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紀伊山地の霊場と参詣道

2021年3月18日

概要

文化遺産、文化的景観
資産名:
紀伊山地の霊場と参詣道
Sacred Sites and Pilgrimage Routes in the Kii Mountain Range
国名:日本
登録年:2004年
登録基準:(ii) (iii) (iv) (vi)
概要:
和歌山県を中心として3県にまたがる紀伊山地には、熊野三山高野山吉野・大峯の3つの霊場と、そこに至る参詣道があり、昔から大勢の人々が訪れ、日本の宗教、文化発展に重要な役割を果たしてきました。これらの遺産群が世界遺産に登録されています。これらの霊場には山岳修行者が集まり、修験道の聖地となっています。登録地域には、聖地の伝統を反映した文化的景観と、山や森、川など豊かな自然も残っており、独特の景観を作り出しています。そのため、日本で初めて文化的景観として世界遺産リストに登録されました。

地図

スライドショー

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これらの霊場と参詣道は、日本古来の自然崇拝から生まれた神道と、大陸伝来の仏教が融合した神仏習合の思想をよくあらわしている。古来、紀伊山地は神々が宿る特別な地と考えられてきたが、大陸から仏教が伝来して以来、紀伊山地の山々は浄土に見立てられ、特殊な能力を得るための山岳修行の霊場となった。

高野山は9世紀初め、真言密教を日本にもたらした僧空海によって開かれた。山上には金剛峯寺を中心に多くの子院が立ち並び、宗教都市としての性格を帯びるようになった。

登録対象地域は、保護のための周辺地域を合わせて、日本の世界文化遺産では最大となる1万1865.3ヘクタールにおよぶ。標高1000メートル級の山々が連なる紀伊山地は、太古から自然を神格化して崇める信仰が盛んな地域で、古代の都がおかれた奈良盆地近辺の人々の信仰を集めていた。6世紀に大陸から日本に仏教が伝わってからは、7世紀後半に山岳修行の地となっていき、9世紀に伝わった真言密教は高野山、10世紀から11世紀にかけて盛んになった修験道は吉野・大峰や熊野三山が主な修行の場となった。特に熊野三山は神道の信仰の場でもあった。高野山、吉野・大峰、熊野三山は三大霊場として、神仏習合の思想によって密接なかかわりをもち、各霊場へと結ばれる参詣道として、大辺路、中辺路、小辺路、大峰奥駈道、伊勢路、高野山町石道が整備されていった。

(Wikipediaより)

和歌山県世界遺産センターHPより

登録基準の内容

登録基準 (ii)

空海によって創建された「高野山」の仏教建築物群と神社建築物群は、日本各地へと伝えられて、それぞれの地域における霊場形成のモデルとなった。紀伊山地の景観は、東アジアにおける宗教文化の交流と発展の結果生まれた、他に類を見ない顕著な例である。

登録基準 (iii)

各社寺の境内や参詣道に残された多くの遺跡では、今なお参詣者による宗教儀礼が行われているなど、宗教文化の重要な継承の場となっている。

登録基準 (iv)

紀伊山地に残る多くの仏教建築や「熊野三山」などの神社建築は、木造宗教建築の代表であり、歴史上、芸術上の建築的価値はきわめて高い。

登録基準 (vi)

建造物や遺跡は、神道と仏教、その融合の過程で生み出された「修験道」など、日本独自の信仰形態の特質を表す顕著な例である。

遺産の概要

紀伊山地に点在する「吉野・大峯」「熊野三山」「高野山」の3つの霊場と、それぞれを結ぶ参詣道によって構成される。日本では12番目に登録された世界遺産で、近畿地方では5番目にあたる。登録時の規模は、核となるエリアと、その保護のための周辺地域を合わせて日本の世界文化遺産では最大となる1万1865.3ヘクタールにおよぶ。標高1000メートル級の山々が連なる紀伊山地は、年間降水量が3,000mmを超える多雨地帯である。豊かな雨が育む緑深い森林景観は、太古から「神の宿る場所」として自然を神格化して崇める信仰が盛んな地域で、古代の都がおかれた奈良盆地近辺の人々の信仰を集めていた。

