文化遺産
遺産名:
バビロン
Babylon
国名:イラク
登録年:2019年
登録基準:(iii)(vi)
概要:
バビロン(Babylon)は、メソポタミア地方の古代都市。市域はバグダードの南方約90kmの地点にユーフラテス川をまたいで広がる。その遺跡は、2019年にUNESCOの世界遺産リストに登録された。
バビロンは、紀元前18~6世紀の古代メソポタミア地域における主要な王国だった。その名をとどろかせる首都が、ユーフラテス川沿いに建設された。都市は、川をまたいでその両岸に、ほぼ同じ面積で建設され、時に襲う季節的な洪水を防ぐため、川沿いには険しい堤防が築かれた。元々は、バビロンはアッカドの小さな町で、その起源は紀元前2300年頃のアッカド帝国にまでさかのぼる。
紀元前19世紀にバビロン第1王朝が興ると、町は小さな都市国家の一部に組み込まれた。紀元前18世紀にアムールの王ハンムラビが帝国を築いてから間もなく、彼はバビロンを一大都市に造り替え、その王となった。メソポタミア南部地方はその名にちなんでバビロニア地方と呼ばれるようになり、宗教の中心都市は、ニップルからバビロンへ移行する。ハンムラビの息子、サムス・イルナの時代になると、バビロニア帝国は衰退し、その後、バビロンは長らくアッシリア、カッシート、エラムの支配に甘んじることとなった。破壊とアッシリア人による再建の後、紀元前609~539年の短期間ではあったが、バビロンは新バビロニア帝国の首都となった。バビロンの空中庭園やバベルの塔は古代の七不思議の1つだが、多数の学者は、実際にはアッシリアの首都ニネヴェにあったと考えている。新バビロニア帝国の滅亡後は、アケメネス朝ペルシア、セレウコス朝、パルティア、ローマ帝国、そしてサーサーン朝ペルシアと、バビロンの統治者は変遷していった。
(Wikipediaより)