Mirosława Mielczarek from Flickr

スロバキア 検定1級

レヴォチャ、スピシュ城と関連する文化的建造物群

2021年11月2日

文化遺産
遺産名:
レヴォチャ、スピシュ城と関連する文化的建造物群
Levoča, Spišský Hrad and the Associated Cultural Monuments
国名:スロバキア
登録年:1993年
登録基準:(iv)
概要:
中世の東ヨーロッパにおける集落の様子を伝えているスロバキアの世界遺産。スピシュ城はタタール人の侵攻に対抗するために、13世紀前半に建造されたものである。後の時代には何度も改修や増築が行われ、当初ロマネスク様式の聖堂などを備えていた城に、ゴシック様式ルネサンス様式バロック様式の要素などが順次付け加えられていった。1780年に火災に遭った後は廃墟となり、一時は採石場がわりに使われていたことすらあったが、1961年に国の文化財に指定された。

聖職者居住区として建築された城下町のスピシュスケー・ポドフラジエは、スピシュスキー城の後部要塞から伸びる道を下りていった先にある麓の町で、ロマネスク様式の教区聖堂が残る。「宗教都市」スピシュスカー・カピトゥラとの対比で、「経済都市」として発達してきた。15世紀には繊維産業で大いに賑わったものの、16世紀の大火のせいで、現在残る町並みにはルネサンス様式で再建されたときの建造物群が多く残る。

スピシュスカー・カピトゥラは12世紀に成立した町で、もともとは要塞化された集落が聖職者のための居住地区とされていたが、のちに成長し、現在ではスピシュスケー・ポドフラジエもこの町の一部である。15世紀まではスピシュスキー城主の住居を兼ねていた聖マルティヌス修道院があった町で、聖マルティヌス大聖堂はスピシュ地方の司教座聖堂となり、今なお地方の宗教的中心地とされている。この大聖堂はもともとロマネスク様式で建てられたが、スピシュ城と同じく後代の改修や増築によって、ゴシック様式やバロック様式などの要素も見られる。

レヴォチャは13世紀から14世紀にかけて成立した町で、自由都市となったのは1323年のことであった。城壁で囲まれたレヴォチャの旧市街は、街並みも城壁も中世の様子がよく保たれており、スロバキアの中世都市の中では最良の保存状態とも言われている。旧市街は四角い広場を中心としており、それを取り囲むのが市場跡、聖ヤコブ教区聖堂、福音主義教会、市庁舎などである。特に、聖ヤコブ教区聖堂はスロバキアで2番目に大きい聖堂であり、そこに残る木造祭壇を手がけたのが、15世紀から16世紀に活動した地元出身の彫刻家名工パヴォル(マイステル・パヴォル、マスター・ポール)である。パヴォルの木造祭壇は高さ18mを超える巨大なもので、色鮮やかなその祭壇は、後期ゴシック様式に属する傑作と評価されている。パヴォルは約10年、聖ヤコブ教区聖堂の装飾に携わったが、のちには他の聖堂でも様々な作品を残している。(Wikipediaより)

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(Flickrより)

関連動画へのリンク

Levoča, Spišský Hrad and the Associated Cultural ... (UNESCO/NHK)

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