文化遺産
資産名:
古代都市テオティワカン
Pre-Hispanic City of Teotihuacan
国名:メキシコ
登録年:1987年
登録基準:(i) (ii) (iii) (iv) (vi)
概要:
テオティワカン人の宇宙観、宗教観を表す極めて計画的に設計された都市で太陽のピラミッド、月のピラミッドそして南北5キロにわたる道(「死者の大通り」)が基点となり各施設が配置されている。この都市で祀られた神々は、農業・文化と関係深いケツァルコアトルや水神トラロック、チャルチウィトリクエ、植物の再生と関係あるシペ・トテックなどである。
社会についてはあまり知られていないが、規模から考えると神権的な権威が存在し、高度に階層が分化し、発達した統治組織があったものと推測されている。市内には職人の地区が設けられ、盛んな商業と交易の中心地であり、農民たちの巡礼となって集まる信仰の中心地でもあった。
テオティワカンとは、ナワトル語で「神々の都市」という意味で、これは12世紀頃にこの地にやってきて、すでに廃墟となっていた都市を発見した、メシカ人(アステカ人)が命名した。アステカ人はテオティワカンを後々まで崇拝の対象とした。
都市の面積は約20平方キロメートルで、最盛期には、10万から20万人が生活を営み下水網も完備されていた。しかしながら人口の集中に伴い7世紀にはいると急激に衰退し、やがて滅びを迎えた。衰退の主要な原因としては、火事の発生、漆喰の生産のために木材を大量に燃やして森林破壊が起きた、旱魃による農業の衰退、およびそれらに伴う内乱の発生とメスキタル(イダルゴ州)の狩猟採集民の侵入などがあげられる。
(Wikipediaより)
地図
スライドショー
主な構成資産
太陽のピラミッド
太陽のピラミッドはテオティワカン最大の建造物であり、200年頃建造されたと考えられている。メソアメリカで現存するもののうち二番目に大きな建造物でもある。テオティワカンの死者の大通りに面して建設されており、シウダデラと月のピラミッドの間に位置している。ピラミッドは都市の巨大な複合体を形成している。
世界で三番目に大きなピラミッドであり、高さは146mあるギザの大ピラミッドの約半分ほどである。かつて頂上にあった祭壇も第二段階の建設時作られたと考えられているが、現存していない。
古代のテオティワカンの人々は、周辺の地域から運んだ石膏で仕上げ、表面に鮮やかな色彩の壁画を施していた。ピラミッドは何世紀も持ちこたえたが、壁画や石膏は現存しておらず、ジャガーの脚や星、ガラガラ蛇など、わずかに何点かの絵のみが残っている。
テオティワカンの社会ではこのピラミッドがなんらかの神を崇めるためのものと考えられているものの、この仮説を支持する証拠はほとんど残っていない。ピラミッド頂上にあった祭壇が、考古学的な調査が行われるより前に故意や自然の風化により破壊されたため、ピラミッドで崇拝されていた神については明らかになっていない。
月のピラミッド
月のピラミッドはテオティワカンに現存するうち、太陽のピラミッドに次いで2番目に大きな構造物である。メキシコのテオティワカン遺跡の北の端に建っており、その真北にみえるセロ・ゴード山を模倣するかのように建設されている。ナワトル語ではテナン (Tenan) と呼ばれており、これは "母、もしくは石" という意味である。月のピラミッドは太陽のピラミッドと似た構造で建造されており、同様の構造は紀元200年以前から存在していた。
建設は周囲の建造物群と合わせて100年ごろから始まり450年ごろまで続いた。正面の斜面には、死者の大通りから繋がるタルー・タブレロ構造で4段の階段状の祭壇があり、ピラミッドの頂上の舞台にまで繋がっている。かつてこの壇上には、ピラミッドの麓で彫刻が見つかった月と水と豊穣の女神で、自らと地球も造ったテオティワカンの大女神を讃えるための、式典を行う壇があったと考えられている。
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