6世紀に大陸から日本に仏教や道教が伝わってからは、7世紀後半に山岳修行の地となっていき、紀伊山地は「神仏習合」をはじめ、「浄土教」「修験道」など、さまざまな信仰における聖地とされてきた。816年、空海が高野山に「金剛峯寺」を創建すると、高野山は真言仏教の修行場として定着した。10世紀から11世紀にかけて盛んになった修験道は吉野・大峰や熊野三山が主な修行の場となった。特に熊野三山は神道の信仰の場でもあった。高野山、吉野・大峰、熊野三山は三大霊場として、神仏習合の思想によって密接なかかわりをもち、各霊場へと結ばれる参詣道として、大辺路、中辺路、小辺路、大峰奥駈道、伊勢路、高野山町石道が整備されていった。

日本の世界遺産で初めて「道」が登録されたものであり、文化遺産のカテゴリーのなかでも、人間の営みと自然の特異な結びつきを示す名勝・庭園・遺跡などを意味する「文化的景観」にも初めて選ばれた。

主な構成資産の紹介

3つの霊場

吉野・大峯

  1. 吉野山(よしのやま)、
  2. 吉野水分神社(よしのみくりじんじゃ)、
  3. 金峯神社(きんぶじんじゃ)、
  4. 金峯山寺(きんぶさんじ)、
  5. 吉水神社(よしみずじんじゃ)、
  6. 大峰山寺(おおみねさんじ)、

標高千数百メートル級の急峻な山々が続く修験道の聖地で、紀伊山地の脊梁である大峰山脈のうち、金峯山を中心とする青根ヶ峯までを「吉野」、以南の修験道の修行の場を「大峯」と呼ぶ。10世紀中頃には、既に日本第一の霊山として中国にもその名が伝わるほど尊崇を集めた。 吉野は古代から山岳信仰の対象であったが、修験の隆盛に伴い開祖とされる「役行者」ゆかりの聖地として重視された。

吉野山の桜, Flickr

山岳での実践行を重んじる修験道では、山に入って苦行を重ねながら踏破することを「奥駈」あるいは「峯入」と称して最も重視するが、大峯はその舞台である。冬季は氷雪に閉ざされる険しい峯々が信仰の対象とされ、数多くの行場や拠点となる社寺を結んで「大峯奥駈道」が走っている。 霊場「吉野・大峯」には、吉野山、吉野水分神社よしのみくまりじんじゃ金峯神社きんぶじんじゃ金峯山寺きんぶせんじ、吉水神社、大峰山寺おおみねさんじが含まれる。(和歌山県世界遺産センターHPより)

金峯神社, Flickr

金峯山寺 (Flickr)

熊野三山

熊野本宮大社(くまのほんぐうたいしゃ)、
熊野速玉大社(くまのはやたまたいしゃ)、
熊野那智大社(くまのなちたいしゃ)、
青岸渡寺(せいがんとじ)、
那智大滝(なちおおたき)、
那智原始林(なちげんしりん)、
補蛇洛山寺(ふだらくさんじ)
丹生都比売神社、
金剛峯寺、
慈尊院、
丹生官省符神社、
大峯奥駈道、
熊野参詣道中辺路、
熊野参詣道小辺路、
熊野参詣道大辺路、
熊野参詣道伊勢路、
高野参詣道

紀伊山地の東南部にあり、相互に20~40㎞の距離を隔てて位置する「熊野本宮大社」、「熊野速玉大社くまのはやたまたいしゃ」、「熊野那智大社」の3社と「青岸渡寺せいがんとじ」及び「補陀洛山寺ふだらくさんじ」の2寺からなり、「熊野参詣道中辺路」によって相互に結ばれている。3社は個別の自然崇拝に起源を持つが、3社の主祭神を相互に勧請し「熊野三所権現」として信仰されるようになった。また、仏が衆生を救済するために姿を現したのが神だとする「本地垂迹説」により、主祭神がそれぞれ「阿弥陀如来」、「薬師如来」、「千手観音」と見なされたことからも信仰を集め、これらを巡礼する「熊野詣」の目的地として栄えた。(和歌山県世界遺産センターHPより)

