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トルコ 世界遺産100選 検定4級 重要遺産

ギョレメ国立公園とカッパドキアの岩石群

2021年11月23日

概要

複合遺産
遺産名:
ギョレメ国立公園とカッパドキアの岩石群
Göreme National Park and the Rock Sites of Cappadocia
国名:トルコ
登録年:1985年
登録基準:(i)(iii)(v)(vii)
概要:

ギョレメ国立公園(トルコ語:Göreme Milli Parklar)はトルコのカッパドキア地方ネヴシェヒル県にある国立公園である。奇岩群古代ローマ時代にギリシア人のキリスト教徒によって建設された地下都市がある。侵食によって形作られた火山景観の中に位置している。この地域は、南と東を死火山の山脈に囲まれており、一端はエルチェス・ダー(3916m)、もう一端はハサン・ダー(3253m)である。岩を削って作られた独房、教会、トログロダイトの村、地下都市が密集していることから、世界で最も印象的で大きな洞窟住居群の一つとなっている。

カッパドキア観光の中心地であり、1985年、ユネスコの世界遺産(複合遺産)に「ギョレメ国立公園とカッパドキアの岩石遺跡群」として指定された。この地域への初期の移住は キリスト教が伝播した頃の古代ローマ後期にさかのぼる。史跡の中にはギョレメのオルタハネ、ドゥムス・カディル、ユフス・コックとベジルハネの教会、岩から彫られた家々と縦抗がある。

カッパドキア(ラテン語: Cappadocia)はトルコの中央アナトリアの歴史的地域、あるいはアンカラの南東にあるアナトリア高原の火山によってできた大地をいう。

カッパドキアでは、およそ300万年前に火山の大噴火が起こり、大量の溶岩と火山灰が一帯を覆った。これが堆積して凝灰岩や玄武岩の層になり、長い歳月の経過とともに軟らかい凝灰岩の部分が風雨に浸食されて、奇岩の群れへと姿を変えていった。

古代の地理においてCappadocia(「美しい馬の地」を意味するペルシア語: Katpatuk‎に由来、トルコ語: Kapadokya, ギリシア語: Καππαδοκία)は、小アジア(現代のトルコ)の広大な内陸地域を指した。ヘロドトスの時代には、「カッパドキア人」がタウロス山脈から黒海)までの全域をなしていた。この意味でのカッパドキアは、南ではタウロス山脈と、東ではユーフラテス川と、北はポントス地方(黒海沿岸部)と、西はおよそトゥズ湖と境界を接していた。だが、その境界を正確に定義することは不可能である。その国の多少とも詳細な記録を記したただ一人の古代の著述家ストラボンは、その大きさを非常に誇張したが、現在は長さ約250マイル、幅150マイル以下の範囲だったと考えられている。

カッパドキアにおける修道院活動の最初の兆候は、4世紀に遡ると考えられている。当時、カイセリの大司教バシレイオスの教えに従って、小さなイカリ派の共同体が、岩を切り開いた独房に住み始めたのである。その後、アラブの侵略に対抗するため、彼らは集団でトログロディート村やカイマクルやデリンクユのような地下都市を作り、避難所として機能するようになった。

3世紀半ばにローマによるキリスト教の弾圧が始まると、キリスト教徒たちが隠れ住んで信仰を守り続ける地となり、ビザンツ帝国のイコン破壊運動やトルコのイスラム教化をきっかけに、難を逃れてこの地に移り住むキリスト教徒は数を増した。彼らは岩山に洞窟聖堂洞窟修道院を造り、10世紀にはその数は360にもなった。キリスト教徒たちが身を潜めたギョレメ渓谷には、約30の洞窟聖堂が現存している。

842年以降、カッパドキアでは多くのルペストラム教会が掘られ、色鮮やかな具象画で豊かに飾られるようになった。ギョレメ渓谷にあるものは、トカル・キリセとエル・ナザル・キリセ(10世紀)、聖バルバラ・キリセとサクル・キリセ(11世紀)、エルマル・キリセとカランルグ・キリセ(12世紀末から13世紀初め)などがある。

(Wikipedia、世界遺産センターHPより)

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