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ル・コルビュジェの建築作品

2021年3月18日

概要

文化遺産
資産名:
ル・コルビュジエの建築作品ー近代建築運動への顕著な貢献ー
The Architectural Work of Le Corbusier, an Outstanding Contribution to the Modern Movement
国名:ベルギー、フランス、ドイツ、インド、日本、スイス、アルゼンチン
登録年:2016年
登録基準:(i) (ii) (vi)
概要:
スイス出身の建築家ル・コルビュジエによる7カ国17の建築作品から構成される文化遺産である。「近代建築の五原則」「モデュロール」などの革新的な概念を創案し、20世紀以降の建築に大きな影響を与えた。パリ郊外のサヴォア邸、マルセイユ郊外のユニテ・ダビタシオン、ロンシャンの礼拝堂、アントワープのギエット邸、レマン湖畔の住宅、インドのチャンディガール、アルゼンチンのクルチェット邸、日本の国立西洋美術館はその代表的な建造物で、世界遺産に登録されている。典型的なトランスバウンダリー・サイトであるが、「異なる大陸」にまたがっているので、「世界初のトランス・コンチネンタル・サイト」と言われている。同時に、シリアル・ノミネーション・サイト(全体として顕著な普遍的価値を持つ)でもある。

登録基準

登録基準 (i)

ル・コルビュジェの建築作品は、人類の創造的才能を示す傑作であり、建築及び社会における20世紀の根源的な諸課題に対して際立った答えを与えている。

登録基準 (ii)

ル・コルビュジェの建築作品は、近代建築運動の誕生と発展に関連して、半世紀以上にわたる地球規模での人的価値の交流という、前例のない事象を示している。彼はほかに例を見ない先駆的なやり方で、過去と決別した新しい建築的言語を開発することで、建築に革命を起こした。ル・コルビュジェの建築作品が4大陸において与えた地球規模の影響は、建築史上例のないものである。

登録基準 (vi)

ル・コルビュジェの作品は、「近代建築運動」という顕著な普遍的価値を有する思想と直接的かつ物質的に関連していう。彼の作品は、建築的言語を刷新し、建築技術の近代化を促進した。また彼の作品は、近代人の社会的・人間的欲求への答えでもある。

トランス・バウンダリー・サイト

本遺産は、フランス、スイス、アルゼンチン、インド、ドイツ、ベルギー、日本の七カ国に点在する17の資産で構成された「シリアル・オンミネーション・サイト」である。それが国境をまたいで存在している場合、「トランス・バウンダリー・サイト」と呼ばれる。日本では初めてのトランス・バウンダリー・サイトである。また、構成資産が複数の大陸にまたがる「トランス・コンチネンタル・サイト」としては、世界初の登録となる。

モデュロール

モデュロール(Modulor)とは、フランスの建築家ル・コルビュジエが、人体の寸法と黄金比から作った建造物の基準寸法の数列である。Modulorは、フランス語のmodule(モジュール・寸法)とSection d'or(黄金分割)から作ったル・コルビュジエによる造語である。

ル・コルビュジエは、古代ローマのウィトルウィウスレオナルド・ダ・ヴィンチの「人体図」(Vitruvian man)、レオン・バッティスタ・アルベルティの仕事などから人体における数学的な比率を見出だし、それを建造物の機能の向上のために利用した。モデュロールは、人体の寸法およびフィボナッチ数列、黄金比に基づく。基本的には、人が立って片手を挙げた時の指先までの高さ(「ヨーロッパ型」の場合226cmとされる)を黄金比で割り込んで行く、という方式である。 ル・コルビュジエはモデュロールのことを「建築や、その他の機械の設計に普遍的に適用できる、人体の寸法に合わせて調和した寸法の範囲」と評している。

ル・コルビュジエは実際にモデュロールを用いて数々の設計をした。ロンシャンの礼拝堂の窓配置、ラ・トゥーレット修道院におけるブリーズ・ソレイユなどのプロポーショナル・レイアウト、国立西洋美術館の天井の高さや柱の間隔、外壁のタイルのサイズの設計などがその応用例として挙げられる。また、世界中の建築家にも大きな影響を与え、日本でも、丹下健三が日本版のモデュロールを作成している。

近代建築の五原則

ル・コルビュジェによって提唱された近代建築の原則。

  • ピロティ (les pilotis)
  • 屋上庭園 (le toit-terrasse)
  • 自由な設計図 (le plan libre)
  • 水平連続窓 (la fenêtre en bandeau)
  • 自由なファサード (la façade libre)

