文化遺産
遺産名:
ローマ帝国の境界線
Frontiers of the Roman Empire
国名:イギリス、ドイツ
登録年:1987年
登録基準:(ii)(iii)(iv)
概要:
ローマ帝国の繁栄と衰退を残す文化的景観が評価されて、1987年にイギリスのハドリアヌスの長城が単独で登録された。その後、2005年にドイツのリーメスを拡大登録した際に現在の名称となり、2008年にはイギリスのアントニヌスの長城も含まれることが決定した。ハドリアヌスの長城は、イングランド北部のスコットランドとの境界線近くにある長城で、1世紀後半に版図にブリタニアを組み込んだローマ帝国がケルト人のうち、ローマに服従していないピクト人など北方諸部族の進入を防ぐために築いた。皇帝ハドリアヌスが長城の建設を命じ、122年に工事が開始される。リーメスまたはリメス(Limes)は,ドイツのライン川とドナウ川の間に残るローマ帝国時代の長城跡。リーメスの建設は、紀元前2世紀頃から始まり、目的としては、ゲルマン民族の侵入からライン川・マイン川流域の肥沃な土地と通商路を守るためであった。リーメスの遺構は、主に長城と物見櫓、砦に分けられる。アントニヌスの長城はスコットランドの中央部に残る石と土で作られた古代ローマ時代の防塁。(Wikipediaより)
Photo by SD P, John S Beesley, orientalizing, peter bond, Jay Matthews, Adrian, John Koelle, Oliver Bildesheim, Carole Raddato from Flickr
主な構成資産
ハドリアヌスの長城
ハドリアヌスの長城はイングランド北部、スコットランドとの境界線近くにある。ローマ帝国は1世紀半ばにブリタニアまで領土を拡大させたが、ケルト人の侵入に悩まされていた。そこで皇帝ハドリアヌスが長城の建設を命じ、122年に工事が開始される。完成には10年の歳月がかかった。作業者は、ローマ帝国の支配地から動員された。領土拡張を続けていたローマ帝国が、拡張政策を続けることを断念した政策転換点としても象徴的な建造物の一つである。
リーメス
リメスはラテン語で境界を意味し、英語の「Limit」の語源でもある。リメスの建設は、1世紀末頃から始まり、目的としては、ゲルマン民族の侵入からライン川・マイン川流域の肥沃な土地と通商路を守るためであった。リメスは、ローマ帝国の繁栄と衰退を象徴する文化的景観が評価され、世界遺産に追加登録された。
アントニヌスの長城
長城の建築はアントニヌス帝の統治下、西暦142年から144年にかけて行われた。長城はクライド湾沿いの古キルパトリック(ウェスト・ダンバートンシャイア)からフォース湾沿いのフォールカークまで60キロに及んでいる。長城は160キロ南にあるハドリアヌスの長城に代わるものとして建設されたが、ローマ人は城壁北方に城堡や基地を築き、スコットランド人(カレドニア人)を征圧できなかったため、長城は幾度もの攻撃にさらされた。
(Wikipediaより)
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関連動画へのリンク
ローマ帝国の国境(英語、パート1/2)
ハドリアヌスの城壁-ローマ帝国の国境🇬🇧イギリス最高の場所
UNESCO公式HP(英語版)へのリンク
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Frontiers of the Roman Empire - UNESCO World Heritage Centre
UNESCO World Heritage Centre
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