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「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群

2021年3月18日

概要

文化遺産
資産名:
「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群
Sacred Island of Okinoshima and Associated Sites in the Munakata Region
国名:日本
登録年:2017年
登録基準:(ii) (iii)
概要:
九州北部の福岡県宗像市と福津市にある沖ノ島、宗像大社、古墳群の3つの要素で構成される8資産からなる世界遺産である。沖ノ島は九州本土から約60kmの玄界灘にあり、朝鮮半島と中国大陸との交流の中継点として、航海安全に関わる古代祭祀遺跡が残されている。宗像大社には、沖ノ島に対する自然崇拝から生まれた宗像三女神のうち田心姫神が祀られている。古墳群は、5〜6世紀頃に築かれた宗像氏の古墳群で、宗像・沖ノ島の祭祀を示す遺産である。

地図

スライドショー

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Solitary,Island,Okinoshima,Of,The,World,Heritage,Sea
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沖ノ島は、九州本土から約60kmの玄界灘の会場に位置し、日本列島から朝鮮半島や中国大陸へと向かう航海上の目印となる島であった。そのため島自体が自然崇拝の信仰を集め、4世紀頃から約500年間もの間、海の航海の安全を祈る場として国家的な祭祀が行われたきた。4世紀というのは、ヤマト王権と朝鮮半島の百済の結びつきが強まった時期である。沖ノ島には、そうした交易の証拠と祭祀の跡が残されている。

宗像大社は、自然崇拝から始まった沖ノ島の信仰が、宗像三女神という人格をもった神に対する信仰へと発展し、その両者が共存しながら、宗像・沖ノ島の信仰を形作ったことを証明している。9世紀に遣唐使が廃止されると、沖ノ島の重要性が薄れ、国家的な祭祀が行われなくなったが、その間も宗像三女神に対する信仰は続き、17世紀頃からは社殿が作られ始めた。宗像大社は沖ノ島の「沖津宮」、沖ノ島と九州本土の間にある大島の「中津宮」、九州本土の「辺津宮」の三社からなる。それぞれに天照大神が誓約で生み出した宗像三女神を、沖津宮が「田心姫命」、中津宮が「湍津姫命」、辺津宮が「市杵島姫命」と祀っており、三社一体の信仰を作り上げている。

登録基準

登録基準 (ii) ある期間にわたる価値観の交流を示す

航海安全のための祭祀で捧げられた、多様な来歴をもつ豊富な出土品によって、「神宿る島」沖ノ島は、4世紀から9世紀の間の東アジアにおける諸国家間の重要な交流を示している。用いられた品々の配置や祭場の構成などによる古代祭祀の変遷は、中国大陸、朝鮮半島、日本列島を拠点とした国々がアイデンティティの感覚を発達させた時期に起こり、日本の文化の形成に本質的に貢献した、活発な交流の性質を反映するものである。

登録基準 (iii) ある文化的伝統又は文明の存在を伝承する物証

沖ノ島に保存されてきた考古学的な遺跡はほぼ手つかずで残されており、そこで行われた祭祀が約五百年の間にどのように変遷したかの記録を提供している。島に対する崇拝は、「遥拝」の伝統とともに、沖ノ島の沖津宮、大島の中津宮、九州本土の辺津宮という宗像大社の三つの信仰の場における、宗像三女神への崇拝という形で継続してきた。

遺産の概要

九州北部の福岡県宗像市と福津市にある「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産軍」は、「沖ノ島」「宗像大社」「古墳群」の3つの要素と8つの資産で構成される。この3つの要素が一体となって、宗像・沖ノ島の信仰の歴史を証明している。

九州本土から約60㎞離れた沖ノ島と、大島および九州本土に位置するその関連遺産群は、古代から現在まで発展し継承されてきた、神聖な島を崇拝する文化的伝統の顕著な物証である。沖ノ島には、日本列島、朝鮮半島および中国大陸の諸国間の活発な交流に伴い、4世紀後半から9世紀末まで続いた、航海安全に関わる古代祭祀遺跡が残されている。古代豪族の宗像氏は、沖ノ島に宿る神への信仰から、宗像三女神信仰を育みました。沖ノ島は三女神をまつる宗像大社の一部として、島にまつわる禁忌や遥拝の伝統とともに、今日まで神聖な存在として継承されてきた。

4世紀後半、対外交流の活発化を背景に巨岩の上で「岩上祭祀」が始まった。岩と岩とが重なる狭いすき間に、丁寧に奉献品が並べ置かれていた。祭祀に用いられた品は、銅鏡や鉄剣などの武具、勾玉などの玉類を中心とし、当時の古墳に副葬された品々と共通する。また、鏡・剣・玉は、日本神話の「三種の神器」といわれ、後世まで長く祭祀で用いられる組み合わせである。