からなる。 クック邸で実現され、サヴォア邸でより完成度の高いものとして実現された。5原則の1つ「ピロティ」とは、フランス語で「杭」を意味する。「サヴォア邸」のように建物の1階部分の柱で建物を支えることで、空中に浮いたような軽やかな印象を与える。ピロティは「国立西洋美術館」でも見ることができる。西洋建築では従来、壁によって建物を支えてきたが、ル・コルビュジェは発想を転換し、柱によって床面を支える建築構造を推進した。これによって、壁の面積を減らすことができ、デザインの自由度が高まり、水平連続窓や自由な平面などが可能となった。

サヴォア邸のピロティ (Flickr)

国立西洋美術館のピロティ (Flickr)

ル・コルビュジェの建築とその影響

ル・コルビュジエ(1887年 - 1965年)はスイスのラ・ショー=ド=フォン出身の建築家である。ラ・ショー=ド=フォンは時計製造業で有名な町であり、ル・コルビュジエも当初は時計製造業の道を志したが、弱視のため果たせなかったという。生まれ故郷にはごく初期の建築であり、地元の建築様式からの脱却を目指したジャンヌレ邸が残る。

建築の道に進んだル・コルビュジエは第一次世界大戦に際し、再建のための安価な住宅を大量生産するアイデアとして「ドミノ」 (Dom-Ino) を考案した。これは遊戯のドミノとの語呂合わせでもあるが、ラテン語のドムス (Domus, 家) とフランス語のイノヴァシオン (Inovation, 革新) に由来するル・コルビュジエの造語で、柱、床スラブ、階段のみを単位とする工法である。この工法は、鉄筋コンクリートのような新たな建築資材の出現によって可能になったもので、伝統的な西洋建築においては、屋根などを支える重要な役割として重厚な壁が必要だったことに対し、それを取り払った点に特色がある。本来は、戦争で出た瓦礫などで壁を安く組み上げるために構想された様式だったが、壁を自由に決められることは、新しい建築の可能性につながるものだった。現代に多く見られるガラス張りの高層建築も、この発想の延長線上に位置付けられる。

1920年には安価な大量生産住宅として白い箱型住宅「シトロアン」(Citrohan) を提案した。名前は安価な自動車を大量生産したシトロエン (Citroën) にちなんでいる。このアイデアは1922年にドミノシステムと結びついて、凸型を横倒しにしたような、空中に突き出た部分を持つ改訂版シトロアン住宅につながった。さらに1926年には、白い箱型住宅を作るためのピロティ、水平連続窓などを含む5つの要点、いわゆる近代建築の五原則を定式化した。その理念を体現した最高傑作とされるのがサヴォア邸である。

1939年には「無限に成長する美術館」を構想する。これは真上から見たときに正方形になる美術館で、画廊が角ばった螺旋状に配置されている。収蔵品の増加は美術館に付き物だが、周囲にあらかじめ広大な敷地を確保しておき、画廊を外側に拡延してゆくことで、そうした問題に対処し続けられるようになっている。実際にはこの構想を完全に実現した美術館が建設されることはなかったが、チャンディガールの美術ギャラリー、アーメダバードのサンスカル・ケンドラ美術館、東京の国立西洋美術館は、いずれもその構想を土台に置いて建設されたものである。

第二次世界大戦後には、フランス復興省の依頼で、復興期の住宅問題に対する解決としてマルセイユのユニテ・ダビタシオンを建設し、その後、ナント、ベルリンなど複数の都市にもユニテ・ダビタシオンを建設した。

彼は無信仰を表明していたが、晩年には依頼を受けて宗教建築も複数手がけた。その中でも、初期の幾何学的な造形とは大きく異なる趣きのロンシャンの礼拝堂は、後期の最高傑作として高く評価されている。

ル・コルビュジェのアトリエには世界中から建築を志す多くの者が訪れた。日本からは前川國男、板倉準三、吉阪隆正の3人が、「日本の3大弟子」として、日本の近代建築に大きな功績を残した。

主な構成資産

ロンシャン礼拝堂(フランス〕

Chapelle Notre-Dame-du-Haut de Ronchamp

ル・コルビュジエの設計によるカトリック ドミニコ会の礼拝堂(聖堂)。フランスのフランシュ・コンテ地方のオート=ソーヌ県ロンシャンに位置する。元々ロンシャンは巡礼の地であり、中世にこの地に建てられて以来の礼拝堂があったが、第二次世界大戦の際に、ナチス・ドイツの空爆により破壊された。戦後、ロンシャンの人々は再建を願い、アラン・クチュリエ神父の推薦によりル・コルビュジエに設計が依頼され、1950年に設計が始まり、1955年に竣工した。

