ロタンダ , Flickr

ギリシャ 重要遺産

テサロニキの初期キリスト教とビザンツ様式の建造物群

2021年11月11日

文化遺産
遺産名:
テサロニキの初期キリスト教とビザンツ様式の建造物群
Paleochristian and Byzantine Monuments of Thessalonika
国名:ギリシャ
登録年:1988年
登録基準:(i)(ii)(iv)
概要:
テサロニキの初期キリスト教とビザンティン様式の建造物群は、ギリシャ共和国のテサロニキにあるユネスコの世界遺産登録物件名。登録は1988年。ローマ帝国、および東ローマ帝国の時代に建設された建築物とモザイクなどの美術を対象とする。

紀元前315年に建設された海港テッサロニキは、天然の良港と街道を有する交易都市であった。カッサンドロスによってテサロニケと改名され、さらに共和政ローマに占領された後も、ローマ属州マケドニアの首府として繁栄を続けた。50年、使徒パウロはこの町のシナゴーグでキリスト教を布教したが、ユダヤ人に告発され、退去したとされる。ローマ帝政時代、テッサロニケは国際都市の様相を呈しており、様々な民族や宗教が混在していた。ローマ帝国後期になると、ガレリウスによって凱旋門と霊廟が建設され、港湾はコンスタンティヌス1世によって拡張された。また、テオドシウス1世は、後にテッサロニケを破局から守る市壁を整備した。

ローマ帝国が東西に分裂すると、テサロニキは東ローマ帝国の第二の都となり、バルカン半島の拠点として首都と緊密に結ばれた。しかし、580年頃からはじまるスラブ人の侵入により、バルカン半島は少数の沿岸都市を除いて侵略されてしまった。テサロニキでも都市生活を営むことは不可能になり、農村的生活を余儀なくされたとは言え、城壁によって防衛されていたために壊滅することはなかった。

テサロニキはビザンツ時代を通して文化の中心地であったため、周辺一帯の文化に大きな影響を与えた。またビザンツ帝国の首都であったコンスタンティノープルとの交流の中で、ビザンツ芸術や建築という、コンスタンティノープルを起源とする芸術的な潮流の中心地の一つとして重要な役割を担った。

なかでも壁画やモザイク画、フレスコ画などは保存状態のよいものが多く、ビザンツ様式の初期からイコノクラスムまでの芸術を伝える聖ソフィア聖堂やドーム天井を持つ円形のロタンダの他、その後のコムネ朝のコメニアン時代を伝える聖ダヴィド聖堂のフレスコ画、後期ビザンツ様式を伝える聖パンテレイモン聖堂や聖デミトリウス聖堂など、初期キリスト教芸術の傑作とされるものが残されている。

ロタンダのモザイク画, Flickr

ロタンダは、ガレリウスによって霊廟として建設されたものだが、彼がセルディカで歿した後に放棄された。後に聖ゲオルギオスの教会堂として献堂されてキリスト教の聖堂となり、その当時作成されたモザイクが残る。オスマン帝国の時代には、さらにモスクとして利用され、その時にミナーレが建設された。現在は無宗教の美術館となっている。

(Wikipedia、『世界遺産大事典』より)

世界遺産クイズ

テサロニキの初期キリスト教とビザンツ様式の建造物群について、正しいものはどれか

UNESCO公式HP(英語版)へのリンク

https://whc.unesco.org/en/list/456

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