概要
文化遺産
遺産名:
イスタンブールの歴史地区
Historic Areas of Istanbul
国名:トルコ
登録年:1985年
登録基準:(I)(ii)(iii)(iv)
概要:
イスタンブール歴史地域は、4世紀以来東ローマ帝国の帝都コンスタンティノポリス(英語名コンスタンティノープル)が、15世紀からはオスマン帝国の帝都イスタンブール(別名コスタンティニエ)が位置した、現在のイスタンブールの旧市街地区に設定されている。
この町はアジア州のアナトリア半島とヨーロッパ州のバルカン半島を隔てるボスポラス海峡のヨーロッパ側にある半島に位置し、海峡を抜けて北に出れば黒海、南に抜ければエーゲ海に至る海上交通の要衝でもある。
紀元前7世紀頃、このイスタンブール旧市街地区に最初の都市をつくったのはギリシャ人入植者たちで、彼らの建てたビュザンティオンは旧市街のある半島の先端にあった。最古の城壁は、遺跡公園地区の北部、現在のトプカプ宮殿の城壁にアヤソフィアのあたりを加えた程度の広さしかなかった。古代ギリシアが古代ローマに組み込まれるとビュザンティオンもローマ都市となり、3世紀には城壁のすぐ側にヒッポドローム(競馬場)が建設された。
330年、ローマ帝国のコンスタンティヌス1世はローマに代わる首都としてビュザンティオンを選び、コンスタンティノポリスと改名。従来の城壁の2km西にコンスタンティヌスの城壁が築かれ、市域を大幅に拡張してローマに匹敵する大都市を建設した。
同じ世紀の末にはローマ帝国の東西分裂によって東ローマ帝国(ビザンツ帝国)の首都となり、ヴァレンス水道橋(378年完成)やハギア・ソフィア大聖堂(537年竣工)などの、現存する優れた建造物が次々に建設された。413年にはテオドシウスの城壁が完成、市域をコンスタンティヌスの城壁からさらに西に2km伸ばし、堅固な城壁と海によって囲まれ、壮麗な宮殿と数百にも及ぶ教会が立ち並ぶ大都市コンスタンティノポリスが完成する。その人口は東ローマ帝国の盛衰にともなって上下するが、大城壁の堅い守りによって、1204年の十字軍による攻略まで外敵による占領を受けることはなかった。
1453年のコンスタンティノポリス陥落によって東ローマ帝国が最終的に滅ぶと、新たな支配者であるオスマン帝国は、ハギア・ソフィア大聖堂やパントクラトール修道院付属教会、城壁近くのコーラ修道院などのキリスト教の教会をモスクに転用した。このとき、モザイクの壁画は漆喰に塗りこめられたので、かえって20世紀に漆喰がはがされるまで無事に保存されることになる。
また、古代ビュザンティオン市の跡地にトプカプ宮殿が造営され、16世紀にはビザンティン建築の精華を十分に吸収したムスリム(イスラム教徒)の建築家ミマール・スィナンによってスレイマニエ・モスクなど、すぐれたトルコ・イスラム建築が建てられた。17世紀にはハギア・ソフィア大聖堂あらためアヤソフィア・モスクと並ぶようにスルタンアフメト・モスク(通称ブルー・モスク)が建設されるなど、モスクのミナレットと大ドームが林立するイスタンブール歴史地域の美しい景観がはぐくまれていった。
イスタンブールはオスマン帝国の繁栄のもと都市化が進み、市街地は城壁や海を越えて広がっていった。古くからの市街は19世紀以降、人口稠密な旧市街地区となっていき、政府機能も市街の外に離れる。
しかし、かつての宮殿やモスクはよく保存され、20世紀に成立したトルコ共和国のもとで保存と修復、公開が行われている。トルコは1923年から始めた旧市街整備の際には、旧市街に幹線道路を通して文化財の損壊を招いたこともあったが、その後の整備はそうした反省に立って行われている。
現在では世界中から旅行者を引き寄せる大観光地となり、旧刑務所をホテル、旧病院を高級レストランに転用するなど、一部の歴史的建造物の活用も行われている。
