Flickr

エジプト 世界遺産100選 検定2級 検定3級 重要遺産

ヌビアの遺跡群:アブ・シンベルからフィラエまで

2021年11月23日

概要

文化遺産
遺産名:
ヌビアの遺跡群:アブ・シンベルからフィラエまで
Nubian Monuments from Abu Simbel to Philae
国名:エジプト
登録年:1979年
登録基準:(i)(iii)(vi)
概要:アブ・シンベルからフィラエまでのヌビア遺跡群は、エジプト南部のナイル川流域にある、古代エジプト文明の遺跡。

1960年代、エジプトでナイル川流域にアスワン・ハイ・ダムの建設計画が持ち上がったが、このダムが完成すると、ヌビア遺跡が水没する危機が懸念された。これを受けて、ユネスコが、ヌビア水没遺跡救済キャンペーンを開始世界の60ヶ国の援助により、技術支援、考古学調査支援などが行われた。

これがきっかけとなり、開発から歴史的価値のある遺跡、建築物、自然等を国際的な組織運営で守ろうという機運がうまれ、1972年11月16日、ユネスコのパリ本部で開催された第17回ユネスコ総会で世界の文化遺産および自然遺産の保護に関する条約(世界遺産条約)が満場一致で成立1975年、20ヶ国が条約を締結し、正式に発効した。ヌビア遺跡群も1979年、文化遺産として登録された。

集団墓所には59体の大人と子供の遺骨が見つかっており、遺骨の一部には強く叩かれた跡や、骨の中に突き刺さった矢じりの跡があるものがある。この遺跡は紀元前12000年から紀元前4500年前にかけてのものと推定されている。このような発見から、有史以前の生活が自然との戦いだけではなく、他の人間との戦いでもあったことが窺われる。

(Wikipediaより)

世界遺産クイズ

ヌビアの遺跡群の説明として、正しくないものはどれか

地図

アブ・シンベル神殿

オリジナルは、砂岩でできた岩山を掘り進める形で作られた岩窟神殿大神殿と小神殿からなる。建造主は新王国時代第19王朝の王、ラムセス2世。大神殿は太陽神ラーを、小神殿は女神ハトホルを祭神としている(小神殿は王妃ネフェルタリのために建造されたものでもある)。

建設後、長い年月の内に砂に埋もれていたが、1813年にスイスの東洋学者ヨハン・ルートヴィヒ・ブルクハルトによって小壁の一部が発見され、1817年にブルクハルトの知人であったイタリア人探検家ジョヴァンニ・バッティスタ・ベルツォーニによって出入り口が発掘された。

1960年代、ナイル川にアスワン・ハイ・ダムの建設計画により、水没の危機にあったが、ユネスコによって、国際的な救済活動が行われた。1964年から1968年の間に、正確に分割されて、約60m上方、ナイル川から210m離れた丘へ、コンクリート製のドームを基盤とする形で移築された

アブ・シンベル神殿の移築工事の様子 Flickr

現在ではアスワン・ハイ・ダムの建設によってできた人造湖のナセル湖のほとりにたたずんでいる。この大規模な移設工事がきっかけとなり、遺跡や自然を保護する世界遺産が創設された。アブ・シンベル神殿は世界遺産の象徴的な遺跡で、文化遺産として登録されている。

アブ・シンベル神殿 Flickr

アブ・シンベル大神殿

大神殿の四体の像は、青年期から壮年期までのラムセス2世像で、その前に並んでいるのは家族の像である。奥にはプタハ神、アメン・ラー神、ラー・ホルアクティ神、そしてラムセス2世の像がある。像の脚にはヌビア遠征に赴いたギリシャ人傭兵による古代ギリシャ語の落書きが彫られている。

ラムセス2世像のうち向かって左から2体目は神殿完成の数年後に起きた地震によって崩れ、頭部の一部が2体目の前に転がっている。

壁には神聖化された聖なる船の前で儀式を行う場面が描かれている。浮き彫りに王の業績、北の壁にはカディシュの戦い、南の壁にはシリア・リビア・ヌビアとの戦いが描かれている。

アブ・シンベル大神殿 ,Flickr

アブ・シンベル小神殿

ハトホル神と王妃ネフェルタリに捧げられた神殿。立像が6体あり、そのうちの4体は王、2体はネフェルタリである。脇には王子と王女を配置している。2体のネフェルタリ像及び4体のラムセス2世像が交互に置かれている。

アブ・シンベル小神殿 , Flickr

フィラエ神殿

フィラエ神殿は、エジプト南部、アスワン近郊にあるヌビア遺跡。中心となるのがイシス女神を祀るイシス神殿である。現存する神殿はプトレマイオス朝時代に建設されその後ローマ時代にわたって増築が行われてきたものである。

4世紀末にテオドシウス1世が、帝国内の全ての古代神殿を閉鎖しようとしたとき、フィラエ神殿は抵抗を続け、453年に条約が締結され、周辺地域の宗教的自由が保証され、条約は約100年間守られた。550年に東ローマ帝国のユスティニアヌス1世によりフィラエ神殿は閉鎖された。閉鎖後は、4つのキリスト教会として再利用された。

アスワン・ダムの建設により、半水没状態であったが上流のアスワン・ハイ・ダムの建設を機にユネスコにより1980年、フィラエ島からアギルキア島に移築、保存されることとなった。現在はアギルキア島をフィラエ島と呼んでいる。

半分水没していたフィラエ島の遺跡 ,Flickr

イシス神殿

中心となるのがイシス女神を祀るイシス神殿である。現存する神殿はプトレマイオス朝時代に建設されその後ローマ時代にわたって増築が行われてきたものである。

4世紀末にテオドシウス1世が、帝国内の全ての古代神殿を閉鎖しようとしたとき、フィラエ神殿は抵抗を続け、453年に条約が締結され、周辺地域の宗教的自由が保証され、条約は約100年間守られた。

550年に東ローマ帝国のユスティニアヌス1世によりフィラエ神殿は閉鎖された。閉鎖後は、4つのキリスト教会として再利用された。

アスワン・ダムの建設により、半水没状態であったが上流のアスワン・ハイ・ダムの建設を機にユネスコにより1980年、フィラエ島からアギルキア島に移築、保存されることとなった。現在はアギルキア島をフィラエ島と呼んでいる。

イシス神殿 ,Flickr

イシス神殿 ,Flickr

その他の遺跡

Flickr

Flickr

関連動画へのリンク

UNESCO Archives Film Collection: "The World Saves Abu Simbel", 29', 1972.

Transporting Ancient Pharaoh Rameses Statue Across Egypt | Huge Moves | Spark

Moving the Ancient Egyptian Temples of Abu Simbel in 1968 + Rare Archive Film | Ancient Architects

Engineers to the Rescue! | National Geographic

-エジプト, 世界遺産100選, 検定2級, 検定3級, 重要遺産
-