文化遺産
遺産名:
ヴォーバンによる要塞建築群
Fortifications of Vauban
国名:フランス
登録年:2008年
登録基準:(i)(ii)(iv)
概要:
ヴォーバン領主セバスティアン・ル・プレストルは、フランス国王ルイ14世に仕えた17世紀に活躍したフランスの軍人(技術将校)、建設技術者、建築家、都市計画家。軍隊技術者の中でもっとも有名な人物として知られる。150の戦場の要塞を建設あるいは修理し、53の城塞包囲攻撃を指揮したといわれる。近代的な稜堡式の要塞の築城法を体系化し、「落ちない城はない」と言われたほどの要塞攻城の名手であった。建設した要塞のうち12箇所は、2008年にヴォーバンの防衛施設群として、世界遺産に登録された。
軍事技術者としてのヴォーバンの素質は、新しい方法の発明よりむしろ伝統的方法を使用し適合させた機略縦横の点にあったといわれ、その巧妙さはピレネー山脈のモン=ルイ、そしてサヴォイア公国領にあるモン・ドーファンやケイラ城のような困難な場所においてよく発揮されている。
手がけた要塞のうちでもっとも有名なのは、リール要塞(1668-1674)、モブージュ要塞(1679年-1685年)、そしてヌフ・ブリザック(1697年-1708年)である。彼の要塞のいくつか、とりわけロンウィ(1678年建造)は1914年-1918年の戦争にいたるまで効果的に軍用として用いられた。
中世までの石積みで背の高い城壁は、ルネサンス期に攻城砲が出現すると格好の射撃目標となった。攻城砲の威力を減殺するために、城壁は背が低く厚みのある土塁へと変化していった。一方で防御側としても、同時期に登場した銃の威力を活用し、攻め寄せてくる敵に十字砲火を浴びせられるよう、死角がないように城壁から外向きに突き出した稜堡が築かれるようになった。こうして稜堡式城郭が発達していった。
ヴォーバン式要塞は稜堡式城郭の完成形とも言える。ヴォーバンの築城法は、それまでにフランスやイタリアで定着していた方法と比べ独創的なものではない。ただし、それらを精緻な体系として作り上げたことにヴォーバンの功績がある。(Wikipediaより)
ヴォーバンの要塞建築技術は、後に西洋だけでなく函館の五稜郭など日本を含む世界の軍事建築に影響を与えた。