歴史
世界遺産(World Heritage Site)とは、1972年のユネスコ総会で採択された「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約」(世界遺産条約)に基づいて世界遺産リストに登録された、文化財、景観、自然など、人類が共有すべき「顕著な普遍的価値」を持つ物件のことです。
前史
世界遺産条約ができるまでは、文化財保護と自然保護は別々の枠組みで行われていました。文化財保護の考え方は、19世紀のヨーロッパで誕生しました。ただし、その頃はまだ保護の対象は「文化的な記念物や遺跡」に限られ、街並みの景観などは含まれていませんでした。
イエローストーン国立公園の誕生(1872年)
自然保護の歴史は文化遺産保護よりも古く、1872年にアメリカ合衆国で、自然保護を目的として世界初の国立公園「イエローストーン国立公園」(Yellowstone National Park)が誕生したことに始まります。
イエロ-ストーン国立公園は、米国ワイオミング州北西部を中心として3470平方マイル(8980平方キロメートル)にわたる広大な自然公園で、さまざまな間欠泉や温泉、地熱による観光スポットが散在しています。また、グリズリーやオオカミ、アメリカバイソン(バッファロー)やワピチ(エルク)の群れが生息し、手つかずの生態系を構成しています。1978年にはユネスコの第1回世界自然遺産に指定されました。
模擬試験問題
世界遺産検定の模擬試験問題
アテネ憲章(1931年)
1931年、ギリシャのアテネで第1回「歴史的記念建造物に関する建築家・技術者の国際会議」が開催されました。ここで、以下の7項目からなる宣言(アテネ憲章:Athens Charter)が採択されました。
- 歴史的記念建造物の修復に関して、実務的で助言できる国際組織が設立されるべきである。
- 記念物の特徴や歴史的価値を損なう恐れのある過ちを防ぐために、修復計画を見識ある批判的評価に委ねなければならない。
- 歴史的遺産を保存する問題は、すべての国の国内法を整備することによって解決しなければならない。
- 発掘された遺跡のうち、差し迫って修復の対象にならないものは、新たに埋め戻さねばならない。
- 修復にあたっては、近代的な技術や材料を利用することができる。
- 歴史的遺跡は、厳しい管理体制によって保護されなければならない。
- 歴史的遺跡の周辺地域の保護に注意を払わなければならない。
模擬試験問題
世界遺産検定の模擬試験問題
ヴェネツィア憲章(1964年)
1964年、ヴェネツィアで開催された第2回歴史記念建造物関係建築家技術者会議では、アテネ憲章を批判的に検討した結果を踏まえて、以下の5項目からなる「ヴェネツィア憲章」 (Venice Charter)が採択されました。
- 歴史的記念物は単体としてだけでなく群としても考えられなければならない。
- 記念物を保存するために、建物に新しい用途を見出すことが重要であり、周囲との歴史的関連性を重視すべきである。
- 復原は推測が始まるところでとめられなければならない。また、記念物が経てきた歴史的変化を尊重した復原がなされなければならない。
- 発掘は専門家の手によって行われるべきであって、遺跡を改変してはならない。
- 記念物に対する調査、発掘、復原などの活動は、記録され報告されなければならない。
アテネ憲章では、「遺跡、記念物の修復にあたっては、近代的な技術や材料を利用することができる」とされていましたが、ヴェネツィア憲章ではこれを改め、歴史的建造物を修復する場合は建設当初の部材を尊重すること、損なわれた箇所を補足する場合は推測ではなく科学的な根拠のある復原とすること、当初からの部材と修復された部分が明確に区別できるようにすることなど、保存・修復にあたっての基本的な理念を明確に規定しました。これは、のちに世界遺産の登録条件の一つである「真正性」の概念として受け継がれることになりました。
この理念にもとづいて、翌1965年、国際記念物遺跡会議(イコモス ICOMOS)が設立され、のちの世界遺産制定への大きなステップを踏み出すことになりました。
模擬試験問題
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ユネスコの設立
ユネスコ(国際連合教育科学文化機関 United Nations Educational, Scientific and Cultural Organization:UNESCO)は、国際連合の経済社会理事会の下におかれた、教育、科学、文化の発展と推進を目的とした専門機関です。本部はパリにあります。
甚大な被害を出した第二次世界大戦を教訓に、1945年11月に国際連合の一機関として設立されました。11月16日には「国際連合教育科学文化機関憲章(ユネスコ憲章)」が採択され、1946年には20カ国が批准して11月4日にユネスコ憲章が発効しました。ユネスコ憲章の基本理念は、「教育や文化の振興を通じて、戦争の悲劇を繰り返さない」ことであり、前文には「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和の砦を築かなければならない」との文言があります。
ユネスコ憲章の第1条には、「世界の遺産である図書、芸術作品並びに歴史及び科学の記念物の保存及び保護を確保し、且つ、関係諸国民に対して必要な国際条約を勧告すること」と明記されています。ユネスコは文化遺産保護の制度を整備していき、1951年には「記念物・芸術的歴史的遺産・考古学的発掘に関する国際委員会」が設立されました。国際委員会は、1931年のアテネ憲章(1931年)を批判的に継承したヴェネツィア憲章(1964年)を経て1965年に国際記念物遺跡会議(ICOMOS)となりました。
ハーグ条約
第二次大戦で各国は遺産や記念建造物の保存の重要性と、その保護の難しさに直面した。1954年にはユネスコがオランダのハーグにて「武力紛争の際の文化財の保護に関する条約(ハーグ条約)」を採択し、国際紛争や内戦、民族紛争などの非常時において文化財を守るための基本的な方針が定められた。
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ヌビアの遺跡群救済キャンペーン
1960年、ユネスコが全面的に関わり、世界遺産条約の締結に大きな影響を及ぼした出来事がありました。それが、エジプトのヌビア遺跡救済キャンペーンです。
