文化的景観
遺産名:
デッサウ・ヴェルリッツの庭園王国
Garden Kingdom of Dessau-Wörlitz
国名::ドイツ
登録年:2000年
登録基準:(ii)(iv)
概要:
デッサウ・ヴェルリッツの庭園王国は、ドイツおよび大陸ヨーロッパにおける最初にして最大級の英国式庭園である。「ヴェルリッツの英国式庭園」とも呼ばれる。この庭園は、18世紀後半にアンハルト=デッサウ侯レオポルト3世・フリードリヒ・フランツによって創設された。この庭園はエルベ川の一時的な支流沿いに位置し、水に恵まれている。
公園の起源は17世紀にこの地の領主であるアンハルト=デッサウ侯ヨハン・ゲオルク2世がオランダ総督フレデリック・ヘンドリックの娘ヘンリエッテ・カタリーナと結婚したときまで遡る。ヘンリエッテ・カタリーナはネーデルラント地方から、オラニエンバウム(Oranienbaum)の街や公園のレイアウトを手がけた技術者や建築家の一団を引き連れてきた。
オランダの影響はその後何十年にも亘ってアンハルト=デッサウでは流行りのスタイルであり続け、英国びいきの侯爵レオポルト3世が、ドイツ初の新古典主義建築であるヴェルリッツ城を手がけたフリードリヒ・ヴィルヘルム・フォン・エルトマンスドルフを雇ったときもそうであった。レオポルトのために英国式庭園をデザインした造園家のヨハン・フリードリヒ・アイザーベック(Johann Friedrich Eyserbeck)は、イギリスの先例であるクレアモント庭園(Claremont Landscape Garden)、スタウアヘッド(Stourhead)、ストウ庭園(Stowe Landscape Garden)などに多くを負っていた。
ジャン=ジャック・ルソーの哲学とヨハン・ヨアヒム・ヴィンケルマンの美学は、デッサウ・ヴェルリッツの庭園設計の根底に存在している。ルソーは農業の中に日々の生活の基礎を見出し、自然の景観が持つ教育上の役割も指摘した。庭園の中で最も優雅な景観を持つのはルソー島だが、これがルソーの埋葬されたエルムノンヴィルの島を模倣したものであるのは驚くに当たらない。
(Wikipediaより)