概要
文化遺産
資産名:
法隆寺地域の仏教建造物
Buddhist Monuments in the Horyu-ji Area
登録年:1993年
登録基準:(i) (ii) (iv) (vi)
概要:
奈良県生駒郡斑鳩町にある法隆寺の建造物47棟と法起寺の三重塔の計48棟から構成されています。法隆寺は聖徳太子(厩戸王)と縁が深く、西院の金堂と五重塔は現存する世界最古の木造建築物としても知られています。法隆寺はまた、日本の仏教文化の宝庫で、約200点が国宝、重要文化財に指定されています。法起寺は奈良時代に創建された木造建築物であるが、創建当時の建築で現存するのは三重塔のみで、これが世界遺産に登録されています。
地図
スライドショー
法隆寺は7世紀に創建され、古代寺院の姿を現在に伝える仏教施設であり、聖徳太子ゆかりの寺院である。創建は金堂薬師如来像光背銘、『上宮聖徳法王帝説』から推古15年(607年)とされる。金堂、五重塔を中心とする西院伽藍と、夢殿を中心とした東院伽藍に分けられる。境内の広さは約18万7千平方メートル。西院伽藍は、現存する世界最古の木造建築物群である。8世紀に建立された東院の夢殿、伝法堂などは、唐の影響がよくあらわれている。
また、一部の建築では、遠くシルク・ロードを渡って伝来したと考えられる様式も確認できる。西院の金堂や五重塔の柱には、パルテノン神殿などのギリシア建築にも多く見られる、柱の中程を太くした「エンタシス」と呼ばれる技法が用いられている。飛鳥時代の日本にヘレニズム文化が伝わっていたとも考えられる。
登録基準の内容
登録基準 (i)
法隆寺と法起寺に残る木造建築物群は、全体の設計やデザイン性の高さに加え、エンタシスを持つ太い柱や、雲形の肘木や斗などの細部の装飾も優れており、高い芸術的価値を有している。
登録基準 (ii)
法隆寺地域の仏教建築物は、日本における仏教建造物の最古の例として1,300年間の伝統の中で、それぞれの時代の寺院の発展に影響を及ぼしてきた。
登録基準 (iv)
7世紀から8世紀初頭にかけて築かれた建造物には、石窟寺院や絵画的資料からうかがえる6世紀以前の中国建築と共通する様式上の特色がみられる。また、8世紀に築かれた建造物は、唐の様式の影響がうかがえる。1つの地域に集中して7世紀から19世紀までの各時代における優れた木造建築物が保存されている例は他に類がない。
登録基準 (vi)
聖徳太子ゆかりの法隆寺は日本の仏教のもっとも古い時代の建造物を多数保存しており、宗教史の観点からも高い価値がある。
歴史
『日本書紀』によれば、聖徳太子こと厩戸皇子(用明天皇の皇子)は推古9年(601年)、飛鳥からこの地に移ることを決意し、宮室(斑鳩宮)の建造に着手、推古天皇13年(605年)に斑鳩宮に移り住んだという。法隆寺の東院の所在地が斑鳩宮の故地である。この斑鳩宮に接して建立されたのが斑鳩寺、すなわち法隆寺であった。明治時代の半ば(19世紀末頃)まで、法隆寺の西院伽藍の建物は創建以来一度も火災に遭わず、推古朝に聖徳太子の建立したものがそのまま残っていると信じられていた。しかし、『日本書紀』には天智天皇9年(670年)に法隆寺が全焼したという記事のあることから、現存する法隆寺の伽藍は火災で一度失われた後に再建されたものではないかという意見(再建論)が明治20年(1887年)頃から出されるようになった。
法起寺は、聖徳太子死後の7世紀、その子息である山背大兄王が、聖徳太子の宮であった岡本宮跡に建立した寺を起源とする。16世紀の戦乱で焼失したたm、往時の姿を残すのは高さ24mの三重塔のみ。
12世紀頃になると、一般の人々の間でも「聖徳太子信仰」が広まったころで、法隆寺を多くの信者が訪れた。法隆寺地域の寺院は常に各時代の権力者のもとで保護されてきたが、明治維新を迎えると神道を重んじ仏教を排斥する思想の下で次第に荒廃した。
(Wikipedia、『世界遺産大事典』より)
構成資産の紹介
- 法隆寺
- 法隆寺
1. 法隆寺
概要