1952年、エジプト政府は国家の近代化と国民生活向上のために、ナイル川にアスワン・ハイ・ダムの建設を策定しましたが、建設地にあったアブ・シンベル神殿やイシス神殿などの貴重なヌビア遺跡群が水没してしまうという危機にあったため、ナセル大統領がユネスコに救済を求め、ユネスコでは1960年から大々的な遺跡救済キャンペーンを開始しました。
1964年からは本格的な募金活動が始まり、世界約60カ国からの協力により、歴史上類を見ない大規模な遺跡移転・救済が実現することになりました。
ユネスコが主導したキャンペーンに世界中の国々、団体が参加したことで、「人類共通の遺産を守る」という新たな理念が生まれ、それが10年後の世界遺産条約締結につながることになりました。この事例を受けて、1968年、ユネスコは文化遺産の保存と経済開発の調和をはかることは各国の義務だとする「公的または私的の工事によって危険にさらされる文化財の保存に関する勧告」を採択しました。
模擬試験問題
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世界遺産条約の締結(1972年)
1972年11月16日、パリで開かれた第17会期ユネスコ総会において、世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約(略称「世界遺産条約」:Convention Concerning the Protection of the World Cultural and Natural Heritage)が採択されました。翌年アメリカ合衆国が最初に批准し、1975年9月17日に締約国が20か国に達したため、同年12月17日に正式に発効しました。日本が批准したのは1992年のことで、これ以降日本でも世界遺産が登録されることになりました。
世界遺産条約の目的は、人類にとってかけがえのない価値を持つ記念建造物や遺跡、自然環境などを、人類共通の財産である「世界遺産」として保護し、次世代に伝えていくための仕組みをつくることにあります。条約締約国には、全人類に普遍的な価値を持つ遺産の保護・保存に関する国際的援助体制の確立および将来の世代への伝達を義務づけています。また、「世界遺産リスト」の作成や登録された遺産保護支援を行う「世界遺産委員会」の設置や、締約国からの拠出金や贈与などを資金とした「世界遺産基金」の設立を明記しています。
1977年、第1回世界遺産委員会が開催されました。この委員会で、世界遺産登録の基準なども含む「世界遺産条約履行のための作業指針」(The Operational Guidelines for the Implementation of the World Heritage Convention)が策定されました。1978年の第2回世界遺産委員会では、エクアドルのガラパゴス諸島や西ドイツのアーヘン大聖堂など12件(自然遺産4、文化遺産8)が最初の世界遺産リストに登録されました。翌年の第3回世界遺産委員会では、世界遺産誕生のきっかけとなったヌビア遺跡などを含む45件が登録され、エジプトとフランスが保有国数1位となりました。
その後、世界遺産条約締約国は190か国を超え、2015年には世界遺産リスト登録物件が1,000件を超えました。2021年7月現在の世界遺産登録数は1,154件(文化遺産897件、自然遺産218件、複合遺産39件)に達しています。
模擬試験問題
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1978年、最初に登録された世界遺産
1978年、最初に世界遺産リストに登録された遺産は、次の12件です。
アーヘンの大聖堂(ドイツ) |
イエローストーン国立公園(アメリカ合衆国) |
ヴィエリチカとボフニャの王立岩塩坑(ポーランド) |
ガラパゴス諸島(エクアドル) |
キトの市街(エクアドル) |
クラクフの歴史地区(ポーランド) |
ゴレ島(セネガル) |
シミエン国立公園(エチオピア) |
ナハニ国立公園(カナダ) |
メサ・ヴェルデ国立公園(アメリカ合衆国) |
ラリベラの岩の聖堂群(エチオピア) |
ランス・オー・メドー国立歴史公園(カナダ) |
文化財の不法な輸入、輸出及び所有権譲渡の禁止並びに防止の手段に関する条約(1970年)
1970年の第16回ユネスコ総会で採択された条約で、1972年に発効しました。保護管理体制の不備などにより盗難された文化財の密貿易などを禁止する条約です。
人間環境宣言(ストックホルム宣言)(1972年)
1972年にスウェーデンのストックホルムで開催された「国連人間環境会議」において採択された宣言。国際社会が初めて開発問題と環境保全について取り組み、その原則についてまとめたものです。自然環境の保護・保全が、人類の福祉や経済発展にとって重要であると謳っています。
この国連人間環境会議において、文化遺産と自然環境を保護・保全する条約づくりが進められ、同年のユネスコ総会で世界遺産条約としてまとめられることになりました。
歴史的都市景観の保護に関する宣言(2005年)
2005年10月の世界遺産条約締結国会議で出された宣言。2005年、ウィーン中央駅界隈の都市開発と世界遺産の保全をめぐりオーストリア政府やウィーン市、世界遺産委員会事務局、ICOMOSなどが参加した国際会議が開かれ、「世界遺産と現代建築に関するウィーン覚え書き(ウイーン・メモランダム)」が採択されました。それを受けて、10月に「歴史的都市景観の保護に関する宣言」が採択されました。
この宣言において、開発で現代建築を建てる際には、経済成長の促進のための開発に対応する一方で、街の風景や景観を尊重することが一番の課題であるとし、政策決定者や都市計画者、文化財保護担当者、建築家などは文化や歴史に十分配慮しながら都市遺産の保護のために協力すること、生活環境や利便性を確保することで住民の生活の質や生産効率を向上させることなどが示され、世界遺産に関しては特に歴史的都市景観の概念を推薦書の保護計画に含むことが推奨されました。(『世界遺産大事典』より)
歴史的都市景観に関する勧告(全文:文部科学省サイト)
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歴史的都市景観に関する勧告:文部科学省
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