概要
文化遺産
資産名:
百舌鳥・古市古墳群
Mozu-Furuichi Kofun Group: Mounded Tombs of Ancient Japan
登録年:2019年
登録基準:(iii) (iv)
概要:
4世紀後半から5世紀後半の古墳時代に築造された古代日本列島の王たちの墓群。大陸に向かう航路の出発点である大阪平野に位置している。墳丘の長さが500mに及ぶものを初め、世界でもまれに見る鍵穴型の前方後円墳が多数集まっており、古墳時代の文化を物語る貴重な遺産である。2019年7月6日の第43回世界遺産委員会で正式に世界文化遺産に登録された。
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登録基準
登録基準 (iii) ある文化的伝統又は文明の存在を伝承する物証
百舌鳥・古市古墳群は、墳墓の規模と形によって、当時の政治・社会構造を表現しており、古墳時代の文化を物語っている。
登録基準 (iv) 歴史上の重要な段階を物語る建築物
日本列島独自の墳墓形式である古墳の顕著な事例であり、集団や社会の力を誇示するモニュメントとして祖先の墓を築き社会階層を形成した、日本独自の歴史段階を物語るものである。
概要
百舌鳥・古市古墳群は、古墳時代の最盛期(4世紀後半から5世紀後半)にかけて築造された、古代日本列島の王たちの墓群である。古代日本の政治文化の中心地のひとつであり、大陸に向かう航路の出発点であった大阪平野に位置している。
墳丘の長さが500mにおよぶものをはじめとする、世界でも独特な鍵穴型の前方後円墳が多数集まり、これらと多数の中小墳墓が密集して群を形成している。本資産の古墳には、前方後円墳、帆立貝形墳、円墳、方墳という4種類がある。これらの型式は、日本列島各地の古墳の規範となった標準化されたものだった。
世界各地の多くの墳墓の墳丘が棺や室に盛土・積石しただけのものであるのに対して、古墳の墳丘は葬送儀礼の舞台として幾何学的なデザインを施し、埴輪などの土製品で飾り立てた建築的な傑作だった。
世界遺産に求められる「顕著な普遍的価値」を、2007年の文化庁による世界遺産候補地公募に際して一府三市が作成・提出した提案書では、「百舌鳥・古市古墳群における墳丘形態が日本各地のモデルとなり、副葬品や埴輪にも影響を及ぼし、古墳文化とその交流の中心地であり、独自の文化が存在したことを示している」「前方後円墳をはじめとする独特な墳墓形態とその築造技術は独自発展したもので、それを可能とした高度な土木技術の存在を裏付ける物証である」とした。世界遺産推薦に際し完全性(インテグリティ)として法的保護根拠が求められ、国内の既存文化遺産の大半が文化財保護法を拠り所としてきたが、天皇陵・陵墓参考地は国有財産法に基づく皇室用財産のため文化財指定が困難であり(世界遺産条約では「当該国内法令に定める財産権は害さない」とし、所有権とその権利の行使は認めている)、このことはひいては秘匿性(菊タブー)を高めることになりかねない危惧もある。
歴史
日本列島では3世紀中頃に最初の前方後円墳が現れ、それ以後、さまざまな形と大きさを持つ古墳が各地に多く築かれた。3世紀中頃から6世紀後半に各地で築かれた古墳は16万基以上にのぼる。この時代のことを古墳時代と呼ぶ。
古墳築造の中心となったのが、現在の奈良県と大阪府だった。ここにもっとも巨大で新しい様式を備えた前方後円墳が築かれた。これは日本列島の広範囲に広がる有力者の政治連合「ヤマト政権」が現れ、列島中央部の勢力がその中心の位置を占めたことを示すものと理解されている。
百舌鳥エリアには、4世紀後半から5世紀後半にかけて、100基を超える古墳が作られたが、その後の都市開発などで壊され、仁徳天皇陵古墳など44基のみが残る。構成遺産に含まれるのは、そのうち23基。古市エリアには4世紀から6世紀前半にかけて130基を超える古墳が作られた。現存するのは45基のみ。うち26基が構成資産に含まれる。
(『世界遺産大事典』より)
主な構成資産
| 反正天皇陵古墳、 仁徳天皇陵古墳、茶山古墳、大安寺山古墳、 永山古墳、 源右衛門山古墳、 塚廻古墳、 収塚古墳、 孫太夫山古墳、 竜佐山古墳、 銅亀山古墳、 菰山塚古墳、 丸保山古墳、 長塚古墳、 旗塚古墳、 銭塚古墳、 履中天皇陵古墳、 寺山南山古墳、 七観音古墳、 いたすけ古墳、 善右ヱ門山古墳、 御廟山古墳、 ニサンザイ古墳、 津堂城山古墳、 仲哀天皇陵古墳、 鉢塚古墳、 允恭天皇陵古墳、 仲姫命陵古墳、 鍋塚古墳、 助太山古墳、 中山塚古墳、 八島塚古墳、 古室山古墳、 大鳥塚古墳、 応神天皇陵古墳、誉田丸山古墳、二ツ塚古墳、 東馬塚古墳、 栗塚古墳、 東山古墳、 はざみ山古墳、 墓山古墳、 野中古墳、 向墓山古墳、 西馬塚古墳、 浄元寺山古墳、 青山古墳、 峯ヶ塚古墳、 白鳥陵古墳 |
(文化庁HPより)
百舌鳥エリア
仁徳天皇陵古墳(大仙古墳)
大仙陵古墳または大山古墳は、大阪府堺市堺区大仙町にある古墳、天皇陵。形状は前方後円墳。百舌鳥古墳群を構成する古墳の1つで、日本最大の古墳にして、世界最大級の墳墓である。実際の被葬者は明らかでないが、宮内庁により百舌鳥耳原中陵として仁徳天皇の陵墓に治定されている。仁徳天皇陵や仁徳陵古墳とも言う。仁徳天皇陵のような大きな古墳には、陪冢と呼ばれる小型の古墳が付属していることがあり、構成資産としてはそれらを合わせて1件と数えているため、構成資産数と古墳数が異なる。

