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富岡製糸場と絹産業遺産群

2021年3月18日

概要

文化遺産
資産名:
富岡製糸場と絹産業遺産群
Tomioka Silk Mill and Related Sites
国名:日本
登録年:2014年
登録基準:(ii) (iv)
概要:
明治時代における日本の生糸の品質向上と大量生産に貢献した、富岡製糸場をはじめとする絹産業遺産群です。1872年に明治政府が設立した官営の富岡製糸場では、田島家荒船風穴高山社(いずれも世界遺産登録)と連携して、最先端の製糸技術を開発し、高品質の生糸を生産することに成功し、世界的にも高い評価を受けました。

地図

スライドショー

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明治維新を経て、「殖産興業」による富国強兵を掲げた明治政府は、生糸を主要な輸出品とし、生糸の品質改善と生産向上の技術各員に取り組んだ。新たな製糸場の建設が必要とされたため、高い製糸技術をもつフランスから技師ポール・ブリュナが招聘され、工場建設地には広い土地豊かな水をほこり、養蚕が盛んであった富岡が選ばれた。富岡製糸場は1872年に操業を開始すると、高品質な生糸を輸出し世界中から高い評価を得た。医大的な設備と技術を用い、良質な繭から生糸を生み出していったのは、製糸場で働く工女たちであった。多くは全国の氏族の子女であり、技術を身につけた工女らはやがて各地に戻り製糸の技術指導を行った。

登録基準の内容

登録基準 (ii)

富岡製糸場は、産業としての養蚕技術がフランスから明治維新後の早い時期の日本に完全な形で移転されていたことを示す遺産である。富岡は養蚕技術改良の拠点となり、20世紀初頭の世界の生糸市場における日本の役割を証明するものである。

登録基準 (iv)

19世紀後半の建築物群は、木骨レンガ造りなど和洋折衷という日本特有の産業建築様式の出現を示す卓越した事例である。

遺産の概要

群馬県一帯は古くから養蚕業がさかんであった。そんな群馬県に器械製糸の官営模範工場を建てることが決まったのは1870年のことであった。富岡の地が選ばれたのは、周辺での養蚕業がさかんで原料の繭の調達がしやすいことなどが理由であり、建設に当たっては、元和年間に富岡を拓いた代官・中野七蔵が代官屋敷予定地として確保してあった土地が公有地(農地)として残されていたため、工場用地の一部として活用された。フランス人ポール・ブリューナを雇い、フランスの製糸器械を導入した富岡製糸場は1872年におおよそが完成し、その年の内に操業が始まった。一般向けにも公開されていたこの製糸場は、見物人たちに近代工業とはどのようなものかを具象化して知らしめた。そして、全国から集められた工女たちは、一連の技術を習得した後、出身地に戻るなどして各地の器械製糸場で指導に当たり、その技術を地域に伝えることに大きく貢献した。

富岡製糸場の役割は単に技術面の貢献にとどまらず、近代的な工場制度を日本にもたらしたことも指摘されている。富岡の工女たちの待遇は、『あゝ野麦峠』『女工哀史』などから想起されるような過酷なものではなく、特に当初はおおむね勤務時間も休日も整っていた。そうした制度は、民間に伝播する中で、労働の監視や管理が強化されていき、富岡製糸場自体も民間への払い下げを経て、労働が強化されていく方向へと変化することになる。

製糸業の発展に伴い、繭の増産も求められるようになった。増産のためには、蚕種が孵る時期を遅らせ、夏や秋に養蚕する数を増やす必要が出てくるが、そこで活用されたのが風穴であった。夏でも冷暗な風穴の存在は、気温の上昇が孵化の目安となる蚕を蚕種のまま留めおくのに適している。もともと蚕種保存への風穴の利用は長野県で1865年(慶応元年)5月に始まったとされている。群馬での風穴利用の初期に作られ、日本最大級の蚕種貯蔵風穴に成長したのが荒船風穴である。荒船風穴は1905年から1913年までに3つの風穴が整えられた。

歴史

伝統的な養蚕・製糸技術は各地で育まれており、江戸時代末期になると、日本の生糸は海外にも輸出されていたが、鎖国のため近代技術の導入が遅れたことに加え、伝統的な製糸技術だけでは輸出にともなう急速な需要拡大に対応できなかったことから、生糸の品質は著しく低下し、輸入国からの評判も下がっていた。

明治維新後、西洋列強と対等な立場を目指す明治政府は、「富国強兵・殖産興業」に重点を置き、主要輸出品の1つに生糸を定めた。さらなる貿易拡大を実現するためには、生糸の品質向上と大量生産を可能にする新たな技術の導入が不可欠と考えた明治政府は、当時、製糸業を基幹産業の1つとしていたフランスから技術移転をはかった。招聘されたポール・ブリュナは、まず原料となる繭が入手しやすい地域の調査に取り組み、伝統的に養蚕が盛んで土地も広く、さらに製糸業に欠かせない水も豊富に確保できる富岡を製糸場建設の予定地に定めた。資材となる窓ガラスや蝶番はフランスから輸入され、石や木材などは群馬県内で調達された。壁などに使用されるレンガはブリュナ自身の指導のもと、日本の瓦職人によって製造された。建設工事は1871年に起工し、翌1872年、日本初の官営工場である富岡製糸場が完成し、操業を開始した。