シェル構造を採用しうねった屋根、それを浮かせるように支える巨大な外壁のマッス、その厚い壁にランダムに穿たれた小さな開口部から幾条もの光が差し込む内部空間が特徴とされる。とくに正面ファサードはカニの甲羅を形どったとされる独特な形態で、薄い屋根の構造技法をも含め、鉄筋コンクリートが可能にした自由で彫塑的な造形を示している。「重い壁を軽く見せ、軽い屋根を重く見せる」というコルビュジェの逆説的な建築技法のひとつの具現となっている。

同じ宗教建築の範疇にはあっても少し後に設計されたラ・トゥーレット修道院とは対比的な、コルビュジエ後期の代表作とされる。1950年代に建てられたものではあるが、最初のポストモダン建築だとする評価もある。20世紀の宗教建築に革命を引き起こした。

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ラ・トゥーレットの修道院(フランス)

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ラ・トゥーレット修道院は、フランスのリヨン郊外にある、ル・コルビュジエが設計したカトリック ドミニコ会の修道院。聖母マリアを称えて献堂されCouvent Sainte-Marie de La Touretteとも称される。

ロンシャンの自由な曲線を使って丘の頂上に外観を際立たせた造形とは対比的に、丘の斜面に沿うように建つ外観はむしろ禁欲的で垂直と水平の直線だけの矩形としてデザインされており、斜面の力を顕在化させた力強い建築として構成されている。

建築と数学とを学び、後に現代音楽の作曲家として名を挙げたヤニス・クセナキスがコルビュジェの弟子として設計に参画している。

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国立西洋美術館(日本)

Musée National des Beaux-Arts de l’Occident

国立西洋美術館(1955年)は、東京都台東区に残る美術館で、ル・コルビュジエが基本設計を担当した。日本に残る唯一のル・コルビュジエの建築というだけでなく、東アジアでも唯一である。

国立西洋美術館は、フランスから「松方コレクション」が寄贈返還されるにあたり、その受け入れ先となる美術館の建設が必要となったことから実現した。ル・コルビュジエが指名された詳細な経緯は不明だが、1953年12月に日本で発足した「仮称フランス美術館設置準備協議会」では、フランス側の心証を良くするためにフランスの著名な建築家を起用することや、この機会に世界的建築家の作品を日本で実現したいといった意見が出ていたという。

ル・コルビュジエが契約していたのは美術館の基本設計のみで、具体的な寸法なども含めた実施設計は日本の坂倉準三、前川國男、吉阪隆正の3人が担当した。ル・コルビュジエは生涯でただ一度となる日本訪問(1955年11月)を踏まえて、基本設計を行なった。その際には、坂倉の要請に応じて、契約外であった美術館周辺の総合的なプランも設計し、演劇ホールと展示館も含む広大な文化広場を構想した。

国立西洋美術館は1959年に開館した。「無限成長美術館」という概念が採用され、巻き貝が中心から外側に向かうように、展示作品が増えても外側に展示室を追加できる構造になっている。天井の高さや柱の間隔、外壁のタイルのサイズなどはル・コルビュジェ独自の寸法「モデュロール」に則っており、美的な調和と快適性をあわせもつ展示空間が実現した。

阪神大震災翌年の1996年には、巨大地震に対応するための免震工事が行われた。工事に際しては、国立西洋美術館の建物自体の文化財的価値が高いため、建物本体には手を加えず、地下の基礎部分に免震装置が取り付けられた。免震工事は屋外の彫刻品1つ1つにも施されている。

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サヴォア邸(フランス)

Villa Savoye et loge du jardiner

サヴォア邸(サヴォワ邸)は、1928年から1931年にパリ郊外のポワシーに建てられた邸宅で、行政官のサヴォワ夫妻が週末を過ごす別邸として依頼した。この邸宅はル・コルビュジエの近代建築の五原則が集約された傑作として、高く評価されている。

画像にもあるように、サヴォア邸を支える柱は細く、あたかも白い直方体が空中に浮いているかのような印象を与える。その直方体の下にある相対的に小さな1階部分は、車庫や使用人室などに当てられている。2階が主要な住居部分となっているが、そこは近代建築の五原則の一つである水平連続窓によって大きく開け放たれている。全面ガラス張りでなく、あくまでも窓とすることで、周囲の広大な草地との連続性を意識しつつ、そこから切り離された空中の直方体に囲まれているという感覚が得られるようになっている。3階部分は、これも近代建築の五原則の一つである屋上庭園が実現されている。この3階はスロープでつながれており、各階層ごとに全く異なる表情を楽しめるようになっている[45]。

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ヴィンセントホフ・ジードルングの住宅(ドイツ)

