文化遺産
資産名:
明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業
Sites of Japan’s Meiji Industrial Revolution: Iron and Steel, Shipbuilding and Coal Mining
国名:日本
登録年:2015年
登録基準:(ii) (iv)
概要:
江戸末期から明治期にかけての日本で、日本が重工業の分野で急速な近代化を達成したことを示す産業遺産群です。九州、山口県、岩手県、静岡県など全国8県11市に点在する23の構成資産からなるシリアル・ノミネーション。製鉄・製鋼、造船、石炭という基幹産業からなる技術革新は、東洋で初めて産業国家化に成功した世界史上画期的な業績といえます。主な構成資産は、松下村塾、韮山反射炉、三池炭鉱、高島炭鉱、三菱長崎造船所、官営八幡製鉄所などです。
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登録基準
登録基準 (ii) ある期間にわたる価値観の交流
日本の近代化における重要な産物の一つとなった石炭は、ヨーロッパ諸国の船舶用燃料として上海や香港などにも輸出され、東アジア海域における海運網を支えた。
登録基準: (iv) 歴史上の重要な段階を物語る建築物、科学技術の集合体
日本は19世紀半ばから近代化の取り組みを通じて、西洋以外の地域ではじめて飛躍的な経済発展をわずか50年で達成した。本遺産は、こうした重要な歴史的発展を物語る建築物群を示すものである。
遺産の概要
「明治日本の産業革命遺産」は、明治以降の日本の近代化のなかで重要な役割を果たした九州地方を中心に点在する産業革命遺産群である。「造船」「製鉄・製鋼」「石炭産業」などの施設や遺構などからなる。江戸末期から明治時代の約半世紀おちう短い期間で国家の価値観を変えて近代化し、すでに産業革命を成し遂げた西欧の技術を学ぶことで急速な産業化を果たした歴史的価値を証明している。
23件の構成資産は、九州5県(福岡県、長崎県、佐賀県、鹿児島県、熊本県)、山口県、岩手県、静岡県の全国8県11市に点在しており、「シリアル・ノミネーション」として登録されている。稼働中の資産を含むため、文化財保護法だけではなく、港湾法や景観法などを組み合わせた保護計画が立てられており、文化庁だけではなく内閣官房が共同で推薦した。
歴史
幕末の1850年代から1860年代。日本では諸外国の脅威に対する国防の必要に迫られていた。鹿児島では、薩摩藩主の島津斉彬が製鉄や鉄製大砲の鋳造などを行う「集成館」を造り、山口では、吉田松陰が「松下村塾」という私塾を主宰し、明治日本の近代化を担う人材を育成した。
明治維新になると、西洋の技術者を日本に招き、積極的に西洋の知識や技術を取り入れ、近代化を進めた。開国により外国の蒸気船の燃料として石炭の需要が高まると、佐賀藩がトーマス・グラバーと共同で開発した高島炭鉱で、日本初の蒸気機関を用いた採掘が始まった。福岡では、国家的プロジェクトとして、官営八幡製鉄所が操業を開始し、日本の産業近代化を支えた。三池炭鉱では炭鉱と三池港を結ぶ鉄道が敷かれ、炭鉱から港まで一体の生産システムが完成した。
おもな構成資産
松下村塾 | 吉田松陰の私塾。後に初代総理大臣となった伊藤博文らを育成。 |
韮山反射炉 | 幕末の海防に対する危機感から大砲鋳造のために作られた反射炉。 |
旧集成館 | 島津家がさまざまな産業の育成に挑戦した日本初の西洋式工場。 |
高島炭鉱 | 日本ではじめて蒸気機関が導入された近代炭鉱。 |
端島炭鉱 | 明示後期の主力抗であった海底炭鉱。軍艦島の名でも知られる。 |
三菱長崎造船所 旧木型場 |
鋳物の木型工場として1898年に建設。造船所で現存する最古の建造物。 |
三池炭鉱・三池港 | 採掘から輸送までの総合的な物流システムを構築した炭鉱。 |
官営八幡製鉄所 | 日本の重工業の主力産業化を担った日本初の鉄鋼一貫製鉄所。 |
エリア1 荻(山口県)
松下村塾
