文化遺産
遺産名:
アンコールの遺跡群
Angkor
国名:カンボジア
登録年:1992年
登録基準:(i)(ii)(iii)(iv)
概要:
アンコール遺跡は、カンボジアの北西部、トンレサップ湖北岸のシェムリアップの北側に位置するクメール王朝時代の遺跡群である。アンコール遺跡群は現在のカンボジア王国の淵源となったクメール王朝の首都の跡である。この地には、9世紀頃から数々の王建設が開始された。この遺跡に特に大きく関わったとされるのはスーリヤヴァルマン2世(1113-1145年)とジャヤーヴァルマン7世(1181-1218年)といわれる。スーリヤヴァルマン2世は特にアンコール・ワットの建設を行い、その死後30年ほど後に王に就いたとされる。ジャヤーヴァルマン7世はアンコール・トムの大部分を築いたとされる。アンコール・ワット本殿の回廊には、ヒンドゥー神話の「乳海攪拌」の場面などが精巧な浮き彫りで描かれている。この地で花開いたクメール美術は東南アジアに多大な影響を及ぼした。(Wikipediaより)
地図
スライドショー
Photo by sznagy, Adriana K, Jolivet Pierre, Flip Nomad from Flickr
主な遺跡
アンコール・トム
「アンコール」は、サンスクリット語のナガラ(都市)からでた言葉。また「トム」は、クメール語で「大きい」という意味。アンコール・トムの遺構にはヒンドゥー教と大乗仏教の混淆が見られるが、都市建築の基本はヒンドゥーの宇宙観を基に成り立った古代インドの建築理念の影響が見られ、中央に世界の中心である山岳メール山を象徴するバイヨン (Bayon) 寺院がある。各城門は塔になっていて、東西南北の四面に観世音菩薩の彫刻が施されている。また門から堀を結ぶ橋の欄干には乳海攪拌を模したナーガになっている。
アンコール・ワット
アンコール・ワット(クメール語: អង្គរវត្ត, 英語: Angkor Wat)は、カンボジア北西部に位置するユネスコの世界遺産(文化遺産)であるアンコール遺跡の一つであり、その遺跡群を代表する巨大な寺院である。建設時はヒンドゥー教寺院として作られたが16世紀後半に仏教寺院に改修され、現在も上座部仏教寺院となっている。
クメール語でアンコールは王都、ワットは寺院を意味するため、アンコール・ワットは「国都寺院」という意味となる。大伽藍と美しい彫刻を特徴としクメール建築の傑作とされ、カンボジア国旗の中央にも同国の象徴として描かれている。
9世紀初頭に成立したクメール帝国(アンコール朝)はアンコール周辺に都城を建設して王都としていた。しかし、12世紀前半に即位したスーリヤヴァルマン2世はそれまでの都城に代わり、隣接地に新王宮を建設し、その南隣に国家鎮護のための新しいヒンドゥー教寺院を建設した。これがアンコール・ワットである。これまでアンコール朝で主流だったシヴァ派に代わり、この寺院はスーリヤヴァルマン2世の篤く信仰するヴィシュヌ派の寺院として創設された。アンコール・ワットはスーリヤヴァルマン2世の在位中、30年を超える歳月を費やし建設されたものの、一部は未完成のままとなった。13世紀後半のジャヤーヴァルマン8世の時代には改修が行われ、西からの参道が建設された。1296年から1297年にかけてアンコールを訪れた元の周達観は、真臘風土記の中で「魯般の墓」としてアンコールワットのことを書き記している。
1431年頃にアンコールが放棄されスレイ・サントーに王都が遷ると、一時は忘れ去られるが16世紀半ばに再発見され、アンチェン1世(フランス語版)は1546年から1564年の間に未完成であった第一回廊北面とその付近に彫刻を施した。孫のソター王(フランス語版)は仏教寺院へと改修し、本堂に安置されていたヴィシュヌ神を四体の仏像に置き換えたという。
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