文化遺産
遺産名:
殷墟
Yin Xu
国名:中国
登録年:2006年
登録基準:(ii)(iii)(iv)(vi)
概要:
殷墟は古代中国殷王朝後期の首都の遺構。中華人民共和国河南省安陽市の市街地西北郊、殷都区に位置する。殷王朝後期(BC14世紀ごろ - BC11世紀ごろ)、第19代王盤庚による遷都から帝辛の時代の滅亡に至るまでの期間、殷の首都が営まれたと伝えられる。盗掘された甲骨片の発見が契機となり、1928年より発掘作業が開始され、ここがその首都の遺跡(殷墟)であることが確認された。1928年から甲骨の発掘調査が行われることになった。中央研究院は考古学者による発掘隊を組織、日中戦争で中断する1937年まで15回にわたる発掘作業を行い、甲骨だけでなく青銅器などの金属器や墳墓などの遺跡も発見された。1950年に発掘は再開され、1986年までの間に15万件の甲骨が発掘されている。(Wikipediaより)
Photo by Haonan Xu, tak.wing, Meng Lu from Flickr
殷墟の発掘
殷墟で発見された殷王の王墓と思われる巨大な地下墓坑は十数カ所に及ぶ。それらの王墓から、青銅器と甲骨文字とともに多数の人骨が見つかっている。金石学者であった王懿栄は1899年に、北京市内の漢方薬店で購入した龍骨に金文(古代の金属器や石刻に刻まれた漢字)に類似した古文字を発見、これを解読すべく龍骨を大量に購入したと伝えられる。その後、金石学者羅振玉により龍甲は河南省北部の小屯村より出土したものであることが判明した。羅振玉は甲骨文字の解読を進め、この村は伝説上の存在と考えられていた殷王朝の遺構ではないかと推察した。その後王国維の研究により、ここが盤庚が遷都した後の殷都である説が唱えられた。殷朝遺構の調査のため、1928年から甲骨の発掘調査が行われることになった。中央研究院は考古学者による発掘隊を組織、日中戦争で中断する1937年まで15回にわたる発掘作業を行い、甲骨だけでなく青銅器などの金属器や墳墓などの遺跡も発見された。1950年に発掘は再開され、1986年までの間に15万件の甲骨が発掘されている。
甲骨文字の発見
小屯村一帯は22代王の武丁以降の甲骨や青銅器が集中して発掘された。小屯村北東部が宮殿などが位置する殷都の中心だったとも考えられ、周囲からは工房跡なども発掘されている。小屯村で出土した多数の甲骨(亀の腹甲や牛や鹿の肩甲骨など)には文字が刻まれ、合計で5,000字以上の文字が確認され、そのうち1,700字ほどが解読されている。またこの甲骨文字の研究により、殷王朝の存在が同時代資料を通じて確認されたほか、この文字が現在使用される漢字の祖形であることが確認されている。
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