Maisons de la Weissenhof-Siedlung

ヴァイセンホフ・ジードルングの住宅(1927年)は、ドイツのシュトゥットガルトで1927年に開催されたジードルングの住宅展に出展された住居である。主催者のドイツ工作連盟の責任者ミース・ファン・デル・ローエの希望でル・コルビュジエが招聘され、それに応えて彼は1世帯用と2世帯用の2軒の住宅を建てた。彼は前年に「近代建築の五原則」を打ち出しており、ヴァイセンホフの住宅群にはその要素を見出すことが出来る。彼は空中に浮かんでいるかのような直方体をこの建物で本格的に実現させた。ただし、すぐ後に続くサヴォア邸(1928年)と異なり、背面に回るとありふれた壁面しか見えなくなる。この点で、同じ「空中の直方体」でも、ほぼどの方向からもそれが強調されるサヴォア邸とは趣きが異なっている。

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ユニテ・ダビタシオン(フランス)

Unité d’habitation Marseille

マルセイユのユニテ・ダビタシオン(1945年)は、第二次世界大戦後の復興期に建てられた集合住宅である。ル・コルビュジェの都市理論「輝く都市」を具現化した8階建ての集合住宅。ユニテ・ダビタシオンの住居部分の基本構造は、3階分を1つの単位としてL字型と逆L字型を組み合わせ、その間に廊下を挟むものである。規格化された23種類の住居ユニットをブロックのように組み合わせた337戸からなり、1,600人が居住することができる。

模式図の水色、黄色の部屋は東西いずれかに窓が開いており、1日のうち、一定時間は日照を確保できる。また、吹き抜けのある居間を持つ2階建ての部屋という点ではいずれも変わらないが、水色の部屋は2階が広い構造なのに対し、黄色の部屋は1階が広くなっている。窓はブリーズ・ソレイユ(日除け格子)で、吹き抜けのある階とそうでない階で高さが変わるようになっており、それ自体が格子の内側の鮮やかな原色とともに、外観にアクセントをもたらしている。それらの部屋に挟まれている赤い部分が廊下で、3階分の構造につき1本の廊下が貫く形になっている。

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クルチェット邸(アルゼンチン)

Maison du docteur Curutchet

クルチェット邸(フランス語版)(1949年)は、アルゼンチンのブエノスアイレス州の州都ラ・プラタに建てられた邸宅である。依頼者のペドロ・ドミンゴ・クルチェット (Pedro Domingo Curutchet) は外科医であり、邸宅は住居と診療所を兼ねている。ル・コルビュジエの建築は世界各地に現存するが、南アメリカ大陸で実際に建てられた住宅は、このクルチェット邸が唯一である。アルゼンチンの建築家アマンシオ・ウィリアムス (Amancio Williams) がその建設に大きく寄与し、ウィリアムスの離脱後はサイモン・ウンガース (Simon Ungars) が協力した。住宅密集地の、広いとはいえない敷地でアルゼンチンの暑い気候に対応させるため、ブリーズ・ソレイユ(日除け格子)に工夫を凝らし、陰が出来る中庭の周囲に建物をU字型に配置する地元特有のスタイル(ル・コルビュジエはこれを「ソーセージ」と呼んだ)を取り入れた4階建てにするなどの配慮が行なわれている。

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ラ・ロッシュ・ジャンヌレ邸(フランス〕

Maisons La Roche et Jeanneret

ラ・ロッシュ=ジャンヌレ邸は1923年から1925年に建てられたパリの2世帯住宅で、現在はル・コルビュジエ財団の本部が入っている。晩年のル・コルビュジエは、自分にとって重要だった邸宅として、この建物を挙げていた。依頼主は『レスプリ・ヌーヴォー』誌の支援者でもあった銀行家のラウル・ラ・ロッシュ (Raoul La Roche) と、ル・コルビュジエの実兄にあたる音楽家アルベール・ジャンヌレ (Albert Jeanneret) である。ラ・ロッシュは終始ル・コルビュジエと良好な関係を保った顧客であり、この建物もル・コルビュジエは自由に建設することが出来た。ル・コルビュジエが近代建築の五原則を発表するのは1926年のことだが、この建物ではそれに先立って水平連続窓が実現している。この点は、ラ・ロッシュ=ジャンヌレ邸の重要性として、しばしば指摘されている。

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ル・コルビュジェの提唱する近代建築の概念が、全世界規模に広がり実践されたことを表すトランスバウンダリー・サイトであり、複数の大陸にまたがる世界で初めてのトランス・コンチネンタル・サイトでもある。

世界遺産クイズ

世界遺産検定クイズ

関連動画へのリンク

ル・コルビュジェのあまり知られていない10の事実

Art Architechture Le Corbusier

UNESCO公式HP(英語版)へのリンク

https://whc.unesco.org/en/list/1321

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