仁徳天皇陵古墳 (Flickr)
履中天皇陵(ミサンザイ古墳)
百舌鳥古墳群では仁徳天皇陵古墳(大仙古墳)に次ぐ巨大前方後円墳で、10基ほどの陪塚を従えていたことがわかっている。そのなかの七観山古墳は出土資料などから、仁徳天皇陵古墳より古く5世紀前半頃に造られたことがわかっている。墳丘の全長約365m、後円部径205 m、高さ約27.6m、前方部幅約235m、高さ約25.3mの規模の日本で3番目に大きい、石津ヶ丘にある前方部を南に向けた巨大前方後円墳である。

履中天皇陵古墳 (Flickr)
古市エリア
応神天皇陵(誉田御廟山古墳)
古市古墳群最大の前方後円墳で、墳丘長約425メートル、後円部直径250メートル、高さ35メートル、前方部幅300メートル、高さ36メートルを測る。百舌鳥古墳群の仁徳陵古墳(大仙古墳)に次いで日本で2番目の大きさを誇る。また、古墳を築造したときに使用した土の量は約143万立法メートルにものぼり、大仙古墳を上回っている。墳丘は三段に積み重ねられ、斜面は一面に石が 葺かれている。テラスと呼ばれる平坦な部分には推定2万本に及ぶ円筒埴輪が立て並べられていたと考えられる。5世紀前半頃の築造と考えられている。

応神天皇陵古墳 (Flickr)
仲姫命陵
古市古墳群で2番目、全国では9番目に大きな古墳である。発掘調査では円筒埴輪と葺石が発見された。また築造にあたって谷を埋めたり、土を盛るなど、大規模な土木工事が行われたことが確認されている。
(Wikipediaより)
世界遺産クイズ
世界遺産検定クイズ
関連動画へのリンク
世界遺産「百舌鳥・古市古墳群」解説映像 (1)「百舌鳥・古市古墳群」とは
世界遺産「百舌鳥・古市古墳群」解説映像 (2)古墳を歩いてみよう
百舌鳥・古市古墳群 PRムービー (Long version)
UNESCO公式HP(英語版)へのリンク
https://whc.unesco.org/en/list/1593








