文化遺産
遺産名:
マテーラの洞窟住居サッシと岩窟教会公園
The Sassi and the Park of the Rupestrian Churches of Matera
国名:イタリア
登録年:1993年
登録基準:(iii)(iv)(v)
概要:
サッシは、マテーラにおいて洞窟住居を意味する。マテーラのあるグラヴィナ渓谷は石灰岩の侵食により形成され、渓谷にはこのサッシが何層にも重なって存在している。このサッシがいつ頃から作られたかは不明だが、8世紀から13世紀にかけて、東方からイスラム勢力を逃れた修道僧が住み着き、130以上の洞窟住居を構えていたといわれている。マテーラ周囲からは、旧石器時代の出土品も発見されているため、かなり古くから人々が住んでいたと考えられている。8世紀頃からはキリスト教修道僧が住み始め、サンタ・マリア・デ・イドリス教会やサンタ・マリア・デッラ・コロンバ教会などの岩窟教会も数多く建設された。
15世紀から16世紀には、オスマン帝国に追われたアルバニア人やセルビア人などが移住。当時マテーラを支配していたアランゴーナ家は、この地域をジャンカルロ・トラマンターノ伯爵に売り渡す。トラマンターノ伯爵は、マテーラに重税を課すが、住民はこれに反発し伯爵を惨殺する。
その後、マテーラは1663年にバジリカータの州都となり繁栄期を迎える。しかし1806年にポテンツァに州都が移され、その後の経済逼迫の影響もあり衰退していく。
その後、長らく小作農民の住居であったサッシは、南イタリアの貧しさの象徴的な見方がなされた。19世紀までは比較的快適な住環境であったが、20世紀初頭より、人口が急速に増加し、元々は畜舎であった採光も水の流れも劣悪な洞窟も住居として使用されるようになった。そのため衛生状態も極度に悪化し、乳児の死亡率は50%に達した。 行政当局としてもこの状態を放置できなくなり、1950年代に法整備を行い、これにもとづきマテーラ郊外に新たな集合住宅を建設し、サッシ地区の住民を強制的に移住させた。その数は約1万5,000人に上る。 この結果、サッシ地区は無人の廃墟と化す。しかし150以上の石窟聖堂や3,000戸ほどの洞穴住居、地下水路で各戸の貯水槽に上水を供給するシステムなど、ユニークな文化的資産が見直され、1993年にユネスコの世界文化遺産に指定された。これを契機に訪れる観光客も増え、これを対象とした宿泊施設、食堂、工芸品の販売店などが増え、現在は洞窟住居の5分の1ほどが再利用されている。(Wikipediaより)
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関連動画へのリンク
UNESCO公式HP(英語版)へのリンク
https://whc.unesco.org/en/list/670