文化遺産
遺産名:
カルタヘナの港、要塞、歴史的建造物群
Port, Fortresses and Group of Monuments, Cartagena
国名:コロンビア
登録年:1984年
登録基準:(iv)(vi)
概要:
カルタヘナの港、要塞、歴史的建造物群はコロンビア・ボリーバル県の港町カルタヘナに残る建造物群を対象とするUNESCOの世界遺産リスト登録物件である。かつてスペイン人から「インディアスの真珠」と称えられたほど繁栄したカルタヘナには、スペイン植民都市時代の堅牢な要塞と美しい建造物群が多く残り、いまなお「コロンビアでもっとも美しい港街のひとつ」とも言われている。
カルタヘナは、1533年6月にペドロ・デ・エレディアによって建設された。カリブ海に面し、複数の潟湖の存在によって防衛しやすい地形になっていたカルタヘナは、港町としての好条件を備えていた。1542年にアメリカ先住民の奴隷化が禁止されてからは、南米のプランテーションや鉱山の労働力としてアフリカから連れてこられた黒人奴隷の受け入れ港として機能した。また、輸出港としてはアメリカ大陸の金、銀、タバコ、カカオなどをスペインへ運ぶ窓口となった。
その繁栄が海賊などをひきつけ、イギリスの海賊フランシス・ドレークによって1586年に占領されたこともあった。その占領は莫大な賠償金によって解決を見たが、同じ年にスペインは、当時国内で最も著名な城砦建築家であったバウティスタ・アントネッリに命じて堅固な防衛施設を建造させた。17世紀に続く要塞建設は、さらに周辺の要塞群の建設に繋がり、17世紀半ばには、サン・フェリペ要塞が完成。一連の防衛施設の建設に30万人の黒人奴隷が動員された。こうした防衛施設群は、1741年のイギリス海軍による攻囲戦にもよく耐え、今も良好な保存状態で伝存している。
サン・ペドロ地区には主要な歴史的建造物群が多く残る。ボリーバル広場に面する大聖堂は1575年から1612年にかけて建造され、途中でフランシス・ドレークの攻撃によって損壊したが、損壊された部分も1923年に修復された。同じく広場に面している旧宗教裁判所は1601年の建造だが、現在残っているバロック様式の玄関やコロニアル様式のバルコニーなどを備えた建物は1770年に改築されたものである。広場から離れたサン・イグナシオ稜堡近くには、黒人奴隷のために活動し、のちに列聖されたペドロ・クラベールの名を冠したイエズス会のサン・ペドロ・クラベール修道院が残る。1603年に建てられたこの修道院には、1654年に没したクラベールの遺体が安置されている。
(Wikipediaより)