文化遺産
資産名:
フラーネカーのエイシンハ・プラネタリウム
Eisinga Planetarium in Franeker
国名:オランダ
登録年:2023年
登録基準:(iv)
概要:
1774年から1781年にかけて建設されたこの建物は、当時知られていた太陽系の動く機械模型である。この模型は、一般市民である毛織物職人アイゼ・アイシンガによって考案・製作され、製作者のかつての居間兼寝室の天井と南側の壁に組み込まれている。一つの振り子時計で動くこの時計は、太陽、月、地球、そして5つの惑星(水星、金星、火星、木星、土星)の位置をリアルに映し出す。惑星はリアルタイムで太陽の周りを公転し、惑星間の距離も縮尺通りだ。この模型は部屋の天井全体を埋め尽くしており、20世紀と21世紀の天井プラネタリウムと投影プラネタリウムの最初期の先駆けとなっている。(世界遺産センターHPより)
エイシンハが作ろうと決めた装置は、誰もがみて惑星の運動を直観的に理解できるように、機械で動く太陽系を縮尺した模型、即ちプラネタリウムであった。現代では、プラネタリウムといえば、半球型の天井に投影した星空を眺める、投影式プラネタリウムのことだが、元々は「惑星」を意味する"planet"と「場所」を意味する"arium"が合体した言葉であって、エイシンハの時代は機械式の惑星運行儀のことであった。その頃、プラネタリウムのほとんどは卓上型の装置であったが、エイシンハのプラネタリウムは自宅の居間の天井に大規模な装置を据え付ける、独創的なものであった。
エイシンハは、1774年にプラネタリウムの製作を開始したが、本業に加えて、市の参事会員の仕事もしていたので、その作業は全て空き時間に行うこととなり、7年がかりの作業となった。プラネタリウムについての予備知識もほとんど持たないところから、計算と製図を始め、一部の部品の製作を父親に、時計仕掛けの心臓部となる真鍮製のぜんまいを時計職人に依頼した他は、全ての車輪・歯車、1万本に及ぶ歯車用の鉄釘などをエイシンハ自身の手で作成した。エイシンハは、居間の天井の下にもう一つの天井を設け、その見せかけの天井にプラネタリウムを作り、両者の間にある「天井裏」にプラネタリウムを作動させる時計仕掛けを組み込んだ。当初エイシンハは、最適な長さの振り子を動かすため、居間に隣接する作り付けの寝台の上に穴を開けて、そこを振り子が振れるように設計していたが、これは妻の猛反対にあい、振り子を短くして歯車なども設計し直す、といったこともあった。それでも、1778年には機械部分を作動させられるところまでこぎ着け、1780年2月には塗装など外観に関する部分以外が仕上がり、1781年5月に全ての作業を終え、プラネタリウムが完成した。(Wikipediaより)