文化遺産
遺産名:
アイスレーベンとヴィッテンベルクのルター記念建造物
Luther Memorials in Eisleben and Wittenberg
国名:ドイツ
登録年:1996年
登録基準:(iv)(vi)
概要:
アイスレーベンとヴィッテンベルクにあるルター記念建造物群は、ドイツにあるユネスコの世界遺産登録物件。宗教改革は近世ヨーロッパ史上の重大事件の一つであるが、その中心人物の一人であったマルティン・ルターの足跡をたどる上で重要な建造物群がまとめて登録されている。
ルターはアイスレーベンに生まれ、25歳から死の直前まではヴィッテンベルクを拠点に活動していたため、現在、両市は正式に「ルターの街」とされている。修道士だったルターは1517年、贖宥状を転売していたローマ・カトリック教会を批判し、これがきっかけでヨーロッパ史を揺るがした宗教改革が始まった。
(Wikipediaより)
世界遺産クイズ
主な構成資産
アイスレーベン
アイスレーベンはマルティン・ルターの生誕地であると同時に、彼が最期を迎えた土地でもある。ルターはアイスレーベンで生まれたが、生後9ヶ月目にマンスフェルトに転居したため、生家にいた期間はほとんどない。現存する家は、17世紀末に再建されたもの。
アイスレーベンの中心にあるマルクト広場には、ルターの記念像が建てられている。
ルターは死の1か月近く前に生まれた町であるアイスレーベンに居を定め、1546年2月にその家で没した。ほぼ当時のまま現存する最期を迎えた家には、肖像画や書簡など、ルターにゆかりのある品々が展示されている。
ヴィッテンベルク
ヴィッテンベルクはいわゆる「95か条の論題」が提示された町であり、ルターの活動を語る上で逸することの出来ない宗教改革の中心地である。
城付属聖堂 (The Castle Church)は、「95か条の論題」が扉に貼られたとされることで知られる教会堂(大学付属聖堂とも呼ばれる)。現存する建物は19世紀に再建されたもの。
ルター・ホールは、もともとは修道院の建造物。生前ルターが住居として使っていた。現在は博物館となっている。
マルクト広場に建つ町の教会 (Stadtkirche)では、ルターが説教を行っていた。この教会で、はじめてラテン語ではなくドイツ語でミサが行われた。また、初めて会衆にパンとワインが配られた。ルターは1526年、ここでKatharina von Boraと結婚式を挙げた。教会内にはLucas Cranach the Elder and Youngerの傑作が展示されている。
ルターに関する参考書籍
『キリスト者の自由/聖書への序言』
マルティン・ルター――ことばに生きた改革者
宗教改革三大文書 付「九五箇条の提題」
関連動画へのリンク
Following in Luther's Footsteps - Eisleben, Wittenberg&Eisenach | Discover Germany
Rick Steves' Luther and the Reformation(ルターと宗教改革)
『95箇条の提題』500周年にRick Stevesが制作した、ルターの宗教改革を中心とする、キリスト教の宗教史に関する優れたドキュメンタリー動画です。
付録:ルターが青年期を過ごしたエルフルト
ルターは、父の意志にしたがって、当時の大都市エルフルトの大学に進学した。ここでルターは教養学士の資格を得たあと、父の希望に沿って法学部に進んだ。
しかし、故郷への帰省を終えてからエルフルトに戻る途中、ルターは運命的な経験をする。
野の真ん中で突然の雷雨に足を速めていると、雷鳴とともに稲妻が走り下り、彼を地面になぎ倒した。死の恐怖の中でルターは思わず、「聖アンナ様、お助け下さい。私は修道士になります!」と叫んだ。聖アンナは、父ハンスら、鉱山で働く者たちの守護聖人であった。(徳善義和著『マルティン・ルター』岩波新書より)
これをきっかけにして、ルターは法学部を辞めてアウグスティヌス修道院に入り、修道士の道に進むことになったのである。