文化遺産
遺産名:
ボルドー、月の港
Bordeaux, Port of the Moon
国名:フランス
登録年:2007年
登録基準:(ii)(iv)
概要:
「月の港ボルドー」は、かつて港町として栄えたボルドーの歴史地区を指す。フランスの世界遺産の一つである。「月の港」とは、このボルドーを指す異称であり、ガロンヌ川が三日月形に湾曲した地点の南岸に沿って発達した交易港であったことに因む。
世界遺産登録に当たって特に評価されたのは、ルイ=ユルバン=オーベール・ド・トゥルニー らによって形成された啓蒙時代の新古典主義建築の都市計画および歴史的建造物群が現在も良好に保存されていることである。
加えて、ケルト時代(古代ローマの植民都市になる以前)に町が創設された古い歴史を持ち、アキテーヌ公国の首府だった。
ボルドーはワインを扱うとともに、サン・ドマングをはじめとするアンティル諸島の植民地で生産された砂糖やコーヒー、そして奴隷なども扱った。ボルドーは、植民地から買い入れた商品をドイツやオランダの諸都市に売る中継貿易によって、大いに潤った。
(Wikipediaより)
関連動画へのリンク
世界遺産クイズ
ボルドーのハイキング・ルート
18世紀以降の都市計画に関わる名所
ボルドーの現在の街並みは、絶頂期だった18世紀の新古典主義の都市計画によるもので、ブルス広場や大劇場などが残る。
ブルス広場 (Place de la Bourse)
ブルス広場 (place de la Bourse)は、旧市街地中心部がガロンヌ川に面する場所にある。
ブルス広場およびそれを半円形に囲む建物は、アンタンダンのブーシェの下で、王付建築家アンジュ=ジャック・ガブリエルによって、1730年から1775年にかけて手がけられたものである。当時の広場の名称は王国広場である。
ブーシェはボルドーをガロンヌ川に開かれた都市にしたいと考え、右岸からやってくる人々を歓迎するような左岸のファサードを作りたいと考えた。王国広場は、中世の城壁を取り壊してつくられたが、それは彼のそうした考えを反映したものである。
王国広場と宮殿・フェルム館は、広場の中央に配されたルイ15世の騎馬像を囲む宝石箱のようなものとして企図され、1749年に落成するや、都市の繁栄のシンボルとされた。
フランス革命が起こると1792年に騎馬像は溶かされ、代わりに自由の樹が立てられ、広場は自由広場 (place de la Liberté) と改称された。第一帝政になると広場は帝国広場 (place Impériale) と改称されたが、復古王政期になると新王国広場 (nouveau place Royale) とさらに改称された。1828年には、広場の中央に白い柱頭と地球儀を戴いた慎ましやかな噴水が置かれた。
7月王政が倒れた1848年にブルス広場と改称され、現在もこの名称が使われている。1869年には、広場の中央のモニュメントは、ルイ・ヴィスコンティ の設計に基づく三女神の噴水 (fontaine des Trois Grâces) に置き換えられた。
この広場は、18世紀フランスの新古典主義建築の最も代表的な作品の一つである。現在は、広場の北のブルス宮殿にはボルドーの商工会議所と郵便局が入っている。南のフェルム館(l'Hôtel des Fermes)には関税関係の事務局と関税博物館が入っている。フェルム館の彫刻は芸術の守護神ミネルウァと商業神メルクリウスを表している。
2009年、ミシェル・コラジュが設計した「水の鏡」(数分置きに霧を散布し水が張られる水盤)が広場に設置された。
大劇場(Grand Théâtre )
大劇場は、コメディ広場にある。この広場は元々は町を守護する女神トゥテラ (Tutela) の柱が立つガロ=ローマン期の大集会場の跡地に成立したものである。
大劇場は建築家ヴィクトル・ルイによって1773年から1780年に建てられたもので、ルネサンス様式を採用した優れた建築として史跡に指定されている。パリのオペラ座を手がけたシャルル・ガルニエは、オペラ座を設計するに当たり、この大劇場に触発されたといわれる。
ファサードは12本のコリント様式の円柱が並び、12体の石像で飾られている。その石像は、ウェヌス、ユノ、ミネルウァ、9人のムーサイという計12人の女神を象っている。
カンコンス広場 (Place des Quinconces)
カンコンス広場 (Place des Quinconces) は、アキテーヌ公の居城に由来するトロンペット城の跡地に作られた広大な広場。12万6000m2 は、ヨーロッパの都市広場としては最大である。
広場自体は1810年から1822年に整備され、19世紀末にはジロンド派記念碑が建てられた。この記念碑は元々フランス革命100周年を控えた1881年に企画されたものであったのだが、実際の製作は1894年から1902年にかけてのことであった。
ジロンド派記念碑は、建築家ヴィクトル・リシュ (Victor Rich)、彫刻家アシル・デュミラトル (Achille Dumilâtre)、フェリックス・シャルパンチエ (Félix Charpentier)、ギュスターヴ・ドブリ (Gustave Debrie) らの着想によるものである。彼らは二つの池の中央に高さ43mの円柱を立てた。
記念碑は第二次世界大戦中に金属の供出のために撤去された。全体が復元されたのは1983年のことであった。
その他の名所
サン=タンドレ大聖堂 (cathédrale St.-André)
サン=タンドレ大聖堂 (cathédrale St.-André) の名は、1440年頃にボルドー大学を創設した大司教に因んでいる。彼の遺体は大聖堂の主祭壇の後ろに葬られた。
大聖堂自体は1096年にウルバヌス2世によって献堂された。大聖堂は長さ124mの身廊を持つラテン十字型の平面図に従って建造されている。11世紀ロマネスク様式の初期建造物は、身廊内部の壁しか残っていない。「王の門」は13世紀前半にまで遡れるが、後陣と翼廊は14世紀から15世紀にまでしか遡れない。
大聖堂は「フランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」の一部として、1998年に世界遺産に登録されている。
大聖堂に近接して高さ66mの鐘楼であるペイ・ベルラン塔(Tour Pey-Berland)が建っている。
カイヨ門(Porte Cailhau)
カイヨ門(Porte Cailhau)は、1494年、フランス国王シャルル8世のフォルノーヴォ(イタリア)の戦いでの勝利を讃えるために造られた。川に面した壁のくぼみには、シャルル8世の像を見ることができる。また、案内板には慌ただしく訪れる観光客に対して、頭をぶつけて亡くなったシャルル8世の二の舞にならぬよう、門の低さに関する注意書きが記されている。
動画によるボルドーの紹介
ボルドーバケーション旅行ガイド| Expedia
Bordeaux, France Walking Tour (4k Ultra HD 60fps)
ボルドーのワイン
ボルドーへ行こう
https://www.bordeaux-wines.jp/knowledge/bordeaux-tour.html
ワインツアー (Veltra)
[https://www.veltra.com/jp/europe/france/bordeaux/ctg/3432:france_winery/
ボルドーワインの基礎知識!右岸と左岸の違い
https://www.enoteca.co.jp/article/archives/934/