熊野本宮大社, Flickr

熊野那智大社, Shutterstock

熊野本宮大社

熊野本宮大社の大鳥居

熊野本宮の主祭神は、家津美御子大神(スサノオノミコト)です。歴史を遡ると、古代本宮の地に神が降臨したと伝えられています。三本の川の中州にあたる聖地、大斎原に社殿が建てられたのは、崇神天皇65年(紀元前33年)のことでした。奈良時代には仏教を取り入れ、神=仏としておまつりするようになります。

平安時代になると、皇族・貴族の間に熊野信仰が広まり、京都から熊野古道を通って上皇や女院の一行が何度も参拝に訪れました。

室町時代には、武士や庶民の間にも熊野信仰が広まっていました。男女や身分を問わず、全ての人を受け入れる懐の深さから、大勢の人が絶え間なく参拝に訪れる様子は「蟻の熊野詣」と例えられるほどでした。

明治22年の大洪水により、大斎原は大きな被害を受けました。当時は能舞台などもあり、今の8倍の規模を誇っていましたが、明治24年に上四社が現在地へ移されました。今、大斎原には中四社、下四社、境内摂末社の神々がおまつりされています。

平成23年9月、紀伊半島大水害により、当社は再び大斎原や瑞鳳殿などに大きな被害を受けました。しかし、平成26年には瑞鳳殿が再建されるなど以前にも増した復興を遂げ、現在に至ります。

当社のいたるところに見られる3本足のカラス。日本サッカー協会のシンボルとしても有名な、八咫烏(やたがらす)です。八咫烏は、日本書紀・古事記の「神武東征」という物語に登場します。神武天皇が熊野に到着された時、神の使者である八咫烏が奈良まで道案内をしたというエピソードから、熊野三山に共通する「導きの神鳥」として信仰されるようになりました。

熊野速玉大社

熊野速玉大社は、熊野川を背にして鎮座し、熊野速玉大神と熊野夫須美大神を主祭神とし、十二柱の神々が祀られています。熊野速玉大神は水の動きを神格化したものと考えられ、雄大な熊野川の河口にある新宮市を象徴しています。境内には、国の天然記念物である巨大なナギの木や、檜扇など1000点を超える国指定文化財を所蔵した熊野神宝館もあります。

ナギの木

「熊野権現御垂迹縁起」によると、熊野の神々は神代の頃、まず初めに神倉山のゴトビキ岩に降臨し、その後、景行天皇五十八年に現在の社地に真新しい宮を造営し、「新宮」と呼ばれるようになりました。最初は二つの神殿に熊野速玉大神、熊野夫須美大神、家津美御子大神が祀られ、平安時代の初めには現在のように十二の神殿が完成しました。

神武天皇が神倉に登拝したことは日本書紀に記されています。神倉山は古くから人々に畏れ崇められており、最初は社殿がなく、自然信仰や原始信仰の中心地とされていました。また、弥生時代中期の銅鐸の破片もここから発見されています。十月の例大祭では、「杉ノ仮宮」という最初の宮が造られ、古式に則った神事が行われます。

熊野那智大社

古来より多くの人々の信仰を集めた熊野那智大社は、那智山青岸渡寺とともに熊野信仰 の中心地として栄華を極め、今なお多くの参詣者が訪れています。463段の石段を登り、標高約500メートルに位置する社殿は6棟からなり、夫須美神を御主神としてそれぞれに神様をおまつりして います。夫須美神は伊弉冉尊ともいい万物の生成・育成を司るとされ、農林・水産・漁業の守護神、また縁結びの神様として崇められています。

熊野那智大社は熊野三山の中でも熊野坐神社(本宮)・熊野速玉大社(新宮)の二社とは異なり、山中の那智滝を神聖視する原始信仰に始まるため、社殿が創建されたのは他の二社よりも後である。当初は那智滝の正面にある現・飛瀧神社の地に社殿がありました。

