文化遺産
遺産名:
ヴァルトブルク城
Wartburg Castle
国名:ドイツ
登録年:1999年
登録基準:(iii)(vi)
概要:
ヴァルトブルク城は、ドイツのテューリンゲン州にある史跡である。ゲーテ街道沿いにあるアイゼナハ郊外の山上に位置する。1999年12月、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。漆黒の外見が特徴的である。
古文書に初めて登場するのは1080年である。1067年、テューリンゲン伯ルートヴィヒ・デア・シュプリンガーが狩りに行き、美しい森の中の山に達し、「待て(wart)、山よ、汝我が城(Burg)となれ!」と叫んだことに由来するとされる。別の伝説では、ルートヴィヒはある時狩りに行き、獣を追ううちにある山に達した。家臣の到着をまっていたが、その山が気に入ったので策を練って自分の領地に組み入れ城を建設した。家臣の到着を「待った」ので「待つ城」と命名したというもの。フランクフルト・アム・マインからアイゼナハやエアフルトを経由してライプツィヒに通じる重要な街道を見下ろす、戦略的に重要な地に築かれたこの城の名の Wart は、学問的には、>Platz, von dem man ausspäht<「周囲を監視できる場所」と解釈されている。
ヴァルトブルク城は、中世の伝説「ヴァルトブルクの歌合戦」(de:Sängerkrieg auf der Wartburg)の舞台となった。12世紀ドイツの芸術保護で著名なテューリンゲン方伯ヘルマン1世の宮廷で歌合戦が催されたという設定になっている。 後に13世紀に入って「ヴァルトブルクの歌合戦」の題で競演的・論争的な歌がまとめられた。
マネッセ写本の伝える「歌合戦」の挿絵には、ドイツ中世最大の抒情詩人ヴァルター・フォン・デア・フォーゲルヴァイデやその師匠ラインマル・デア・アルテのほか、叙事詩の大作『パルチヴァール』を著わしたヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハそしてハインリヒ・フォン・オフターディンゲンが歌を競い合った詩人として描かれている[10]。
リヒャルト・ワーグナーは「ヴァルトブルクの歌合戦」の伝説をもとに楽劇『タンホイザー』を作曲している。
ヴォルムス帝国議会の後、マルティン・ルターがザクセン選帝侯フリードリヒ3世の保護の元隠れ住み、聖書を翻訳した場所としても知られている。ルターが悪魔にインク瓶を投げつけた為に出来たという伝説で有名なインクの染みが今でも残っている。
ルターを尊敬していたゲーテは、ヴァイマル公国の宰相となってからも、アイゼナハを度々訪れ、シャルロッテ・フォン・シュタインには城からの眺めの美しさを伝える手紙を認め、また古城の絵を描いている。
ナポレオン率いるフランス軍を相手にドイツ連合軍の勝利した解放戦争の後、「イエナ大学で発足したブルシェンシャフト(新しい学生団体)運動はまたたくまにドイツ各地へと広まって」いき、その「革新的な学生運動」の盛り上がりの中、1817年10月18日にドイツ各地から約 500名の学生がヴァルトブルクに集合して「思想の自由と祖国解放という二重の意味を込めた祭典」を催した。宗教改革 3 百年祭とライプツィヒ戦勝 4 周年記念を合わせた祭りであった。このいわゆる「ヴァルトブルクの火祭り」で「反ドイツ的」書物と旧体制のシンボルたる辮髪等が火に投じられた。(Widkipediaより)