文化遺産
遺産名:
クトナー・ホラ歴史地区の聖バルボラ教会とセドレツ地区の聖母マリア大聖堂
Kutná Hora: Historical Town Centre with the Church of St Barbara and the Cathedral of Our Lady at Sedlec
国名:チェコ
登録年:1995年
登録基準:(ii)(iv)
概要:
クトナー・ホラは、チェコ・中央ボヘミア州の都市。1142年にチェコ最初のシトー会の修道院がクトナー・ホラ近郊のセドレツに建てられる。修道院は農業・建設技術を伝える役割を果たし、13世紀に修道院の所領に含まれる山中で銀鉱脈が発見された。13世紀後半に銀鉱が発見された後、鉱山を中心に集落が形成され、中世のクトナー・ホラにはドイツ出身の鉱夫と技術者が多く住んでいたと考えられている。クトナー・ホラには鉱夫と技術者以外に利潤を求める商人や職人も集まり、13世紀当時のクトナー・ホラで採掘された銀は、ヨーロッパで産出された銀のうちおよそ3分の1を占めていた。1289年にクトナー・ホラは正式に都市となり、1300年にボヘミア王ヴァーツラフ2世によって王立造幣局が設営された。町で産出された銀はボヘミア王国の重要な財源となり、14世紀から15世紀にかけてプラハに次ぐ重要な都市となった。神聖ローマ帝国軍によって、1422年、町に火が放たれた。フス戦争が終結したとき、坑道は泥と水にまみれ、町を支えていたドイツ人の多くは他の場所に移住した。1471年にボヘミア王に選出されたウラースロー2世のもとでクトナー・ホラは復興し、中断されていた聖バルボラ教会の工事が再開された。
しかし15世紀後半以降銀が枯渇し初め、1541年には最も資源に富んだ坑道が水没した。皇帝フェルディナント1世に対するボヘミアの反乱で町は全ての特権を失い、黒死病と三十年戦争の戦禍でクトナー・ホラは廃墟と化した。平和が回復された後、廃れた鉱山を修復する試みは成功せず、町は衰微した。1547年に貨幣鋳造所が廃止され、1727年に銀鉱山が閉鎖される。
クトナー・ホラと隣接するセドレツの町は世界遺産に登録されている。地域にある最重要の建築物はゴシック様式で、5つの本堂を持つ14世紀の聖バルボラ教会、13世紀終わりに建てられたかつての王宮で硬貨鋳造所であったイタリア宮がそれにあたる。ゴシック様式の『石の家』は1902年から博物館として利用されており、国内有数の公文書を保管している。ゴシック様式の聖ヤクプ教会は83メートルの塔を持つ。セドレツには、ゴシック様式の聖母教会と有名なセドレツ納骨堂がある。(Wikipediaより)