文化遺産、危機遺産
遺産名:
古代都市パルミラ
Site of Palmyra
国名:シリア
登録年:1980年
登録基準:(i)(ii)(iv)
概要:
パルミラは、シリア中央部のホムス県タドモルにあるローマ帝国支配時の都市遺跡。シリアを代表する遺跡の1つである。1980年、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。21世紀初頭までローマ様式の建造物が多数残っており、ローマ式の円形劇場や、浴場、四面門が代表的であったが、シリア内戦で破壊を受けた(後述)。ラテン語読みによるパルミュラとも呼ばれる。
紀元前1世紀から3世紀までは、シルクロードの中継都市として発展。交易の関税により都市国家として繁栄。ローマの属州となったこともある。2世紀にペトラがローマに吸収されると、通商権を引き継ぎ絶頂期に至った。この時期、パルミラにはローマ建築が立ち並び、アラブ人の市民は、東のペルシャ(パルティア)式と西のギリシャ・ローマ式の習慣や服装を同時に受容していた。
「軍人皇帝時代」にパルミラ帝国が成立し、270年頃に君臨した女王ゼノビアの時代にはエジプトの一部も支配下に置いていた。しかし、ローマ皇帝ルキウス・ドミティウス・アウレリアヌスは、当時分裂状態にあった帝国の再統一を目指してパルミラ攻撃を開始。273年にパルミラは陥落し、廃墟と化した。
2013年、パルミラは危機遺産リストに登録された。シリア内戦下の2015年5月21日、カリフ制によるイスラム過激派組織ISIL (ISIS) がシリア軍を撃破して市街地を制圧、遺跡も同組織の支配下に置かれた。その際、遺跡の保護に携わっていた専門家ハレド・アサドを斬首し、8月にはバール・シャミン、ベル両神殿を相次いで破壊した。ハレド・アサドは、遺跡に眠ると噂されていた金塊捜索への協力を拒否したため殺害された。2015年10月4日にはシリアの文化財保護当局が、地元の目撃者らの話として凱旋門が爆破されたことを伝えた。2017年にISから奪還されたが、パール・シャミン神殿やベル神殿、凱旋門など約2,000年前の貴重な遺跡が失われた。
登録基準(i)。ダマスカスの北東、シリアの砂漠にそびえるパルミラの遺跡の素晴らしさは、紀元1世紀から3世紀まで断続的にローマの支配下にあった裕福なキャラバンオアシスのユニークな美的達成の証しです。大列柱廊は、主要な芸術的発展を表す構造のタイプの特徴的な例を構成しています。
登録基準(ii): 17〜18世紀の旅行者がパルミラの遺跡の素晴らしさを認識し、その後の西洋における古典的建築様式の復興と都市デザインに大きく貢献した。
登録基準(iv) 中央が開放された壮大な列柱通り、屋根付きの側廊、主要な公共建築物とともに同様のデザインの補助的な横道は、ローマの東方拡大および関与のピーク時の建築と都市配置の優れたイラストレーションを形成している。バアル大神殿は、紀元1世紀の東方における最も重要な宗教建築のひとつであり、ユニークなデザインであると考えられている。大神殿から都市にアプローチする記念碑的なアーチの彫刻処理は、パルミレネ芸術の傑出した一例である。城壁の外側にある「墓の谷」と呼ばれる地域の大規模な葬祭用モニュメントには、独特の装飾や工法が見られます。
(Wikipedia、世界遺産センターHPより)