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インド 世界遺産100選 検定3級 重要遺産

アジャンターの石窟寺院群

2021年11月21日

文化遺産
遺産名:
アジャンターの石窟寺院群
Ajanta Caves
国名:インド
登録年:1983年
登録基準:(i)(ii)(iii)(vi)
概要:
アジャンター石窟群は、インドのマハーラーシュトラ州北部、ワゴーラー川湾曲部を囲む断崖を550mにわたって断続的にくりぬいて築かれた大小30の石窟で構成される古代の仏教石窟寺院群のことである。

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アジャンター石窟寺院は、1819年4月、ハイダラーバード藩王国(ウスマーン・アリー・ハーン) の藩王に招かれて狩猟に参加していたイギリス人士官ジョン・スミスが虎狩りをしていたときに、巨大な虎に襲われてワゴーラー渓谷に逃げ込んだ際、断崖に細かな装飾が施された馬蹄形の窓のようなものを見つけたことが発見の契機となった。彼がアジャンターの石窟寺院を発見したとき、すっかり放棄されてコウモリのすみかになっていた。のちの第10石窟に自分の名前を記した。

石窟は、未完成のものを含めて30あり、そのうち5つ(9、10、19、26、29洞窟)はチャイティーアグリハ(聖域)、残りはサンガラマまたはヴィハーラ(僧院)である。洞窟は、岩を削って作られた階段で川とつながっている。発掘調査は、約4世紀の間隔をおいて、2つの段階に分けて行われた。

仏教窟であるこの石窟の種類は2種類あって、平地に木造か煉瓦造で建てられていた僧院(ヴィハーラ)を石窟におきかえたヴィハーラ窟とブッダを象徴する「聖なるもの」(チャイティヤ)として仏塔などが据えられたチャイティヤ窟がある。アジャンターでは、9,10,19,26,29窟の5つがチャイティヤ窟で残りはすべてヴィハーラ窟である。平地では中庭を囲むように僧室をつくるが、ヴィハーラ窟では、一面を採光のために外部に開き、中庭を列柱で囲むようにして僧室との間に回廊をつくる。一方チャイティヤ窟は、2層分の高さに天井を高くして、天井は断面半円形をなし、平面プランは細長い馬蹄形で奥の半円形部分に仏塔を配置する。共通する特徴は、元来木造である僧院とチャイティヤ堂を模倣することにこだわり、柱や梁や垂木を彫り込んでいる。

また開窟年代は、前期(第1期)と後期(第2期)に区分される。前期は紀元前1世紀から紀元後2世紀のサータヴァーハナ朝時代に築かれている。ヴィハーラ窟としては第12窟、第13窟、第15A窟で、チャイティヤ窟では第9窟、第10窟で、おそらく比丘たちの生活、修行の空間であったためにいずれも装飾が少なく小型で簡素な造りであったと考えられる。

後期である5世紀後半から6世紀頃になると、ヴィハーラ窟は、奥壁中央に仏殿が設けられ、本尊として説法印を結んだ仏陀座像が脇侍菩薩を従えて安置され、仏殿としての性格が強くなる。つまり寄進者は、聖なる存在としての仏陀に永久に残る住居である窟院をささげることに功徳を見いだすという目的で石窟を築いたと考えられる。

後期の年代であるが第16窟、第17窟は、ヴァーカータカ朝のハリシュナ王(位462-481)の治世に寄進されたこと、アシュマカ族を制圧したことが銘文から読みとれる。またより新しい時期と思われる第26窟では、アシュマカの大臣をたたえる銘文が見られ、ヴァーカータカ朝の支配が揺らいだことを示唆していると思われる。6世紀半ばと考えられるアウランガーバードの石窟寺院に見られる特徴がアジャンターで見られないことを考えるとアジャンターの年代は6世紀半ばくらいまでに築かれて一部開窟途中のまま放棄されたと考えられる。

