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エチオピア 重要遺産

城塞歴史都市ハラール・ジュゴル

2021年11月24日

文化遺産
遺産名:
城塞歴史都市ハラール・ジュゴル
Harar Jugol, the Fortified Historic Town
国名:エチオピア
登録年:2006年
登録基準:(ii)(iii)(iv)(v)
概要:
ハラールは、エチオピア東部の都市で、ハラリ州の州都。 日本語においては「ハラル」「ハラレ」「ハーラル」とも表記されるが、「ハラール」の表記が現地の発音に近い。

首都アディスアベバからは約523km離れており、エチオピア高原の東の丘の上にある(海抜1900m)。ジュゴルと呼ばれる城壁に囲まれたハラールの町には87のモスクが存在し、16世紀から19世紀前半にかけてはイスラームにおける「第4の聖地」とも考えられていた。この聖地を囲む城壁は、13世紀から16世紀にかけて建設されたもので、防護壁としての役割を果たしている。歴史的に5つの門があり、それらは町への主要な道路に対応しており、また町を5つの地区に分ける役割も果たしていたが、現在はこの区分は機能していない。ハラール門は、主要な道路が中心部へと続く場所にあり、最近建設されたものである。

城塞,Flickr

この歴史的街並みは、「歴史的城塞都市ハラール・ジュゴル」の名で、2006年にユネスコの世界遺産に登録された。 また、何世紀もの間ハラールは、エチオピア各地、アフリカの角、アラビア半島などを結ぶ交易の中心地であり、港を通じてそれ以外の世界に開かれていた。さらにハラールの名は独特のコーヒーの名前(ハラール・コーヒー)にもなっている。ハラール・ジュゴルには82のモスクがあり、そのうち3つは10世紀に建てられたもので、102の神社と、ユニークなインテリアデザインの伝統的、インド的、複合的なタウンハウスが多数あり、これらはハラールの文化遺産の壮大な部分を構成している。アフリカとイスラムの伝統は、長い時間をかけて都市の発展とその典型的な都市計画に影響を与え、その特別な特徴と独自性に貢献してきた。現在の都市レイアウトは、16世紀のイスラム都市の設計を踏襲しており、中心部は商業施設や宗教施設で占められ、堂々としたファサードを持つ狭い路地が迷路のように入り組んでいる。

歴史的街並み, Flickr

ハラールは16世紀に最盛期を迎えた。地域の文化が繁栄し、多くの詩人たちが逗留し謳い上げた。同時にコーヒー、織物業、籠細工、製本術などでも有名になった。ハラールは独立した都市国家としての形態を維持し、支配者たちは独自の貨幣も鋳造した。最古のものはイスラム暦615年(西暦1218年 - 1219年)とも読める日付が刻印されているものだが、確実に最古といえるものは西暦1789年のことになる。その後、19世紀を通じて、さらに貨幣が発行された。

ハラールの町は1875年までは何とか独立を保っていたが、その年にエジプトに征服された。東アフリカにおける拠点の確立を図るエジプトはハラールに3,400人の兵士を派遣し、エジプトからハラールにサトウキビ、カボチャ、アーモンド、レモン、ブドウなどの作物がもたらされた。1875年から1885年にかけてのエジプト占領期に、ハラールは顕著な発展を遂げる。なお、この時期、詩人アルチュール・ランボーがハラールに滞在しており、彼が住んでいた家は今では記念館となっている。

ランボーの住居, Flickr

(Wikipediaより)

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