概要
文化遺産(暫定リスト)
遺産名:
彦根城
Hikone Castle
評価基準:
(iii)(iv)
概要:
17 世紀の東アジア諸国は、政治的混乱を克服して国内外の秩序を再編成し、安定化を達成した。17 世紀に成立し、19 世紀半ばまで続いた日本の政治体制は、その安定した秩序を担った主体の 1 つであり、世界的に見て独特の政治体制だった。
この日本の政治体制は、幕府と藩によって、全国規模で政治の仕組みが標準化されたことを特徴とする。全国の統治権を持つ幕府は、地方の藩へ一定の領域を与えた。藩は、その領域内において自立した権限と財源を持ち、大名を頂点とする階層的な組織によって、領域全体を一元的・集約的に統治した。彼ら統治者は、領民を保護し、安定した社会を維持することに責任を負った。このように、分権的であると同時に全国的に標準化された政治体制は、他国とは異なる独特のものであり、200 年以上にわたって安定した社会を維持し、日本全体の持続的な発展に貢献した。
彦根城は、この時期の地方の政治拠点の 1 つである。築造の経緯から、彦根城がモデルの1 つとなって、全国の藩の拠点である「建築土木装置」が標準化され、日本の独特の政治体制が実現した。その構造・機能は、2 つの特質によって説明できる。第一は、階層的な配置・平面計画である。領域全体の政治に必要な機能を一元化・集約化し、同心円状の全体構造の中に配置したことは、大名を頂点とする階層的な組織構造とその自立性を反映していた。第二は、視覚的な象徴性である。周辺地域から広く視認できる外観は、自立した政治権力の存在とその正統性を示していた。また、城域の内外は、石垣・堀などの視覚的な境界によって区切られ、内部が特別な役割を担う空間であることを示していた。
これらの標準化された「建築土木装置」は、19 世紀後半に政治体制が転換すると役割を終え、そのほとんどが取り壊されていった。その中で、彦根城は、住民の強い願いによって例外的に保存されることになり、その後も戦災や開発などで失われることがなかったため、その階層的な全体構造と象徴的な外観が現在に至るまで伝えられている。
(彦根市『世界遺産登録に向けた推薦書原案』令和2年度版より)
地図
スライドショー
登録基準の原案
登録基準 (iii) 文明の証拠
彦根城は、17 世紀から 19 世紀半ばの日本における、独特の政治体制を物語る「建築土木装置」の傑出した証拠である。
この時代の日本では、階層的な全体構造と象徴的な外観を持つ標準化された形式の「建築土木装置」が全国につくられ、それを拠点にして、藩がそれぞれの領域を自立的に統治していた。この分権的であると同時に全国的に標準化された政治体制は、それぞれの領域において領民の保護と安定した社会の維持を担い、日本全体の持続的な発展に貢献した。この政治体制は、他国や日本の他の時代には見られない独特のシステムであり、この時代の日本に特有の文化的伝統である。
登録基準 (iv) 建築・科学技術
彦根城は、17 世紀から 19 世紀半ばの日本において政治拠点として機能した「建築土木装置」の顕著な見本である。これは、東アジアの政治的混乱が克服され、200 年以上にわたって国内外の秩序が安定した歴史上の段階を物語るものである。
この「建築土木装置」は、幕府と藩による政治体制の標準化に対応して、その構造・機能が全国的に標準化された。政治拠点機能を一元化・集約化して同心円状に配置した平面計画は、階層的な藩の組織構造とその自立性を反映していた。外部から広く視認できる象徴的な外観は、自立した政治権力の存在とその正統性を示していた。こうした特質を持つ「建築土木装置」は、近世の政治体制の成立とともに全国でほぼ一斉に築かれ、200 年以上にわたって維持された、この時期の日本に特有の類型である。
主な構成資産
彦根城天守(国宝)
城の中心にそびえる3 階建ての建造物。井伊家がこの地域を治める城主であることをあらわすシンボルとして、大切な建物だった。現在は、彦根のシンボルとして、多くの市民に親しまれている。
大きな飾屋根(破風) を複雑に組み合わせた 美しいデザインが特徴。天守を目立たせるため の工夫である。
天守は、人が住むところ ではなかった。城主の鎧兜など、井伊家にとって大切なもの が保管されていた。
3 階の窓からは、彦根の城下町や琵琶湖 、佐和山、伊吹山など、城主が治める領地を眺ながめるこ とができる。
表御殿跡
江戸時代の初め、城山の東の麓に、城主が暮表御殿 が建てられた。表御殿には、家臣がやってきて、城主といっしょに 政治を行った。明治時代の初めに壊された表御殿跡には、現在、江 戸時代の建物を復元した彦根城博物館が建てられている。
彦根城博物館には、江 戸時代に殿様と家臣が いっしょに狂言や能を観た能舞台がある。城の中に本物の能舞台 が残っているのは、ここだけ。
玄宮園
彦根城の中に作られた庭園。美しい景色を楽しむことができるだけでなく、武士ならではの工夫や施設がたくさん隠されている。自由に野山に行けなかった武士たちが、庭園に野山を表現し、そこを舞台と して、いろいろな活動を行った。
藩校弘道館跡
藩校とは、江戸時代につくられた、武士が勉強するための学校のこと。 彦根では、15 歳から30 歳まで、世の中を治おさめるために必要な学問や心構えを学んだり、武術の練習をしたりしていた。現在、藩校の跡地 は西中学校のグラウンドになっている。
市し 指定文化財 金亀会館 弘道館の講堂だった建物 は、1923 年に移築築され、 現在の中央町に残っている。藩校の建物が残っている のは、とても貴重。
武家屋敷
彦根城の築城にともなって、天守の近くに、たくさんの武家屋敷がつ くられた。江戸時代の彦根城下町には、武士とその家族が約2万人 暮らしていた。
(彦根市『彦根城を世界遺産に』PDFをもとに作成)
彦根城を世界遺産に(広報資料)
彦根市「彦根城を世界遺産に」公式サイト
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彦根城を世界遺産に/彦根市
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パンフレット「彦根城を世界遺産に」(PDF)
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彦根城世界遺産登録 意見交換・応援1000人委員会
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