文化遺産
遺産名:
デルベントのシタデル、古代都市、要塞建築物群
Citadel, Ancient City and Fortress Buildings of Derbent
国名:ロシア
登録年:2003年
登録基準:(iii)(iv)
概要:
現在のデルベントの名前の由来はペルシャ語の「閉じられた門」に由来する。5世紀の終わりかあるいは6世紀の始まりには使用されるようになっており、この頃は、サーサーン朝の皇帝カワード1世によって統治された時代であった。
カワード1世の子供であるホスロー1世の時代に、デルベントの北を臨む監視塔を備えた高さ20メートルの城壁が建設された。アルメニア人の7世紀の歴史家であるモヴセス・カガンカトヴァツィが叙述した年代記にも、驚嘆の言葉を添えての記述がなされている。ホスローの建設の結果、デルベントは、サーサーン朝の強固な要塞、港として機能した。5世紀から6世紀の間には、デルベントは、カフカス地方におけるキリスト教布教の拠点となった。
デルベントに残る城壁と監視塔の多くが、当時の姿を残している。6世紀から残る二重の城壁の長さは約40キロメートルに及び300から400メートルの距離を置いて、平行に建設された。城壁に囲まれた約45,000平方メートルの範囲が世界遺産に登録され、6世紀に建設されたキリスト教のバジリカ、8世紀に建設されたモスク、15世紀に建設されたマドラサ、19世紀に建設されたアルメニア正教の教会が存在する。
(Wikipedia)