長州藩校明倫館の師範を務めた藩士吉田松陰が講義した私塾。国の史跡に指定。3年弱の間に指導した塾生の中から、高杉晋作、伊藤博文、山縣有朋など、幕末から明治維新にかけての日本の近代化・産業化に貢献する人材を輩出した。
エリア2 鹿児島
旧集成館
欧米列強に対抗するため、薩摩藩主島津斉彬は1851年から現在の鹿児島市吉野町磯地区に工場群を設けて軍事強化と産業育成を図った(集成館事業)。製鉄・造船・紡績など幅広い分野を手掛けた。旧集成館機械工場、旧鹿児島紡績所など。
エリア3 韮山
韮山反射炉
日本に現存する2基の反射炉の一つで、実際に大砲を鋳造した実用炉としては唯一現存する。国の史跡に指定。欧米列強に対抗するため、江川英龍らの主導により江戸幕府直営で建造された鉄製大砲鋳造のための炉で、1857年に完成した。
エリア4 釜石
橋野鉄鉱山
日本に現存する最古の洋式高炉跡。国の史跡に指定。盛岡藩士大島高任は、自らが建設に携わった水戸藩の那珂湊反射炉に良質な銑鉄を供給する必要性を感じ、鉄鉱石を用いた製鉄を行う洋式高炉を現在の釜石市大橋に建設、1858年に日本で初めて連続出銑に成功した。
エリア5 佐賀
三重津海軍所跡
佐賀藩海軍の訓練場・造船所で、日本に現存する最古の乾船渠(ドライドック)の遺構が残る。
エリア6 長崎
三菱長崎造船所 第三船渠
1905年に竣工した全長222.2m・建造能力3万トン(いずれも竣工当時)の大型ドックで、竣工当時は東洋最大規模だった。その後全長276.6m・9万5千トンに増強され、現在も三菱重工業長崎造船所のドックとして稼働中。
高島炭坑
開国後の蒸気船用石炭需要の高まりを受けて、1868年に日本で初めて蒸気機関を用いて竪坑が開削され、日本における近代炭鉱開発の先駆けとなった。この炭鉱は佐賀藩がトーマス・グラバーとともに開発したものである。この坑は翌1869年に海底炭田に着炭し、北渓井坑と命名され1876年まで採掘された。
端島炭坑
1870年に石炭の採掘が始まり、1890年に三菱の所有となった炭鉱の島。製鉄用原料炭に適した良質な石炭を産出する炭鉱で、炭鉱開発とともに埋め立てにより拡張され、大正期の1916年以降に多くの鉄筋コンクリート造高層住宅が建設された。
旧グラバー住宅
小菅修船場や高島炭鉱の経営など、近代技術の導入を通じて日本の近代化に尽力した、スコットランド出身の実業家トーマス・グラバーの邸宅。主家は1863年に建設された日本最古の木造洋風建築で、欄間がアーチ型になっている一方で日本瓦や土壁が用いられるなど、イギリスのコロニアル様式と日本の伝統技術が融合した形となっている。
エリア7 三池
三池炭鉱、三池港
1873年に操業開始し、明治政府から1889年に三井に移管、1997年に閉山した炭鉱。1894年、團琢磨は宮原と万田での新坑掘削を提言し、開削につながる。一方、三池港は石炭の積出港として整備された。
エリア8 八幡
官営八幡製鐵所
明治20年代に急増した鉄鋼需要を補うため、1897年、筑豊炭田に隣接し誘致活動が活発だった八幡に製鉄所を設置することが決定する。ドイツのグーテホフヌンクスヒュッテ(GHH)社に設計を依頼し、技術指導を受けた。4年の建設期間を経て、1901年2月に東田第一高炉に火入れが行われ稼働が開始する。しかし、トラブルや資金難により翌1902年7月には休止を余儀なくされたため、釜石田中製鉄所で日本初のコークスによる銑鉄生産を成功させた野呂景義に再建が託される。野呂は高炉の改良と新たなコークス炉の建設を行い、1904年7月から本格稼働を再開した。これにより、日本の高炉操業技術が確立され、日本の産業近代化(重工業化)が達成される。
(Wikipediaより)
関連動画へのリンク
明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業(日本語版)
明治日本の産業革命遺産 長崎
世界遺産 明治日本の産業革命遺産があるまち 鹿児島
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UNESCO公式HP(英語版)へのリンク
https://whc.unesco.org/en/list/1484