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イタリア 検定1級

シラクサとパンタリカの岸壁墓地遺跡

2021年11月3日

文化遺産
遺産名:
シラクサとパンタリカの岸壁墓地遺跡
Syracuse and the Rocky Necropolis of Pantalica
国名:イタリア
登録年:2005年
登録基準:(ii)(iii)(iv)(vi)
概要:
シラクサは、イタリア共和国のシチリア島南東部に位置する都市で、その周辺地域を含む人口約12万人の基礎自治体(コムーネ)。古代ギリシャの植民都市シュラクサイに起源を持つ都市で、歴史的な遺跡など、多くの観光スポットがある。紀元前734年頃、ギリシアのコリントスの植民者たちがこの場所を発見し、低湿地帯を意味するシラコ (Sirako) と名づけたのが起源である。土地が肥沃であり、また原住民たちは彼らに好意的であった。都市は発展し、地中海においてギリシア植民市のうちで最も繁栄する都市国家となった。古典ギリシア語での名称はシュラクサイという。シラクサは、ローマの政治家キケロが「あらゆるギリシャ都市の中でもっとも美しい」とたたえた街。

紀元前5世紀後半、ペロポネソス戦争でシチリアでも勢力を拡大しようとするアテナイに対してスパルタと結んで戦った。シュラクサイはアテナイの敵であるスパルタに援軍を送り、アテナイの船を破壊したり、島を包囲して餓死させるなどして、スパルタの勝利に貢献した。

シラクサ出身で最も有名な一人が、自然哲学者のアルキメデスである。彼の発明品の中には、第二次ポエニ戦争におけるローマによるシラクサ包囲戦に対抗するための軍事兵器もあった。アルキメデス考案の兵器はローマ軍を大いに苦しめ、シラクサは3年間持ちこたえたが、紀元前212年に陥落した。落城の際、攻城戦を指揮したローマの将軍マルクス・クラウディウス・マルケッルスはアルキメデスを殺さぬよう厳命していたが、アルキメデスは彼と気付かれずにローマ兵によって殺された。ローマに敗れた都市国家シラクサは、ローマに併合されシキリア属州に組み込まれる。

パンターリカの岩壁墓地遺跡は、紀元前13世紀から紀元前7世紀までの5,000以上の墓が残る、シチリア島の巨大なネクロポリスである。パンターリカは、シチリア南東部のフェルラ - ソルティーノ間のアナポ川・カルチナラ川の渓谷に位置している。

(Wikipediaより)

世界遺産クイズ

シラクサとパンタリカの岸壁墓地遺跡について、正しいものはどれか

関連動画へのリンク

UNESCO公式HP(英語版)へのリンク

https://whc.unesco.org/en/list/1200

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