登録基準(i) イスタンブール歴史地区には、トラレスのアンセミオスとミレトスのイシドロスが532年から537年にかけて設計したアヤソフィアや、建築家シナンが1550年から1557年にかけて設計したスレイマニエ・モスクなど、ビザンティン時代とオスマン時代の建築の傑作として認められた建造物群があります。
登録基準(ii): イスタンブールの遺跡は、歴史を通じて、ヨーロッパと近東の建築、記念碑的芸術、空間構成などの発展に多大な影響を及ぼしてきた。アヤソフィアは、教会や後のモスクのモデルとなり、コンスタンティノープルの宮殿や教会のモザイクは、東洋と西洋の両方の芸術に影響を与えた。
登録基準(iii): イスタンブールは、ビザンティン文明とオスマン文明のユニークな証として、様々なタイプの建築物(一部は関連する芸術作品付き)の質の高い多くの例を示している。それらは、要塞、モザイクやフレスコ画を持つ教会や宮殿、記念碑的な貯水池、墓、モスク、宗教学校と浴場の建物が含まれている。スレイマニエ地区とゼイレック地区の主要な宗教的モニュメント周辺の地方風住宅は、オスマン帝国後期の都市パターンの例外的な証拠となっている。
登録基準(iv)。基準(iv):この都市は、人類の歴史の非常に優れた段階を示す、建築的、技術的なモニュメントの傑出した集合体である。特に、トプカプ宮殿とスレイマニエ・モスクの複合体は、キャラバンサライ、マドラサ、医学校、図書館、浴場棟、ホスピス、皇帝墓など、オスマン時代の宮殿と宗教施設の最高のアンサンブルの例を示している。
(Wikipedia、世界遺産センターHPより)
地図
主な構成資産
アヤソフィア
360年建設、537年再建のキリスト教の大聖堂。15世紀からのオスマン帝国時代にはモスクに転用され、20世紀に無宗教の博物館に変えられました。再建時以来の直径31mの大ドームとモザイク画、モスク時代に付け加えられた4本のミナレットをはじめとするモスクとしての装飾が残っています。
トルコ共和国のイスタンブールにあるアヤソフィアは、元々は東ローマ帝国の首都であるコンスタンティノープルに建てられたキリスト教正教会の大聖堂です。オスマン帝国の時代にはイスラム教モスクとして利用され、1935年以降は世俗的な博物館として使われ、それが2020年7月まで続きました。2020年にはモスクへの回帰が宣言され、アヤソフィア・ジャーミーとして金曜礼拝が再開されました。
アヤソフィアは東ローマ帝国の代表的な遺構であり、ビザンティン建築の最高傑作と評価されています。
トプカプ宮殿
15世紀から19世紀までオスマン帝国の君主が居住した宮殿。旧ビュザンティオン市のアクロポリスがあった旧市街の半島の先端の丘に位置する。かつては宮殿を取り囲む城壁の傍らにアヤソフィア・モスクがあり、この地区で帝国の政治と公的行事が執り行われていた。数百年にわたって増築を繰り返された宮殿建築が残る。
スルタンアフメト・モスク
イスタンブールを代表するモスクで、世界遺産であるイスタンブール歴史地域の歴史的建造物群のひとつ。オスマン帝国の第14代スルタン・アフメト1世によって1609年から1616年の7年の歳月をかけて建造された。設計はメフメト・アー。『世界で最も美しいモスク』と評される。世界で唯一優美な6本のミナレットと直径27.5mの大ドームをもち、内部は数万枚のイズニク製の青い装飾タイルやステンドグラスで彩られ、白地に青の色調の美しさからブルーモスクとも呼ばれる。
関連動画へのリンク
From Hagia Sophia to Suleymaniye Mosque, Istanbul | Civilisations - BBC Two
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参考文献
イスタンブールの大聖堂 モザイク画が語るビザンティン帝国 (中公新書)