自然遺産
資産名:
プレ山及びマルティニーク島北部の峻峰群の火山と森林
Volcanoes and Forests of Mount Pelée and the Pitons of Northern Martinique
国名:フランス
登録年:2023年
登録基準:(viii)(x)
概要:
プレー山とピトン・デュ・カルベの世界的な意義は、火山の特徴、物質、プロセスを表現していることにある。1902年から1905年にかけての噴火は、火山学の歴史にとって重要な出来事であり、サンピエールの町に劇的な影響を与え、その結果、悲劇的な人命が失われ、マルティニークの文化の一部として残る遺産となった。マルティニーク火山カエル(Allobates chalcopis)、ラセペード地ヘビ(Erythrolamprus cursor)、マルティニーク固有種オリオール(Icterus bonana)など、世界的に絶滅の危機に瀕している種が生息している。(世界遺産センターHPより)
プレー山( アンティル・クレオール語: Montann Pèlé、「はげ山」または「皮をむいた山」の意)は、カリブ海の小アンティル火山弧にあるマルティニーク島とフランス海外県の北端にある活火山である。その火口丘は固まった火山灰と固まった溶岩の成層で構成されている。最も最近の噴火は1932年である。1902年の成層火山の噴火はサン=ピエールの町を破壊し、数分の間に29,000人から30,000人が死亡した20世紀最悪の火山災害となった。
主の昇天の祭日である5月8日、人々は朝から噴火する山を見物していた。7時52分、それまで火山の情報を送っていたサン・ピエールの電信士が "allez"(どうぞ)とフォール・ド・フランス(サン・ピエールの南にある町)に送信したのを最後に町との連絡は途絶えた。その時、サン・ピエールに停泊していた船から噴火の様子が目撃された。山は4度にわたって爆発し、噴煙が上空に噴き上がる一方、その一部が火砕流となってサン・ピエールの方向へ流れて行った。
高温の火砕流は瞬く間にサン・ピエールを飲み込み、建物を倒壊させると共に大量のラム酒を貯蔵した倉庫を爆発させたために火災旋風となって町は炎に包まれた。港に停泊していた18隻の船も巻き込まれて16隻が沈没したが、奇跡的に焼け残った2隻の船内にいた約100人が生還できた。
災害発生により派遣された軍艦は12時30分頃に到着したが、火砕流の熱により午後3時頃まで接岸できなかった。町はその後数日間燃え続け、破壊された町並みと多くの焼死体があって、死者の中には、高温で脳の水分が気化したために頭蓋骨が割れたものもあったという。しかしながら町全体には厚さ30センチメートル程度の火山灰が覆っていただけで、火砕流の本体である岩や礫や砂はほとんどなかった。火砕流の速度は時速約150~200km、温度は約1,000℃であったと推測されるが、サン・ピエールに到達したのは火砕流上部の、火山灰や火山ガスを主とする密度が小さく流動性の大きな部分だけで、溶岩塊を含んだ高密度の本体は地形の影響を受けやすく、サン・ピエールのはるか手前で谷に入ってサン・ピエール直撃コースを外れ、海に流れて行った。町に流入した低密度で高温の流体はその特性から「熱雲」と呼ばれ、火砕流の代名詞としてしばしば用いられた。
この災害による死者数ははっきりしないが、サン・ピエールの住民と避難民合わせて2万4,000人とも、3万人ないし4万人とも言われる人々が僅か数分(時計は噴火の2分後に停止している)のうちに死亡した。(Wikipediaより)