アジャンタ石窟群は、古代仏教の岩窟建築における最も偉大な成果の一つを例証している。アジャンタの芸術的伝統は、インドの現代社会における芸術、建築、絵画、社会文化、宗教、政治史の重要かつ希少な標本となっている。建築、彫刻、絵画を通じて明らかにされた仏教の発展はユニークであり、そうした活動の主要な拠点としてのアジャンタの重要性を物語っている。さらに、アジャンターで発見された碑文の記録は、現代文明に関する良い情報を提供している。

登録基準(i): アジャンター遺跡は、ユニークな芸術的業績である。

登録基準(ii)。アジャンタの様式は、インドや他の地域、特にジャワ島に大きな影響を及ぼしている。

登録基準(iii): インドの歴史における2つの重要な瞬間に対応するモニュメントの2つのグループで、このrupestralアンサンブルは、インドの芸術の進化と同様に、SatavahanaとVakataka王朝の間にインドで仏教界、知的、宗教的フォイヤー、学校、レセプションセンターの決定的な役割に特別な証言を持っている。

登録基準(vi): アジャンタは、仏教の歴史と直接的かつ物質的に関連している。

(Wikipedia、世界遺産センターHPより)

地図

後期窟の彫刻及び壁画

アジャンター石窟寺院の美術的価値は、後期窟に集中しているといえる。第1,2,16,17窟は、入口柱や天井にミトゥナ像や飛天、蓮華や鳥獣の画像が描かれたりレリーフとして刻まれたりしている。またこれらの代表的なヴィハーラ窟の壁面には本生譚(ジャータカ)などの説話図が描かれた。これらは、悟りを開いたものとしてのブッダが送った模範的生涯を表現する絵解きによって、よりいっそうの信仰心をもつよう巡礼に来た人々を教育する目的ももっていた。

第1窟には、回廊左手にマハーシャーナカ本生譚が描かれている。これは、ブッダの前生(ぜんじょう)の姿であるマハーシャーナカ王子が世俗の快楽を捨て去る決心をして、妃シヴァリーが踊り子たちとともに出家を思いとどまらせようとするが、引き止めきれず、王子はゾウの背に乗って王宮を去り、残された妃は深く絶望し、奴隷たちに囲まれて快楽にうずもれてゆくという場面である。第1窟の天井には、想像上の動物や人間の姿が描かれている。猿の悪ふざけにうんざりした水牛が猿をころそうとするが、贈り物をさしだして水牛を説得する人間の姿などが描かれている。また有名な「蓮華を持つ菩薩像」が後廊の仏殿入り口付近に描かれている。この蓮華手菩薩は、法隆寺金堂の勢至菩薩壁画の源流と言われている。

蓮華を持つ菩薩像 , Flickr

法隆寺金堂壁画「阿弥陀浄土図」(焼損前)
右側が勢至菩薩像。アジャンター壁画の影響とみられる

金剛手菩薩像 , Flickr

第17窟には、裕福な商人の息子であるシンハラの物語が描かれている。シンハラは、父の忠告を聞かずに出航するが船が難破し、遭難してしまう。ようやくスリランカの浜辺にたどりつくものの、鬼女たちに襲われ、天を飛ぶことのできる白馬に助けられ、帰国を果たすことができる。シンハラは心を入れ替えて魔物たちを退治するという話である。これらの説話図の描写は、説話の舞台ごとに王宮、山中などにまとめられ、構図も楕円形に人物を配置する独特の遠近法で描かれている。前述したように寄進者はヴァーカータカ朝の君主であるが美術的には典型的なグプタ様式と言える。

第26窟(チャイティヤ窟)

アジャンター後期窟群の最後期に位置づけられるチャイティヤ窟。ストゥーパには、正面の仏龕にブッダの倚坐(いざ)像が刻まれ、ストゥーパと一体化している。

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関連動画へのリンク

Ajanta Caves, Maharashtra, India in 4K Ultra HD

Ajanta Caves (UNESCO/NHK)

Ajanta Caves (UNESCO/TBS)

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