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ホンジュラス 検定2級

コパンのマヤ遺跡

2021年11月16日

文化遺産
遺産名:
コパンのマヤ遺跡
Maya Site of Copan
国名:ホンジュラス
登録年:1980年
登録基準:(iv)(vi)
概要:
コパンは、ホンジュラス西部、現在のコパン・ルイナスに隣接する古典期マヤの大都市。1980年にユネスコの世界遺産に登録された。

コパンでは少なくとも16代の王が即位している。16代目の王の即位に際して製作された祭壇Qのレリーフでは、各々の名前を示すマヤ文字の16人それぞれの王が刻まれている。また側面のレリーフに17代目の王を刻んだ祭壇Lがあるが、この祭壇は未完成であり、17代目の王が即位したかどうかは不明。

古典期のコパン王朝は A.D.435 年 (8.19.10.0.0) のキニチ・ヤシュ・クック・モ・チャン・ヨアートの即位に始まる。祭壇Qに描かれているこの王の姿は、彼がメキシコ高原の文化の強い影響下にあったことをしめしており、テオティワカンとなんらかの関係があった人物だと考えられている。当時、テオティワカンと関係が深かったティカルから送られた人物との説もある。

キニチ・ヤシュ・クック・モ・チャン・ヨアートの後に続く数人の王の業績はわかっていないことが多い。第7代の睡蓮ジャガーが現在グラン・プラサと呼ばれているコパンの中心部を現在の形に整えた。

西暦553年に即位した10代目の王から13代目の王の時代まで4人の王が185年間安定した政治を行い、マヤ地域の東南に位置するコパン王朝がマヤ文明を代表する一大王国へと発展した。 西暦578年に即位した11代目王の治世に、アクロポリス内の建造物が拡張されるとともに、コパンから北東に約50キロ離れた地域にエル・プエンナを築き、政治的勢力拡張を図ったとみられている。西暦628年に即位した12代目王は67年間治世を行い、支配域をコパン谷から外へ広げ、コパンの全盛期を誇った。

古典期のコパンの文化が花を開くのは A.D.695 年 (9.13.3.6.8) に即位した第 13 代の王ワシャック・ラフン・ウバク・カウィール(18ウサギ王)の時代である。この時代にコパンでは、他のマヤ地域には見られない高浮き彫りや丸彫りの技術が生み出され、コパン独特の様式を持つ石像彫刻が多く作られる。また、政治的にも絶頂期を迎え、数々の衛星都市を従えた大都市となる。

18ウサギ王の像 (Flickr)

コパンの遺跡の中心は2万m2に及ぶ祭祀用の大広場と、4万m2もの土地の上に増築と改築を重ねててきた建築物複合体アクロポリスである。神殿、祭壇、石碑に刻まれた王や神官、カメやジャガーといった動物などの3万点以上の石像彫刻は、加工しやすい凝灰岩を用いたため、ほかのマヤ文明の遺跡と比べても量が格段に多く表現も繊細である。アクロポリスの北側に位置する神殿26の神聖文字の階段には、72段の階段に2,200以上ものマヤ文字が刻まれており、コパン王朝史とマヤ文字の解明におおきく貢献した。

(Flickr)

(Wikipediaより)

動画による紹介

コパンのマヤサイト(ユネスコ/ NHK)

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