不可逆的な社会経済的変化と現代生活の影響で脆弱になってしまったこのタイプは、保護しなければならない貴重な遺産である。

動画による紹介

スースのメディナ(ユネスコ/ NHK)

世界遺産クイズ

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