那智の滝

那智滝(なちのたき)は、和歌山県東牟婁郡那智勝浦町の那智川中流にかかる滝。石英斑岩からなるほとんど垂直の断崖に沿って落下し、落ち口の幅13m、滝壺までの落差は133mに達し、その姿は熊野灘からも望見することができます。総合落差では日本12位ですが、一段の滝としては落差140mのラッキベツの滝に次ぐ、落差日本2位。しかし、ラッキベツの滝は北方領土内の択捉島に位置するため、日本の施政権が及ぶ範囲内では落差日本1位です。華厳滝、袋田の滝と共に日本三名瀑に数えられています。

 

関連動画へのリンク

旅の星 Tabinohoshi 「世界遺産 紀伊山地の霊場と参詣道 熊野本宮大社と熊野古道・雲取越」

旅の星 Tabinohoshi 「世界遺産 紀伊山地の霊場と参詣道 熊野速玉大社と熊野那智大社 青岸渡寺」

高野山

平安時代の弘仁7年(816年)に嵯峨天皇から空海(弘法大師)が下賜され、修禅の道場として開いた日本仏教における聖地の1つであり、また高野山は「一山境内地」といわれ高野山全域が寺の境内地とされ、元来は高野山全体と「金剛峯寺」は同義である。真言密教の霊場。標高800mの山上にある約3km2の平地に立っており、「八葉の峰」とも呼ばれる。現在は「壇上伽藍」と呼ばれる根本道場を中心とする宗教都市を形成している。山内の寺院数は高野山真言宗総本山金剛峯寺(山号は高野山)、大本山宝寿院のほか、子院が117か寺に及び、その約半数が宿坊を兼ねている。本堂と多宝塔を組み合わせた金剛峯寺の伽藍配置は、全国の真言宗寺院のモデルとなった。また、高野山はかつて女人禁制であったため、参拝する女性はふもとの慈尊院を詣でた。

金剛峯寺本堂 (Flickr)

高野山, Flickr

関連動画へのリンク

旅の星 Tabinohoshi 「世界遺産 紀伊山地の霊場と参詣道 聖地 高野山」

参詣道

熊野参詣道

熊野古道は、熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)へと通じる参詣道の総称。熊野参詣道ともよばれる。紀伊半島に位置し、道は三重県、奈良県、和歌山県、大阪府に跨る。熊野古道の遺構の特徴として、那智山にある大門坂など舗装に用いられた石畳が残っていることがある。石畳が用いられたのは、紀伊半島が日本でも有数の降雨量の多い地域だからである。また、江戸時代に紀州藩により整備された一里塚が残っている個所もある。熊野古道の特色は、中世期に日本最大の霊場として隆盛した熊野信仰という一貫した目的のために、1000年以上も使われ続けてきたことである。

熊野参詣道, Flickr

大峯奥駈道

大峯奥駈道(おおみねおくがけみち)は、吉野と熊野を結ぶ大峯山を縦走する、修験道の修行の道。1000-1900m級の険しい峰々を踏破する「奥駈」という峰入修行を行なう約80kmに渡る古道を指す。吉野から熊野まで、神社や寺のほかに、大峰山脈の主稜線沿いに75の(なびき)と呼ばれる行場(霊場)があり、修験者は5月3日の大峯山寺の戸開けから9月23日の戸閉めまでの間に奥駈修行を行なう。奥駈は修験道でもっとも重視される修行であり、神仏が宿るとされる岩や峰、滝などで祈りを捧げる。

大峯奥駈道, Flickr

高野参詣道

高野参詣道(こうやさんけいみち)は、空海(弘法大師)が開山した日本を代表する真言密教の聖地「高野山」に、徒歩で登拝するための参詣道(古道)である。高野七口と呼ばれる7つの主たる参詣道があり、それ以外にも「高野七口」へ繋がる「参詣道」がある。現在では、電車・ケーブルカーを乗り継ぐ、もしくは車で高野山へ参詣することができるが、かつて徒歩で聖地・高野山へ登った参詣道(古道)が高野参詣道である。

高野参詣道, Flickr

高野山ケーブルカー

高野山ケーブルカーの車内,Flickr

(Wikipediaより)

世界遺産クイズ

世界遺産検定クイズ

関連動画へのリンク

UNESCO公式HP(英語版)へのリンク

https://whc.unesco.org/en/list/1142

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