1893年、富岡製糸場は三井家に払い下げられ、官営工場としての歴史は幕を閉じた。その後も、製糸場は別の民間の事業者へと引き継がれたが、化学繊維などの普及による生糸価格の下落などのため、1987年に操業を停止した。

主要な構成資産

登録審査のプロセスで、最終的に、官営模範工場として開業し、日本の製糸業の発展に大きな影響を及ぼした富岡製糸場(富岡市)、「清涼育」と呼ばれる養蚕技術を確立し、養蚕農家の様式にも影響を与えた人物の住宅であった田島弥平旧宅(伊勢崎市)、「清温育」と呼ばれる養蚕技術を確立し、蚕業学校によって知識や技術の普及を図った組織のありようを伝える高山社跡(藤岡市)、冷涼な環境での蚕種貯蔵によって、春だけでなく夏から秋にかけての養蚕を可能にし、ひいては生糸生産量の増大にも貢献した荒船風穴(下仁田町)という4件の構成資産が選定された。2014年6月の第38回世界遺産委員会(ドーハ)において、世界遺産として登録された。

富岡製糸場

フランス人ポール・ブリューナを雇い、フランスの製糸器械を導入した富岡製糸場は1872年におおよそが完成し、その年の内に操業が始まった。工場建設には日本の伝統技術も取り入れられ、日本古来の木造の柱からなる骨組みに西欧由来のレンガを組み合わせる木骨レンガ造りなど、和洋折衷の様式となっている。また、三角形の屋根組みをもつトラス構造を採用し、少しでも多くの絹糸器を工場内に置けるよう中央に柱のない広い空間を確保する工夫がなされた。富岡製糸場は1872年に総合を開始すると、高品質な生糸を輸出し世界中から高い評価を得た。全国から集められた工女たちは、一連の技術を習得した後、出身地に戻るなどして各地の器械製糸場で指導に当たり、その技術を地域に伝えることに大きく貢献した。

田島弥平旧宅

富岡製糸場が操業を開始したのと同じ1872年、養蚕技術について書かれた本としてはベストセラーになる1冊の本が刊行された。『養蚕新論』がそれであり、著者は島村の養蚕農家、田島弥平であった。田島弥平はその年に発足した蚕種販売業の島村勧業会社の副長に就任した人物であるとともに、島村で普及していた「清涼育」の発案者であった。清涼育とは蚕の育成法の一つで、蚕室の温度・湿度の変化が繭の質にも大きく影響する養蚕業にあって、換気・通風をよくして蚕を育てる手法である。島村の養蚕農家には、この育成法に適した形態の大型民家、すなわち総二階で瓦葺きの屋根に換気用の「ヤグラ」が設置されている民家が多かった。そうした養蚕民家の原型といえるものが、いまなお田島弥平の子孫が暮らす私邸田島弥平旧宅である。換気のための「越し屋根」を備えた構造は、のちに近代養蚕農家の原型となった。

田島弥平旧宅 (Flickr)

高山社跡

田島弥平の「清涼育」などからは、「清温育」の手法が生まれた。この手法を開発したのが高山村(現藤岡市高山)の高山長五郎で、彼の「養蚕改良高山組」は高山社へと発展した。高山社は清温育の研究及び教育を行なっており、併設した蚕業学校の分教場を各地に作り、清温育の普及に貢献した。高山社跡は、かつての高山社が養蚕技術の改良や普及に果たした役割を伝えている。

高山社跡 (Flickr)

荒船風穴

群馬での風穴利用の初期に作られ、日本最大級の蚕種貯蔵風穴に成長したのが荒船風穴である。荒船風穴は1905年から1913年までに3つの風穴が整えられた。これを作り上げたのが庭屋千壽とその父の静太郎であった。千壽は高山社蚕業学校の卒業生であり、在学中に長野の風穴などについての知見を得ていたことが役に立った。

岩の隙間から吹き出す冷風を利用した国内最大規模の蚕種(蚕の卵)の貯蔵施設。冷蔵技術を活かし、当時は年1回だった養蚕を複数回可能にし、繭の大幅な増産に大きく貢献した。現在も当時と変わらぬ冷風環境が維持されている設備は、国史跡に指定されている。

(Wikipediaより)

荒船風穴跡 (Flickr)

関連動画へのリンク

世界遺産「富岡製糸場と絹産業遺産群」プロモーションムービー ~富岡製糸場~|文化振興課|群馬県

世界遺産「富岡製糸場と絹産業遺産群」プロモーションムービー|文化振興課|群馬県

世界遺産「富岡製糸場と絹産業遺産群」プロモーションムービー ~高山社跡~|文化振興課|群馬県

世界遺産「富岡製糸場と絹産業遺産群」プロモーションムービー ~荒船風穴~|文化振興課|群馬県

世界遺産「富岡製糸場と絹産業遺産群」プロモーションムービー ~田島弥平旧宅~|文化振興課|群馬県

世界遺産クイズ

世界遺産検定クイズ

UNESCO公式HP(英語版)へのリンク

https://whc.unesco.org/en/list/1449

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