文化遺産
資産名:
ドナウ河岸、ブダ城地区及びアンドラーシ通りを含むブダペスト
Budapest, including the Banks of the Danube, the Buda Castle Quarter and Andrássy Avenue
国名:ハンガリー
登録年:1987年
登録基準:(ii) (iv)
概要:
ブダペストはドナウ河畔に位置し、ハンガリーの首都として政治、文化、産業の中心機能を果たしています。歴史的には10世紀にマジャル人が集落を築いたのが最初で、1873年にドナウ川をはさんだブダとペストが合併して、現在のブダペストになりました。ブダ城、漁夫の砦、ゲッレールトの丘、マルギット橋、国会議事堂、アンドラーシ通り、ハンガリー国立歌劇場などが世界遺産に登録されています。
ブダペストのハイキング・ルート
ブダペストの歴史
ブダペストの歴史の始まりはローマ帝国のアクインクムとしてで、もともとはケルト人の集落であった。アクインクムは古代ローマの低パンノニア属州の首府となっている。マジャル人がブダペスト周辺にやって来たのは9世紀頃である。最初の集落は1241年から1242年にかけてモンゴルの襲来により略奪された。15世紀に町が再建されるとブダペストはルネサンス期の人文主義者文化の中心となった。続いてモハーチの戦いが起こり、オスマン帝国による150年間の支配が続き、18世紀、19世紀に新しい時代に入ると町は発展し繁栄する。ブダペストは1873年にドナウ川を挟んだ都市の合併が行われると、世界都市となる。また、1848年から1918年の第一次世界大戦敗戦まで列強に含まれたオーストリア=ハンガリー帝国のウィーンに続く第二の首都であった。1920年のトリアノン条約によりハンガリーは国土の72%を失い、ハンガリーの文化や経済をブダペストがすべてを占めるようになった。ブダペストはその大きさや人口で圧倒的に優位に立ち、ハンガリーの他の都市を小さく見せていた。ブダペストはハンガリー革命 (1848年)や1919年のハンガリー評議会共和国、1944年のパンツァーファウスト作戦、1945年のブダペスト包囲戦、1956年のハンガリー動乱など数々の歴史的な舞台の場でもあった。
主な構成資産
ブダ城
1241年、モンゴル軍の攻撃で木造城壁だったブダ城が破壊されるとベーラ4世が石造で再建した。14世紀にラヨシュ1世によってゴシック様式の王宮に改造された。15世紀のマーチャーシュ1世によるさらなる増改築で、城には華やかなルネサンス様式の装飾が施された。しかし、1578年10月12日に倉庫への落雷による粉類粉塵爆発があり、17世紀にオスマン帝国軍の攻撃で破壊された。18世紀にかけてハプスブルク家の支配下で再建され、バロック様式への改造が行われた。19世紀半ばに発生した火災とその後の第一次世界大戦、第二次世界大戦で大規模な被害を受けたが、20世紀半ばに再び修復された。
漁夫の砦
ドナウ川に沿ってネオロマネスク様式で建造された。数個の尖塔と回廊。砦といっても戦いに使われたものではなく、マーチャーシュ教会を改修した建築家シュレックが町の美化計画の一環として建造したものだ。この名は、かつてここに魚の市が立っていたことや、城塞のこのあたりはドナウ川で漁を営む漁夫たちが守っていたことなどからつけられた。白い石灰石でできた建物自体も幻想的で美しいが、ここはドナウ川と対岸に広がるペスト地区を一望できる絶好のビューポイントでもある。(『地球の歩き方』より)
ゲッレールト山(の丘)
ゲッレールト山とはハンガリーブダペスト11区にあるドナウ川を臨む標高235 mの高さを有す“山”である。また、山の麓にあり、隣に自由橋を有するゲッレールト広場にはホテル・ゲッレールトやゲッレールト温泉などの有名な施設が見られる。標高が低いということで英語の観光パンフレット等では Gellért Hill 等と訳されてしまうことが多く、日本の観光ガイド等も英語から訳されるものが多いために、日本では「ゲッレールトの丘」という誤訳も散見される。
セーチェーニ鎖橋
ハンガリーの首都ブダペストに架かる吊り橋である。全長380メートル。ブダペスト市内のドナウ川沿岸で最初に架かった恒常的な橋であり、西岸のブダ地区と東岸のペシュト地区(ペスト地区)を結んでいる。単に鎖橋とも呼ばれる。
国会議事堂
国会議事堂は、ハンガリーの立法府である国会の議事堂。首都ブダペストのドナウ川岸辺、コシュート・ラヨシュ広場に位置する。ハンガリー国内で最も大きな建築物であり、ヨーロッパで二番目、世界で三番目に大きな国会議事堂である。ウェストミンスター宮殿同様、ゴシック・リヴァイヴァル建築である。左右対称のファサード、そして中央にドームがある。
ゲッレールト温泉
ゲッレールト温泉は、豪華で美しい、ハンガリーのブダペストを代表する温泉施設のひとつ。1912年から1918年にかけて、ウィーン分離派・アール・ヌーヴォー様式で建造された。第二次世界大戦では損害を受けたが、その後再建されている。ゲッレールト温泉施設は、ゲッレールトの丘から湧き出る熱水を利用した浴場を持っている。温泉はカルシウム、マグネシウム、炭水化物、アルカリ、塩化物、硝酸塩、フッ化物などを含む。ここには2つの別個の温泉浴場があり、壁にはそれぞれ摂氏36度、摂氏38度と記されている。浴場はモザイクタイルで美しく装飾されている。
ハンガリー国立歌劇場
1858年創設。グスタフ・マーラーが音楽監督を務め、黄金時代を築いた。以後、エルネー・ドホナーニやフェレンツ・フリッチャイ、オットー・クレンペラー、ヤーノシュ・フェレンチクらが歴代音楽監督として名を連ね、リヒャルト・シュトラウス、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、ヘルベルト・フォン・カラヤンなどの巨匠達も客演指揮を行っている。
世界遺産クイズ
世界遺産検定クイズ