スヴェティツホヴェリ大聖堂 , Flickr

ジョージア 重要遺産

ムツヘタの歴史的建造物群

2021年11月11日

文化遺産
遺産名:
ムツヘタの歴史的建造物群
Historical Monuments of Mtskheta
国名:ジョージア
登録年:1994年
登録基準:(iii)(iv)
概要:
ムツヘタの歴史的建造物群は、ジョージア(グルジア)の古都ムツヘタに残る3件のキリスト教建造物を対象とするUNESCOの世界遺産リスト登録物件である。かつてイベリア王国の首都であり、グルジア正教会(ジョージア正教会)にとっても重要な地位を占め続けたムツヘタの教会建造物群は、中世コーカサス地方の文化水準の高さや教会建築の様式を伝える優れた例証として評価され、1994年に「バグラティ大聖堂とゲラティ修道院」とともに、ジョージア初の世界遺産として登録された。2009年からは管理計画の問題点などを理由として、危機にさらされている世界遺産(危機遺産)リストにも登録されたが、2016年の第40回世界遺産委員会でリストからの除去が決定した。

温和な気候と肥沃な土地に恵まれているムツヘタは交通の要衝にあり、紀元前4世紀にイベリア王国の首都になった。西暦334年には聖女ニノの働きかけによって、キリスト教がイベリア王国の国教と定められ、首都ムツヘタにも最初の木造聖堂が建設された。この時期がムツヘタの最盛期であったが、6世紀には首都がトビリシに移った。町の規模は小さくなったが、その後も総主教座が残るなど、グルジア正教の中心地であり続けた。

スヴェスティツホヴェリ大聖堂の聖女ニノのイコン (Wikipedia)

ジワリ聖堂は、小高い丘の上にあった異教の神殿跡にニノが十字架を建てたことに由来するとされ、ジョージア国内でも特に聖なる場所として崇められた。6世紀半ばに小さな聖堂が建てられた後、6世紀末に砂岩のより大きな聖堂に建て直された。テトラコンチと呼ばれる四葉型の建築様式はグルジア一帯の伝統的な様式に則っており、ジワリ聖堂を範として建てられた聖堂は国内に多く存在している。

スヴェティツホヴェリ大聖堂は、キリスト教がイベリア王国の国教となった後、ムツヘタの王宮の庭に最初に建てられた木造聖堂の跡地に建てられたとされ、ジョージアの聖堂の中では古さと大きさの点で群を抜く。名前は「生きた柱」ないし「生命を授ける」の意味で、もともとあった木造聖堂の柱がニノの祈りで直立したという伝説にちなんでいるという。木造聖堂は5世紀に石造のバシリカとなったが、現存するのは1010年から1029年に再建されたものである。大聖堂はその後も修復や改築を経ている。

(Wikipediaより)

1級検定模擬試験問題

ムツヘタの歴史的建造物群について、正しいものはどれか

-ジョージア, 重要遺産