文化遺産
遺産名:
スプリトのディオクレティアヌスの宮殿と歴史的建造物群
Historical Complex of Split with the Palace of Diocletian
国名:クロアチア
登録年:1979年
登録基準:(ii)(iii)(iv)
概要:
ディオクレティアヌス宮殿は、クロアチアの都市スプリトに残っている宮殿で、3世紀末から4世紀初頭にかけて古代ローマのディオクレティアヌス帝によって建てられたものである。ディオクレティアヌスは、西暦305年5月1日に帝位を退いた後に隠棲しようと、巨大な宮殿を建てた。実際の建造は、ディオクレティアヌスが帝位を退く10年前の、295年から始められていた。この宮殿は現在、他の重要な歴史的建造物群とともに、スプリトの中心市街にある。ディオクレティアヌス宮殿は、その保存状態の良好さによって、一地域にとっての文化財というだけにとどまらなくなっている。この宮殿は、クロアチアのアドリア海沿岸では、最も有名でよく整っている建築的・文化的な遺産であり、地中海の宮殿、ひいてはヨーロッパや世界のものに目を移しても、その中で際立ったものといえる。(Wikipediaより)
Photo by Chun Nam Ting, Takashi Mizoguchi, Nada Magazin, Mateus de Carvalho Viegas, Berliner Weisse, Martin, René, Chun Nam Ting from Flickr
歴史
ディオクレティアヌスは、西暦305年5月1日に帝位を退いた後に隠棲しようと、巨大な宮殿を建てた。実際の建造は、ディオクレティアヌスが帝位を退く10年前の、295年から始められていた。それはダルマティアの皇帝属州州都サロナから6.5 km ほどにあたる、ダルマティアの海岸から伸びる短いイストリア半島の南側の湾に位置していた。その地域は海に向って緩やかに傾斜しており、典型的なカルスト地形で、石灰岩の尾根が東から西に走っていた。
中世が終わった頃には、西欧では本宮殿の存在そのものが実質的に分からなくなっていた。この状況が打破されたのは、1764年のことである。この年に、フランス人の芸術家・古物収集家シャルル=ルイ・クレリソをはじめとする創案者たちの意向で宮殿の調査を行っていた、スコットランド人の新古典派様式建築家ロバート・アダムが、その成果を『ダルマティアのスパラトロにあるディオクレティアヌス帝の宮殿遺跡』 として公刊したのである。
関連動画へのリンク
Historical Complex of Split with the Palace of ... (UNESCO/NHK)
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UNESCO公式HP(英語版)へのリンク
https://whc.unesco.org/en/list/97