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ウクライナ

リヴィウ歴史地区

2021年11月4日

文化遺産
遺産名:
リヴィウ歴史地区
L'viv – the Ensemble of the Historic Centre
国名:ウクライナ
登録年:1998年
登録基準:(ii)(v)
概要:
リヴィウは、ハルィチナー地方の中心都市である。人口は約83万人。ポーランドとの国境から70km。1015年にはポーランドのボレスワフ1世がリヴィウを征服しポーランドの版図に組み込んだ。13世紀にはポーランド王国に服属するハールィチ・ヴォルィーニ大公国のダヌィーロ・ロマーノヴィチ公によって都市が建設され、その息子レヴに因んで名づけられた。ポーランド王国の支配下で、リヴィウは黒海とバルト海を結ぶ交易路の中継地として大きく発展した。17世紀はじめの人口は約3万人であった。1772年の第1回ポーランド分割によって、リヴィウはオーストリア帝国に帰属される。公用語はドイツ語とされ、ドイツ人やチェコ人が実権を握った。19世紀初めより、オーストリア帝国政府はドイツ化を強く推し進め、それに対して1848年には民衆蜂起が起こった。住民の請願は後に受け入れられ、1860年代には大きく自治が認められた。その後、リヴィウはポーランド文化の中心地としても、また、ウクライナ文化の中心地としても重要な都市となった。第一次世界大戦で、1914年にリヴィウは一旦ロシア軍に占領されたが、翌1915年には再びオーストリア=ハンガリー帝国によって奪還された。1918年にオーストリア=ハンガリー帝国が消滅すると、1918年11月1日、西ウクライナ人民共和国の独立が宣言され、リヴィウはその首都とされた。

複雑な歴史を反映して、リヴィウの建造物には東欧の伝統的な様式に加え、イタリアやドイツなどの様式が混在している。リノック広場周辺のバロック様式、ルネサンス様式の歴史的建造物をはじめ、美しい石畳でも知られる。(Wikipediaより)

関連動画へのリンク

旅するように学ぶ世界遺産 特別版② 『リヴィウ歴史地区』(ウクライナ)

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リヴィウ歴史地区の説明として、正しいものはどれか

UNESCO公式HP(英語版)へのリンク

https://whc.unesco.org/en/list/865

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