5世紀後半になると、祭祀の場は庇のように突き出た巨岩の陰へと移り変わる。この「岩陰祭祀」の奉献品には、鉄製武器や刀子・斧などのミニチュア製品、朝鮮半島からもたらされた金銅製の馬具などがあった。 金製指輪は新羅の王陵から出土した指輪とよく似ており、 また、イラン製のカットグラス碗片は遥かシルクロードを経てもたらされたと考えられ、重要な交流の証になっている。危険な海を越えて対外交流を行なった古代の人々は、これらの貴重な品々を供え、神に祈りを捧げたのである。約8万点もの各時代の貴重な奉献品が発見され、そのすべてが国宝に指定されている。

宗像地域では、7世紀後半までに大島の御嶽山祭祀遺跡、九州本土の下高宮祭祀遺跡でも、 沖ノ島での祭祀と共通性をもった「露天祭祀」が行われるようになった。一方、8世紀前半に成立した日本最古の歴史書である『古事記』『日本書紀』には、宗像氏が沖津宮・中津宮・辺津宮で 宗像三女神を祀っていると記され、海によって結ばれる三宮で宗像三女神を祀る「宗像大社」が成立したことがわかる。そして三女神への信仰は、社殿のある三宮において行われる「社殿を持つ祭祀」へと発展し、宗像地域の人々によって守られてきたのである。宗像大社は、自然崇拝から始まった沖ノ島の信仰が、「宗像三女神」という人格を持った神に対する信仰へと発展し、その両者が共存しながら「宗像・沖ノ島」の信仰を形作ったことを証明している。

構成資産の紹介

宗像大社沖津宮(沖ノ島,小屋島,御門柱,天狗岩)

「宗像神社境内」として沖ノ島全体が御神体で国の史跡に指定、「沖ノ島原始林」が国の天然記念物に指定。また、「福岡県宗像大社沖津宮祭祀遺跡出土品・伝福岡県宗像大社沖津宮祭祀遺跡出土品」として約8万点の出土品が国宝に指定されており、「海の正倉院」とも呼ばれる由縁となっている。正式版の推薦書では、島の手前にある小屋島・御門柱・天狗岩の三つの岩礁が鳥居の役割を果たしている。沖津宮は宗像大社三宮の1つであり、宗像三女神の一柱である田心姫命たごりひめのかみが祀られている。

沖津宮 (Flickr)

宗像大社中津宮

宗像市大島。「宗像神社境内」(三宮の一つ)として国の史跡に指定、本殿は福岡県の有形文化財に指定。宗像三女神のうち湍津姫命たぎつひめのかみが祀られている。沖津宮遙拝所と同様に大島にある。中津宮背後に聳える御嶽山山頂に鎮座する御嶽神社(中津宮上宮)と、その裏で確認された御嶽山祭祀遺跡および山頂に至る参道も構成資産範囲になっている。

宗像大社中津宮 (Flickr)

宗像大社沖津宮遙拝所

沖ノ島から約48lm離れた大島にある信仰の場。禁忌によって通常は渡ることのできない沖ノ島を遠くから拝むために、宗像大社の一部として設けられた。晴れて空気の澄み切った日には、ここから沖ノ島をのぞむことができる。「宗像神社境内」として国の史跡に指定。現在の社殿は1933年(昭和8年)に建立。

沖津宮遙拝所 (Flickr)

宗像大社辺津宮

宗像市田島。「宗像神社境内」(三宮の一つ)として国の史跡に指定、本殿及び拝殿は国の重要文化財に指定。境内奥にある高宮祭場の地中にある下高宮祭祀遺跡は沖ノ島および御嶽山祭祀遺跡同様の露天祭祀遺構である。宗像三女神のうち市杵島姫命いちきしまひめのかみが祀られている。現在の宗像大社の神事の中心となっている。

宗像大社辺津宮 (Flickr)

新原・奴山古墳群

宗像大宮司を務めた宗像氏に関わる古墳とされ「津屋崎古墳群」の一部。国の史跡に指定されている。

(Wikipediaより)

登録の経緯

自然崇拝を元とする固有の信仰・祭祀が4世紀以来現代まで継承されている点などが評価された(登録基準iii)。世界遺産委員会では、航海と結びつく世界遺産の少なさを補完する物件という観点からも評価された(登録基準ii)。ICOMOSの事前勧告では、沖ノ島と小屋島、御門柱、天狗岩の4資産にのみ「登録」勧告が出されたが、世界遺産委員会では三社一体の信仰が評価され、8資産全体での登録となった。また世界遺産委員会では、緩衝地帯などでの開発の影響評価や、上陸が禁忌とされる沖ノ島への不法上陸対策、遺産の管理体系の明確化などが求められた。(『世界遺産300』より)

世界遺産クイズ

世界遺産検定クイズ

関連動画へのリンク

世界遺産「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群 解説動画

UNESCO公式HP(英語版)へのリンク

https://whc.unesco.org/en/list/1535

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