法隆寺は7世紀に創建され、古代寺院の姿を現在に伝える仏教施設であり、聖徳太子ゆかりの寺院である。創建は推古天皇15年(607年)とされる。金堂、五重塔を中心とする西院伽藍と、夢殿を中心とした東院伽藍に分けられる。境内の広さは約18万7千平方メートル。西院伽藍は、現存する世界最古の木造建築物群である。
法隆寺の建築物群は法起寺と共に、1993年(平成5年)に「法隆寺地域の仏教建造物」としてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。建造物以外にも、飛鳥・奈良時代の仏像、仏教工芸品など多数の文化財を有する。
歴史
『日本書紀』によれば、聖徳太子こと厩戸皇子は推古天皇9年(601年)、飛鳥からこの地に移ることを決意し、宮室(斑鳩宮)の建造に着手、推古天皇13年(605年)に斑鳩宮に移り住んだという。法隆寺の東院の所在地が斑鳩宮の故地である。この斑鳩宮に接して建立されたのが斑鳩寺、すなわち法隆寺であった。
法隆寺西院伽藍
東に金堂、西に五重塔が並ぶ西院伽藍の配置は「法隆寺式伽藍配置」と呼ばれる。711年に西院伽藍の金堂が再建され、その後伽藍全体が再建された。西院の構造や意匠、金堂内部の釈迦三尊像のアルカイク・スマイルなどに北魏時代(6世紀)の中国文化の影響がうかがえる。
金堂
国宝。入母屋造の二重仏堂。釈迦三尊像(国宝)は、止利仏師作の光背銘を有する像で、日本仏教彫刻史の初頭を飾る名作である。金堂の壁画は日本の仏教絵画の代表作として国際的に著名なものであったが、1949年(昭和24年)、壁画模写作業中の火災により、初層内陣の壁と柱を焼損した。
五重塔
国宝。木造五重塔として現存世界最古のもの。裳階付きで、高さは32.55mであり、初重から五重までの屋根の逓減率(大きさの減少する率)が高いことがこの塔の特色で、五重の屋根の一辺は初重屋根の約半分である。
金堂や五重塔には、「雲型組物」が用いられている。雲型組物とは、曲線を描く雲型の肘木や斗などの部材を組み合わせて、屋根の軒を支える構造のこと。こうした装飾性は、古代中国の建築とも共通する。
法隆寺中門
法隆寺中門は、通路となる門の中央部に柱を置く「四間門」である。中門の左右には阿形と吽形の2体の金剛力士像が置かれている。もともとは塑像であったが、木像に補修された。
法隆寺東院伽藍
8世紀前半に建設した伽藍。周囲に回廊がめぐる「夢殿」を本堂とする。
夢殿
夢殿は、現存する最古の八角円堂で、屋根には「八注造」と呼ばれる宝形造りの変化形である様式が用いられている。その緩やかな勾配は、天平時代の建築様式の特徴を今に伝えている。夢殿の本尊は救世観音菩薩立像(国宝)で、聖徳太子と等身といわれる。長年秘仏であり、白布に包まれていた像で、明治初期に岡倉覚三(天心)とフェノロサが初めて白布を取り、「発見」した像とされている。
2. 法起寺
概要
法隆寺の北東約1.5kmに位置し、現在は法隆寺を総本山とする聖徳宗の寺院となっている。世界遺産・法隆寺が所在する斑鳩の里には、法起寺のほか、法輪寺、中宮寺など、創建年代が7世紀にさかのぼる古代寺院が存在し、この地が早くから仏教文化の栄えた地であったことがわかる。法起寺は法隆寺東院の北東方の山裾の岡本地区に位置する。この地は聖徳太子が法華経を講じた「岡本宮」の跡地といわれ、太子の遺言により子息の山背大兄王が岡本宮を寺に改めたのが法起寺の始まりと伝えられている。
その後、舒明天皇10年(638年)に福亮僧正が弥勒像と金堂を造立し、慶雲3年(706年)に恵施僧正が三重塔を建立している。
創建当時の建築で現存するものは三重塔のみ(三重塔としては日本最古かつ最大規模)。高さは約24m。法隆寺の五重塔と比べ、法起寺の三重塔の方が完成は早いが、着工年は法隆寺の五重塔の方が古く、世界最古の木像の塔は法隆寺の五重塔とされている。
1960年(昭和35年)以降実施された境内の発掘調査によって金堂跡・講堂跡が検出され、中門についても瓦積基壇の跡が検出され、創建当時の伽藍配置が判明した。
(Wikipediaより)
世界遺産クイズ
世界遺産検定クイズ
UNESCO公式HP(英語版)へのリンク
https://whc.unesco.org/en/list/660